般若経典のエッセンスを語る42――独裁者のいない社会を目指す

2021年12月26日 | 仏教・宗教

 第十四願は、いわば第十三願の補足で、「無形色差別の願」という。「形色(ぎょうしき)」とは、形・身体のことで平たい言葉で言えば「見た目」で、見た目・外見のきれい・汚いによる差別をなくしたいというのである。皆が平等に金色に輝いて美しい国にしたい、と。それは、皆が存在しているだけで等しく仏の子としての価値があるからである。

 けれども、現代の日本では、男女ともに外見・外面が美しいか美しくないかが価値の大きな物差しになっていて、密かな、時にはあからさまな差別を生み出しており、存在そのものや内面の価値を見る眼がかなり薄れているように思える。

 それは、物質的外面ばかりに目が向き精神的内面を見失いつつある近現代の世界観(K・ウィルバーの言う「平板な世界(フラットランド)コスモロジー」)の典型的な現われの一つだが、古代の日本のリーダーたちが目指した仏国土とはまるで逆の国になっているというほかない。

 

 そして先取りしてしまったが、第十五願は「無主宰得自在(むしゅさいとくじざい)の願」という。「主宰」つまり独裁的な君主・指導者がおらず、人々が自由を得ることを願うというのである。つまり、「仏国土においては独裁があってはならない」とはっきり書いてあるのだ。

 この願もまた、初めて読んだ時、驚きを覚えたものである。般若経典には、政治と離れた内面の安らぎのことが書いてあるだけでなく、きわめて政治的なことも書かれていて、特にはっきり独裁制を否定しているのだ、と。

 

……菩薩大士が……もろもろの有情が君主に隷属しておりいろいろしたいことがあっても自由にならないのを見たならば……次のような願をなして言う。「私は渾身の努力をし身命を顧みず……私の仏の国土の中のもろもろの有情には君主がなくいろいろしたいことはみな自由であるようにしよう。

 

 こうして見てくると、西洋近代の「自由・平等・友愛」という理想は、はるかに古くからすべて仏教のなかに、空・一如というより深い根拠づけをもって存在していたと言うこともできるのではないだろうか。ただ三番目の標語は言葉としては「友愛」ではなく「慈悲」であるが。

 そして、次の但し書きが的確で渋いと思う。

 

 ただし、如来・真に正しい覚った方があって真理の教えのシステムで〔有情を〕包み込むのは法王であって例外である」。……

 

 こういう指導者は「法王」と呼ぶのであって、例外としてこういう指導者は必要である。仏国土には独裁者・君主は存在してはならない。けれども、人々はまだ煩悩・無明にまみれているので、教え導かなければ、平等で自由で人々が慈しみ合うような美しい仏国土は完成しない。だから、人々を智慧と慈悲に向けて精神的な成長へと教え導く法王は必要であるというのである。

 覚った指導者が人々を導くなどということが実際に可能なのか、夢のようなきれいごと・理想論にすぎないと思う人も多いかもしれない。

 しかし、例えば、そういう法王がいたかつてのチベットは、物質的には貧しかったかもしれないが非常に平和でいい国だったのではないかと推測される。

 そして、より具体的な実例として、ブータンという国がある。ブータンは、もともと法王が国王になった国であり、国王が大乗仏教の平等という思想をほんとうに深く理解していて、近代になると国王自身が政治体制を君主制から議会制民主主義にすべきだと言い出したという。臣下たちが「国王陛下が我々と平等ではもったいない」と言うと、「いや、仏教ではそう言われている」と答え、先代の国王主導で移行が行なわれ代替わりの時から議会制民主主義になったのだという。つまり、ブータンでは大乗仏教の平等の心が実際に生きていて実行されていると見てまちがいなさそうである。

 そして、基準によるが、国民が世界でいちばん幸せな国だという国際的な評価もあることはよく知られているとおりである。それは、たまたま幸運にもそうなったのではなく、大乗仏教の精神を深く身につけた国王が主導して意図的にGDP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福)を目指し、実現しつつあるということだという(大橋照枝『幸福立国ブータン』白水社、ドルジュ・ワンモ・ワンチュック『幸福大国ブータン』NHK出版、参照)。

 日本も原点を振り返ってみると、聖徳太子は日本をそういう人々すべて、さらに生きとし生けるものすべてが幸福な国にしたいと願ったのだと思われる。しかし、日本の場合、千四百年経ってもそうなっていないのはなんとも残念なことではないだろうか。

 とは言っても、現代の日本はすでに近代化され政治と宗教が分離されているから、ブータンと同じようにはできないが、精神においては、ブータンの大乗仏教精神とは日本の元々の精神でもあることをもう一回思い出しなおし、ぜひとも日本を大乗仏教の理想の生きた国にしたいものである。

 それは、もちろん決して仏教を排他的な国教にして他の宗教を否定するという意味ではない。聖徳太子自身、原理主義的に仏教を信奉したわけではなく、仏教を核としながらも「神仏儒習合」という寛容で統合的な精神政策を採用されたのだった。

 そして、すでに述べてきたとおり、仏教の核にある、すべてのものがつながっており(縁起)、分離独立した実体はどこにも存在せず(空)、果てしなくつながっていて究極のところ一つである(一如)という気づき(覚り)は、特定宗教の教義を超えた普遍的なものだと思われる。

 だとすれば、般若経典が示唆するような普遍的な気づきに基づいた国家さらには人類共同体は、これからの世界にとって、可能でもあり、必然的に目指されるべきものではないか、と筆者は考えている。

 

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『サングラハ』第180号が出ました!

2021年12月24日 | 広報

  目  次

■ 近況と所感 ………………………………………………………………………………… 2

■「典座教訓」講義(3) ……………………………………………………岡野守也…… 5

■ コスモロジー心理学各論(7)――なぜ空は青いか?…………………岡野守也……17

■ 痴呆、認知症そして老耄(認知障)(12)………………………………大井玄……… 22

■ 仏弟子たちのことば(12)…………………………………………………羽矢辰夫…… 33

■『人新世の「資本論」』における「脱成長コミュニズム」(1)…………増田満…… 35

■ 講座・研究所案内……………………………………………………………………………… 42

■ 私の名詩選(79) 『万葉集』紅葉の歌…………………………………………………… 44

 

 

  編集後記

 おかげさまで第一八〇号に到達しました。間もなく創刊三十年、引き続きよろしくお願いいたします。岡野主幹による「典座教訓」講義では、典座の仕事を修行の本務であるというのが、単なる心構えではないという本気度が伝わってきます。うまく言い難いのですが、実に「気合」が感じられる回でした。

 コスモロジー各論は、今回は「空が青い理由」です。大気がなければ真っ暗闇に極端にギラギラの太陽…青空が美しいのは、コスモロジー的に当然です。

 大井先生の「痴呆、認知症そして老耄(認知障)」は今回が最終回となります。「認知症」とされるものの多くが人間の正常な老いの過程でもあること、人間の信じる力の可能性というのは驚異的なものがあること、そして何より「知識としての記憶は忘れても、感情としての記憶はしっかり残る」ことを、心に刻みたいと思います。

 羽矢先生の「仏弟子たちのことば」は、因襲的な女性蔑視に直面したマハーパジャーパティーの話が扱われています。

 増田さんは今回から「『人新世の「資本論」』における「脱成長コミュニズム」」と題した、話題の著作の書評と考察の連載となります。

                             (編集担当)

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2022年1月〜3月の講座予定

2021年12月06日 | 広報

 サングラハ教育・心理研究所 2022年上期 講座案内

 

 これまでも繰り返してきましたが、残念ながらこれまで(有史以来)のものの見方・やり方は、ものごとすべてを基本的にばらばらに分離・独立したものと捉える〈分別知(ふんべつち)〉をベースにしたものであり、個人の心にも社会・世界の状況としても、多くの問題を生み出してきました。

 そして今や問題が山積みになっており、このままでは、近未来に希望を見出すことが難しい時代になっています。

 けれども、これまでとは根本的に違うものの見方であるほんとうの智慧、すべてがつながっており究極は一つであることに目覚めた〈無分別智(むふんべつち)〉とそれをベースにすべてのもののそれぞれの姿を適切に捉える〈無分別後得智(むふんべつごとくち)〉を学び身につけることができれば、私たちは、個人としても社会・世界についても、確かな希望を見出すことができると思われます。

 当研究所のプログラムは創設以来、分別知から智慧への心の成長の促進を目指してきました。今期のプログラムもその継続です。

 現在、コロナの状況に対応して、講座はすべてリモートとしています(Zoom使用)。

 遠隔(リモート)には、デメリットもありますが、どんなに遠くにお住まいの方でも参加していただけるというメリットがあります。

 これまで、関心や希望があったにもかかわらず距離的に参加が難しかったみなさん、この機会にぜひご参加下さい。

 

 【リモート日曜講座】「般若=智慧とはなにか――『摩訶般若心髄経(まかはんにゃしんずいきょう)』を読む」

 古代から日本人の心を育んできた大乗仏教、その核心にある「空」「般若=智慧」「菩薩」とは何か。要点をわかりやすく学んでいきます。

 まったくの初心の方の入門としても、中・上級の方の復習・熏習のためにも役立つことを目的としたプログラムです。

 テキストとして、般若経典の集大成である『大般若経』六百巻などのもっとも重要な個所を抜粋編集した『摩訶般若心髄経』を読んでいきます。

 併せてやさしい瞑想法もお伝えしますので、知識だけにとどまらない深い学びをしていただけるはずです。

 ▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布▼時間:13時半〜16時半▼参加費:一般=1万5百円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=7千5百円、学生=3千円

 1月23日 2月27日 3月27日(3回)

 

 【リモート水曜講座】「『正法眼蔵』とやさしい瞑想によるやすらぎの時間」シリーズ

 『正法眼蔵』を学ぶ長期シリーズです。今回は、文体が難解なことで知られる道元禅師の著作としては例外的なほど平易な言葉でありながら、きわめて深い死生観を語った「生死」の巻を選びました。

 『正法眼蔵』は初めての方にも、中・上級の方にも、それぞれのレベルの学びが可能です。

 やさしい瞑想の時間も含め、悩みの多い日常を離れ、深いやすらぎを感じることのできる時間になるでしょう。

 初心の方には、受講前にやさしい道元入門と瞑想入門のテキストも差し上げます。お気軽にご参加ください。

 ▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布▼時間:19時半〜21時▼参加費:一般=7千5百円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=6千円、学生=3千円

 1月19日 2月16日 3月16日(3回)

 

 【リモート土講座】「深い気づきのメソッド――六波羅蜜を学ぶ」第一期

 大乗仏教について入門から初級程度の予備知識と理解があることを前提とした、中・上級者向け(ただし、予め了解の上であれば、入門・初級の方でも受講可)の日々の実践のための講座です。

 大乗の教えの基本である空・中観と唯識を学び、煩悩とは何か、それを超える覚りとは何かについていちおうの理解ができた人の心には、次に、ではどうしたら覚れるのかという実践的な問いが起こるでしょう。

 六波羅蜜、完成(つまり覚り)への六つの方法(メソッド)がある、というのがその問いへの答えです。今期から、その具体的な内容について『大般若経』を中心に学んでいきます

 (瞑想の実習の時間もあります)。

 

 ▼講師:研究所主幹・岡野守也▼テキスト:随時送付▼時間:14時〜16時▼参加費:一般=1万5百円、会員=9千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=7千5百円、学生=3千円

 1月8日 2月12日 3月12日(計3回)

 

○問合せ・申込み方法(各講座共通):研究所HPのフォーム、またはFAX087‐899‐8178、メールsamgraha@smgrh.gr.jp でお問合せ・お申込みください。お申込みの方は氏名、住所、性別、連絡用の電話番号、メールアドレスを明記してください。

 

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