いまさらながら「地震列島に54基の原発」の恐怖

2011年04月25日 | 原発と放射能

 「持続可能な国づくりの会」のブログに書いたものを、ぜひ読んでいただきたく、こちらにも転載します。




 福島の原発事故が起こってから、いかに原発や放射能について知らなかったか、憤りや悔しさと共に「不明を恥じる」という気持ちになった方が多いようですが、正直に言えば私もその一人です。

 持続可能な国づくりの会の運営委員会では、これまでも、「持続可能な国にすることと脱原発は当然つながっている」という大まかな合意があったと思います。

 しかし、事故以前には、原発問題は激しい賛否両論の状態で、本格的に論争に加わるには専門的知識が必要なので、まず持続可能な社会の「理念とビジョン」をまとめることを先行させ、原発問題に取り組むのはもう少し先の段階でいいのではないか、と私は考えていたのです。

 それが、不明も不明、大変な不明であったことを、原発以後、ネットで調べて、NHK他の大きなメディアに登場しない脱原発に取り組んでこられた方々の発言を聞いてから、痛切に感じさせられています。

 特に震災の後、ネット注文しても品切れだった広瀬隆氏の『原子炉時限爆弾――大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)がようやく届き、大急ぎで読了して、「原発問題の緊急性に気づいていなかったなあ」と痛恨の思いです。

 私は、社会的発言にはきわめて慎重な性質で、いろいろ調べてほぼ確実だと思うまでは結論を出さず対外的には「判断留保」ということにしておくのを鉄則にしていましたが、今回はそれを破って原発本を数十冊読むまで発言しないというやり方をしないことにしました。

 それは、言われてみればいろいろ文献を漁るまでもなく、日本は大変な「地震列島」なのですから、それだけも原発を建設することは危険であり、さらに地震には「津波」が付き物であり、例外なく海際に建てられている日本の原発が津波にきわめて弱いことにも例外がないことは、常識でもわかるはずのことだった、と思うからです。

 私の世代(団塊の世代)は、戦後、「原子力の平和利用」という言葉を教師やマスコミからずっと聞かされ、いつの間にか「原発安全神話」をどこか信じさせられていたのでしょう。

 田中三彦氏のような信頼できる知人から原発の危険さを知らされても、どこか安全神話の影響でそのきわめて緊迫した緊急性にまで思いが到りませんでした。

 常識も警告も心の中で機能しなかったのです。本当に痛恨の思いです。

 日本には弱い地盤の上にしかも海際に54基の原発が存在している。しかも、その立地の地図を元に50キロ圏、100キロ圏の円を描いてみると、日本には本格的な原発事故による放射能汚染から逃れる場所などどこにもなさそうだ、ということに気づきました。

 それだけでもぞっとする事実です。

 さらに、東海地震が予想されているその場所に静岡・浜岡原発があり、我が家はその50キロ圏にあり、ところが、調べてみると、福島の事故以後も中部電力は30メートル級(今回の地震では最高38メートル強)の津波への対策はしていません(25メートルのところに非常用電源を2基準備するあるいはしたとのこと。25メートルは30メートルより低いのですが)。

 (*訂正:後日、調べなおしてみると、我が家は100キロくらいは離れているようでしたが、だから安心というわけにはいかないことも、学べば学ぶほどわかってきました)。

 自然をなめている、安全コストをけちっている、としか思えません。

 後の世代のためにももちろんですが、自分の生きている間に来る可能性の高い危機を未然に防止するためにも、浜岡原発はなんとかしなければならない(早急にコストにしばられない本格的安全対策、続いてできるだけ早い廃炉)と考えます。

 これまでの電力会社の態度を見ていると、できるかどうか、どうすればできるかという大きな問題があるのですが、まずこれは「坐して死を待つ」のでないのならば、「ねばならない」ことだという認識を持つ必要があるように思います。

 ふたたび、「原発依存を転換する政治的意思と力を!」と書いておきたいと思います。

 みなさんのお気持ち、ご意見をお寄せください。



原子炉時限爆弾
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社


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ベランダに咲いた月見草

2011年04月22日 | 生きる意味


 昔住んでいた海側の砂地に咲いていた月見草(植物学的にはオオマツヨイグサというらしい)の風情が好きで、去年の秋、小さな苗を2本、ベランダの植木鉢に移植したら、とても元気に根づいてくれて、初めての花を咲かせてくれました。

 いつも、なぜかほっとさせてくれる花です。



 
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マルクス・アウレーリウスのことば 3:宇宙の一体性

2011年04月10日 | 生きる意味

 宇宙は一つの生きもので、一つの物質と魂を備えたものである、ということに絶えず思いをひそめよ。またいかにすべてが宇宙のただ一つの感性に帰するか、いかに宇宙がすべてをただ一つの衝動から行うか、いかにすべてがすべて生起することの共通の原因となるか、またいかにすべてのものが共に組み合わされ、織り合わされているか、こういうことを常に思い浮かべよ。
                             (『自省録』4・40)


 宇宙の中のありとあらゆるものの繋がりと相互関係についてしばしば考えて見るがよい。ある意味であらゆるものは互に組み合わされており、したがってあらゆるものは互に友好関係を持っている。なぜならこれらのものは、〔膨張収縮の〕運動や共通の呼吸やすべての物質の単一性のゆえに互に原因となり結果となるのである。
                             (『自省録』6・38)


 マルクス・アウレーリウスの思想は、ストア学派と呼ばれる古典ギリシャの哲学の1つの流れに属しています。

 ストア学派の自然学は、現代思想的な用語でいえば「コスモロジー」にあたり、驚くほど現代科学の洞察を一致するところがあります(そのことについては、「いのちの授業1:コスモロジー」を参照してください)。

 ストアのコスモロジーの要点は、宇宙と自己は一体である、というところにあります。

 しかし、日常生活の中でそのことを忘れがちなので、マルクス・アウレーリウスは「絶えず思いをひそめよ」とか「しばしば考えてみるがよい」と自分に言い聞かせているのです。

 そうして、繰り返し絶えず思うことによって、ストアのコスモロジーが単なる一般的な理論ではなくいわば彼自身によって「生きられている哲学」になっています。

 『自省録』の魅力は、ストア哲学が一人の具体的な人間によって生きられている哲学として表現されているところにあるといっていいでしょう。

 第35期の公開講座では、そのあたりをさらに深く掘り下げ味わっていきたいと思っています。



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サングラハ第116号が出ました

2011年04月10日 | 広報



 今年の春は、なかなかのどかに楽しむという気分になれません。

 しかし、春の草花は季節どおり花を咲かせていて、ひと時、心をなごませてくれます。

 少し心を休ませては、またこれからどうすれば日本をいい国にできるのかということを考え続けています。

 方向としては「『十七条憲法』と緑の福祉国家」ということでまちがいないと思っているのですが、日本国民のみなさんの圧倒的多数の理解と支持を得る、ということにはまだなっていないのは、なぜでしょうか。

 しかし、お陰様で、本ブログの閲覧者数はここのところかなり多くなってきています。徐々にもっとたくさんの方に理解・共有していただけることを祈っています。

 いいと思われたみなさん、よろしければ、さらに一歩踏み込んで、『サングラハ』誌もご購読ください。

 最新の第116号が昨日出来上がり、会員の方には発送申し上げました。





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第35期講座案内

2011年04月10日 | 広報

         サングラハ教育・心理研究所
      
       第35期オープンカレッジご案内


 東日本大震災は、これまで日本人が体験したこともないほど大きな災害で、これからどういうふうに復興するのか・できるのか、日本人は大きな課題を抱えています。

 そうした中で、個々人はどういう心がまえで生きていけばいいのか、「これまでどおり、なんとなくやっていれば、なんとかなる」というわけにはいかなくなっており、しっかりと人間観・価値観の基礎を築きなおす必要に迫られているように思います。

 そうした中で『自省録』は、幸不幸に心を惑わされることなくまっすぐに生きるための深い人生哲学を教えてくれる、今、学びなおすにふさわしい古典だと思われます。
また言うまでもなく、仏教は苦に満ちたこの世のあり方をしっかりと受け止めながらたくましく生き抜く智慧を教え続けてくれている日本人の精神的基盤です。

 今期は、この時代のきびしさにくじけない強い心を基礎から育むために、木曜日は「マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む」、土曜日は「基本から仏教を学ぶ」という東西の古典に学ぶ講座を企画しました。みなさんのご参加をお待ちしております。


 木曜講座:「マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む」

              於 サングラハ藤沢ミーティングルーム
               木曜日 18時45分~20時45分  全7回
           4月 21日 5月12日 26日 6月9日 23日 7月 7日 21日

古代ローマの哲学者皇帝マルクス・アウレーリウスの哲学的な日誌である『自省録』は、筆者の学生時代以来変わることのない座右の書でしたが、これまでまだ本格的に講義したことがありませんでした。

今、日本が「国難」といってもまったく大げさでない厳しい状況に置かれ、現実否認をし続けるのでないかぎり、もはや「ネアカ・ルンルン」はもちろん「終わりなき日常をまったりと生きる」ことさえ不可能になり、人間が宇宙の中で宇宙の一部として存在するという根底的な自覚を基に覚悟をもって真摯に生き死にするほかない――そういう人生哲学のあり方を「ストイック=ストア派的」と言います――という時代になっている中で、もっとも学びなおすにふさわしい古典ではないかと考え、みなさんと共有するための講義を行なうことにしました。

ご一緒に自分の人生哲学を深めていきましょう。

テキスト:マルクス・アウレーリウス『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫)


土曜講座:「基本から仏教を学ぶ」

         於 サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩5分)
          土曜日 13時30分~15時30分 全8回
          4月16日 23日 5月7日 21日 6月4日18日 7月2日 16日

タイトルどおり、仏教を基本から学びたい方のための講座です。ゴータマ・ブッダの教えから大乗仏教の空や唯識の思想まで仏教思想の流れを基本から学ぶことができます。
これまで仏教の学びを続けてこられた方にも、総復習的意味とさらに理解を深めていくという意味があると思います。

 594年、推古天皇―聖徳太子の意思表明(詔)「三宝興隆の詔」以来、仏教は日本人の心を育んできたにもかかわらず、明治維新と敗戦という2つの歴史的プロセスを経て、日本人は仏教を「過去の宗教」としてその意味を見失うような方向に歩んできてしまいましたが、実は仏教のエッセンスはむしろ「未来の霊性」とでもいうべき深さ・妥当性・普遍性をもっている、と筆者は考えています。

 今、仏教を基本から学びなおすことは、日本人としての自分のアイデンティティを深いところから再確立し自信をもって未来に向かうことにもつながるでしょう。

テキスト:『仏教とアドラー心理学――自我から覚りへ』(佼成出版社)

*講義の前に30分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。


●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。

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マルクス・アウレーリウスのことば 2:新たな創造のための変化

2011年04月08日 | 生きる意味

 変化を恐れる者があるのか。しかし、変化なくしてなにが生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれよりも愛すべく親しみ深いものがあろうか。君自身だって、木がある変化を経なかったならば、熱い湯にひとつはいれるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。その他必要な事柄のうちなにが変化なしに果たされえようか、君自身の変化も同様なことで、宇宙の自然にとっても同様に必要であるのがわからないのか。(七・一八)

 宇宙の自然は「全体」の物質を用いてあたかも蝋でものを作るように、ある時は馬を形作り、つぎにこれをこわし、その素材を用いて樹木をこしらえ、つぎには人間を、つぎにはまたなにかほかのものをこしらえる。各々のものはごく僅かな時間だけ存続するにすぎない。箱の身になって見れば、解体されるのも組み立てられるのと同様、別に難儀なことはないのである。(七・二三)

 宇宙を支配する自然はすべて君の見るところのものを一瞬にして変化せしめ、その物質から他のものをこしらえ、更にそれらのものの物質から他のものをこしらえ、こうして世界がつねに新たであるようにするのである。(七・二五)

 死んだものは宇宙の外へ落ちはしない。ここにとどまるとすれば、更にここで変化し、分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。更にこれらもまた変化し、ぶつぶつ呟きはしない(八・一八)

 喪失は変化にほかならない。これが宇宙の自然な喜びとするところなのだ。その自然に従って万物は〔うまい具合に〕生起し、永遠の昔から同じ形のもとに生起し、永遠に至るまで他の同様な形の下に生起していくであろう。しかるに君はなぜいうのか、すべては具合悪くできており、これからも常に具合悪くあろうし、神々がどんなに大勢存在しようとも、これを正す力は彼らの中には結局見出されなかった。世界は絶えざる悪に悩まされるべく定められているのだ、と。(九・三五)


 変化も破壊も喪失も宇宙の自然であり、それは「世界がつねに新たであるようにする」ためだ、という視点は、大きな変化・破壊・喪失の時代にある私たちにとって、次のステップに進むための希望を与えてくれる視点だと思います。

 次のステップはまったく新しい創造に向けてのスタートなのです。

 もちろんそうした厳しくも真実なものの見方を、今苦しんでいる方に押し付けるのは、決してやるべきことではありませんが、自分自身に言い聞かせるものとしては――『自省録』はまさに自分に言い聞かせるための日誌です――(場合や人によって)大きな力になるものではないかと思います。




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マルクス・アウレーリウスのことば 1:宇宙における生死

2011年04月06日 | 生きる意味


 サングラハ教育・心理研究所の「オープン・カレッジ」と名づけた公開講座の第35期に、古代ローマの哲学者皇帝マルクス・アウレーリウスの『自省録』の講義を行なうことは、お知らせしたとおりです。

 それに先立って、いわば前宣伝的にマルクス・アウレーリウスの深く美しいことばをいくつか紹介しようと思います。

 まず最初に引用したいのは、彼の死生観をもっとも端的に表現した次のことばです。


 おお、宇宙よ、すべて汝に調和するものは私にも調和する。汝にとって時をえたものならば、私にとって一つとして早すぎるものも遅すぎるものもない。

 おお自然よ、すべて汝のもたらすものは私にとって果実である。すべてのものは汝から来り、汝において存在し、汝へ帰っていく。

                (『自省録』四・二三、神谷美恵子訳、岩波文庫)


 すべての出来事――悲劇的な出来事でさえ――を宇宙のもたらしたものと受け止めることができたならば、私たちは幸不幸を超越して、生きられる間は生き死ぬべき時は死ぬというきっぱりとして爽やかな生き死にの仕方ができるでしょう。

 それは決して容易ではありませんが、心を鍛錬することによって、そうした心境に近づくことは不可能ではありません。

 今、困難な時代にあって、こうした心境に近づけるとどんなに強いでしょう。

 私も、こうした死生観で覚悟を決めて生き死にしたいと思っており、このことばは私の墓碑銘に選んだものでもあります。

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朝日新聞社説が「持続可能な暮らし求めて」

2011年04月05日 | 持続可能な社会

 昨日の朝日新聞朝刊の社説は、「岐路に立つ電力文明 持続可能な暮らし求めて」でした。






 正直なところ、「え? 前からそうだったっけ?」という感じですが、「空気」が変わったということなのかもしれません。

 メディア全体の「空気」も変わってきているようです。

 今週末に出来る『サングラハ』第116号の連載「十七条憲法と緑の福祉国家」の最終回に、次のように書きました。


 日本は、明治維新の時を見ても、敗戦の時を見ても、方向転換・変わり身は早い国民です。もう変わるとなったらパッと昨日までの軍国主義を語っていた先生が今日から民主主義の授業をするという、そういう恐ろしく変わり身の早い国です。

 「変わり身が早い」というと聞こえがよくありませんが、それはプラスマイナス両方の面があるので、マイナス面ばかり見ないほうがいいと思います。日本人はある意味で驚くほど方向転換能力・自己変革能力があるということもできます。ですから、変わる時には変われると思います。

 スウェーデンは、条件を整えて長い時間をかけてこういうところ(エコロジカルに持続可能な国家・緑の福祉国家)に到達できたんですが、日本は、山本七平さんのいう「空気」で方向性が決まってしまえば、そこにみんながわっと乗っかってくるという形で、あっと言う間に短期間で変わる可能性はあると思います。多くの方が、スウェーデンの話をすると「スウェーデンはすばらしい。でもそれは日本には条件がないから無理だ」とおっしゃるんですが、日本には「空気で動く」という別の条件がありますので、可能性はある、と私は思っているわけです。


 (ちなみに、第116号には小澤徳太郎氏の「スウェーデンの新たな挑戦――緑の福祉国家」の連載もあり、ちょうどスウェーデンのエネルギー政策が論じられています。)


 「空気で動く日本人」がいい方向に動くことを祈るばかりです。

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持続可能な復興のために

2011年04月02日 | 広報

 ここのところ「持続可能な国づくりの会」のブログに記事を書いていて、こちらに書く時間がありません。

 よかったら、ぜひ、読んでください。(さらに追加しています。)

 
 原発依存を転換する政治的意思 3月23日

 復興は確実だ! しかし… 3月24日

 復興の財源について:1つのアイデア 3月26日


 もし、日本国民が、この災害と復興のプロセスを持続可能な国づくりに向けることができたら、それこそ「困難の柄をにぎること」になるでしょう。

 東北は「復興」というより全面的に「新興」してほしい 3月31日

  日本人の常識を変えよう:「水と安全はタダではない」 4月1日

 
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