とことん実践してみた結果、結局、そうした苦行では覚れないと判断したゴータマは、再度、徹底的な禅定を試みる決心をします。
そして、苦行で汚れた体を河で洗い、ちょうど通りかかった村の少女スジャータの捧げるミルク粥を飲んで体力を回復しました。
それから、ただひとりネーランジャラー河(尼蓮禅河、ガンジス河中流南岸)のほとりの菩提樹の下に坐り、「覚るまではけっしてこの座を立たない」と決死の覚悟で、静かに禅定・瞑想・思索を始めます。
そして長い禅定の果てについに覚り(成道)、覚った者になったとされています。
後に固有名詞のようになった「仏陀(Buddha)」 とは、もともとは一般名詞の「覚りを開いた人」という意味です。
前428年、35歳のことだとされています。
日本では、12月8日――ちょうど今日ですね――のこととされており、お寺では「成道会(じょうどうえ)」という法要があり、特に禅の道場ではこの時期、「臘八摂心(ろうはつせっしん)」という集中的な修行が行なわれます。
ブッダが覚りを開いた場所は「ブッダガヤー」と呼ばれ、今日に到るまで仏教の重要な聖地になっています。
覚りを開いた後、彼は自分の覚ったことがあまりにも深く高くてとても人には理解できないのではないかと考え、教えることをためらったのですが、ヒンドゥー教の最高神ブラフマナー(梵天)に3度も強く請われ、あえて教える決心をした、という伝説があります。
その後、旧友の修行者5人なら、自分の達した境地を理解できるかもしれないと思い、聖地ベナレスの郊外にある「鹿の園(鹿野園)」というところに行きます。
かつての仲間は、苦行を捨てたゴータマを最初は無視しようとしたのですが、その姿があまりにも爽やかで輝くようなので、思わず出迎え、教えを聞くようになり、弟子になったといわれています。
ここで、仏教の教団が成立したわけです。
その後、毎年雨期には一ヵ所にとどまって定住生活(雨安居・うあんご)をしましたが、それ以外の時期にはつねに国中を遊歴して教え続けました。
最後には、現在のネパールの国境に近いクシナーラーというところで80歳で亡くなりました(「入滅」とか「涅槃に入る」とかいわれます)。
ブッダの伝記は、ちゃんと語るともっともっと長くなり、また感動的なのですが、私の任ではないので、友人の羽矢辰夫さんの著作などにゆずることにしましょう(『ゴータマ・ブッダ』『ゴータマ・ブッダの仏教』〔どちらも春秋社〕)。
ブッダは何を覚り、何を教えたのか。
次回から、これまた簡略に、私の解釈をお話していきたいと思います。
*写真はスコットランド国立博物館所蔵のガンダーラ仏
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余談はさておき、これこそ誠の不退転の決意ですね。覚りを開かれ、どれだけ、爽やかで、まばゆいほどのお姿だったのでしょうか。想像すると胸が高鳴ります。
わたしは、修行などした事もないのに想像だけで申しわけないのですが、どしっとしたものを感じました。
ウスイツカサ