就活に勝つメンタル・タフネス 7

2010年07月23日 | メンタル・ヘルス

 雇用状況がきびしい中、何度か、あるいは何度も入社試験、面接に受からず、すっかり落ち込んでしまう学生がたくさんいます。

 そういう本人や友人がしばしば相談に来ますが、彼らが言う典型的な言葉があります。

 「もう○○社も落とされてしまって、自分を否定されたような気がするんです。自分は誰からも必要とされていないんじゃないかと感じるんです。」

 そういう時、まず「そうか、○○社も採用されなかったんだ。それは、がっかりするよね」とセラピー用語でいえば「共感的アプローチ」をします。

 しかし、少し共感のプロセスを経た後で、「それで、きみは落ち込んでいる気持ちをわかってほしいんだろうか、それともどうしたら就活に勝てるか、方法を教わりたいんだろうか。どちらでも、ある程度は対応してあげられるけど、気持ちをわかってあげてもそれで就活に勝てるわけではないと思うので、僕としては就活に勝つ方法を教えるほうが効率的でいいと思うんだけど、どちらにする?」と聞きます。

 そうすると、多くの学生が「方法を教えてください」と言ってくれます。

 人間にとって感情は大切なものですが、感情に引きずられたり溺れたりするとたいてい失敗するものです。

 そこで、人生(ここではその一部としての就活)で成功するためには、感情を大切にしながらもコントロールする必要があります。

 そこで、まず落ち込みという感情の簡単なコントロール法を伝えます。

 「○○社の人事担当者が君を採用しなかったことは確かに事実だけど、どのくらいの面接時間だったのかな? ○○分、なるほど。
 ところで、君という人間の全体はたった○○分で評価できるほど、単純で小さいものなのかな? そんなはずはないよね。人間はとても複雑で多様な要素をもっている存在だよね。
 人事担当者は、やむを得ず入社試験というごく短い時間の中で見えた君の一部の印象がその会社が要求することとは合っていない、と判断したんだと思うけど、どう思いますか?
 そう、それは、ごく短時間で見えた君の一部が否定されただけで、君という人間の全体が否定されたわけじゃないよね?
 では、『私が否定された』という考えを『私の一部が否定された』と訂正してみよう。それから、さらに『私のごく一部が否定されただけのことだ』と言い換えてみよう。どういう気分がするだろう?」

 「自分(全体)が否定された」のではなく、「自分のごく一部が否定されただけだ」と捉え方が変わると、ほとんどの場合、気持ちが軽くなります。

 続いて、「『誰にも必要とされていない』と感じたんだね。そう感じるとショックだよね。
 それは『みんなが私を必要としていない』と言い換えてもいいよね?
 ところで、えーと、何社だったっけ? ○○社、なるほど。で、面接官は延べ何人くらいだった? そうか、○○人くらい。
 ○○社とその○○人のことを『みんな』と言うのは、言葉の使い方として正確だろうか? 『みんな』という言葉の正確な意味は『人間全員』ということだと思うんだけど、どうだろう? ○○社の延べ○○人は、全人類のごくごくものすごくごく一部だと思うんだけど、どう思う?
 だから、正確に言うと、『誰にも必要とされていない』んではなくて、『ごくごく一部の人に必要とされなかった』ということだよね?
 では、『誰にも必要とされていない』という考え方を、『たまたまごくごく一部の会社には必要ではないと思われただけだ』と言い換えてみよう」

 論理療法や認知療法では、ごく一部の事例ですべてを断定することを「過度の一般化」といいます。

 私たちはよくやりがちなことですが、過度の一般化はとても不正確でたいていの場合非生産的なものの捉え方です。

 人間の感情は、ものごとの捉え方・考え方・認知の仕方によって、大きく左右されます。

 捉え方を変えると、感情も大きく変わるのです。

 〔*これは論理療法の基本的な考え方です。〕

 「自分(全体)が否定された」から「自分のごく一部が否定されただけ」、「誰からも必要とされていない」を「ごくごく一部の人には必要でなかっただけ」と捉え方を変えると、気分はすっかり楽になります。

 さて、落ち込んでいるのと、気分が楽なのと、どちらが就活に勝つ可能性が高まるでしょう? 言うまでもありませんね。

 だったら、しっかりものの捉え方を変えて、気分を楽にして、再度挑戦してみよう!

 10回でうまくいかなかったら、20回、20回でまだうまくいかなかったら、30回。何回うまくいかなくても、最後にうまくいけばいいのですから。

 アメリカの大成功者で、成功哲学の著者でもある、ナポレオン・ヒルが言っています。


 勝つ者はけっしてあきらめない。あきらめる者が成功することはけっしてない。


 若者諸君、勝つまではあきらめるな! 君ならきっと最後には必ず勝てるんだから。




いやな気分の整理学―論理療法のすすめ (生活人新書)
岡野 守也
日本放送出版協会

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就活に勝つメンタル・タフネス 6

2010年07月21日 | メンタル・ヘルス

 明確な目標、積極的な考え方、信念、そして目標を達成したところをありありと思い浮かべられる想像力――以上の四拍子が揃えば、だれでも自分のかかえている問題のほとんどを、首尾よく解決することができる。

 何かを成し遂げたければ、どんな場合でもこの四つの生産的な要因を総動員して、大いに働かせることだ。

    (ノーマン・V・ピール『だれの辞書にも不可能という文字はない』三笠文庫)


 ここで「かかえている問題」を「就活」に置き換えても、ピールのあげている四つの生産的な要因はそのまま当てはまります。

 シリーズの2と3で「信念」の重要さとではどうしたら信念を持てるかという話をしました。

 前回の5では、はっきりした「目標」を立てることについて述べました。

 今日は、「想像力・イメージの力」について話しましょう。

 目標がはっきりし、目標が達成されることを信じながら、次にやるといいのは、目標が達成された場面をありありと想像することです。

 「そんな空想なんて」と思うかもしれませんが、成功した人々が口をそろえて証言しているのは、目標が実現する前にしっかりと実現したシーンを想像したということです。

 私の後輩に、競争率60倍以上という大学助教授のポストにみごと就くことができた人がいます。

 私の訳した『人生に奇跡をもたらす7つの方法』を勧めたら、素直に信じて、しっかり実践してくれたのだそうです。

 どうして、そんなことが起こるのでしょう。

 語呂合わせではありませんが、「想像力」は「創造力」と深くつながっています。

 それは人間の無意識には、意識が想像し信じたことを現実化する驚くべき創造力があるからです。

 意識で信念の言葉を繰り返し、イメージし続けていると、無意識がそれを信じ想像を創造へと錬金術のように変化させるのです。

 就活に勝ちたいのなら、すでに勝った、内定が出た! というシーンを、その時の飛び上がるようなうれしさも一緒にありありとイメージしてみましょう。

 付け加えておくと、イメージする時は、力まないで、すっかりリラックスして、すべてをコスモスにお任せするという気持ちで、すごくいい夢を見るように楽しんでやることです。

 イメージが苦手という人もいるようですが、心配ありません。どんなにぼんやりとしたイメージでも、しないよりはしたほうがはるかに実現の確率が高まります。

 もし絶対ではないにしても、確率が高まるのなら、その方法を使わない手はありませんね。

 それに、繰り返し練習しているとだんだん鮮やかなイメージが描けるようになります。

 想像力にもトレーニングが必要なのです。

 何もトレーニングしないで、きびしい競技に勝った、なんてうまい話は、スポーツ界にはなさそうです。

 就活という競技にも、トレーニングは必要です。

 そしてトレーニングは、したらしただけの結果が必ず出るのです。

 さあ、「内定が出た! やったー! よかった、よかった!」というシーンを繰り返し想像してみてください。

 だいじょうぶ! きっとうまくいく! 
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就活に勝つメンタル・タフネス 5

2010年07月17日 | メンタル・ヘルス

 何か願望を実現したい――この場合、就活に勝ちたい――と思った場合、まず最初にするべきことは、目標を明確にすることです。

 漠然とした夢とか願いではなく、はっきりした目標を立てるのです。

 なんとなく、「どこかいいところに入れるといいなあ」ではなく、「こういう仕事がしたい」「この仕事に就きたい」「この会社に入りたい」とはっきりさせる必要があります。

 目標が明確になると、自然に熱意が湧いてくるでしょう。

 その熱意を表現し、それが採用側に伝わると、採用される確率が非常に高くなります。

 私も、21年会社勤めをし、そのうちの4分の3くらいは役員でしたから、採用する側の気持ちはよくわかります。

 能力が似たり寄ったりの入社希望者がいたら、その中でいちばん「御社に入りたいんです」と熱意をアッピールする人に心を動かされます。

 能力が少し劣っているかもしれないと思っても、とても熱心だと、「この子、やる気十分だな。使えそうだ。指導すれば、伸びそうだ」と思わされて、その人を採用したりします。

 熱意が相手の心に伝われば、もう心の「内定」です。

 心で内定すれば、実際の「内定通知」はすぐ、もう時間の問題です。

 しかし、ほんとうにその会社に入りたいのかどうかよくわからないが、とりあえず受けるという場合があるでしょう。

 その場合、どうせ受けるのなら、そしてどちらかというと「受かったほうがいい」のなら、熱意があるふりをすることです。

 ただし、そのふりは、まず自分の心から始めます。

 「私はこの会社にどちらかというと入りたい」という気持ちを表現する言葉を、「どちらかというと」を取って「私はこの会社に入りたい」に換え、さらに「ぜひ」を加えて「私はぜひこの会社に入りたい」と換えて、自分の無意識に言い聞かせるのです。

 繰り返し言い聞かせていると、やがて無意識が信じ始めます。

 無意識が信じ始めると、それが全身心に現われ始めます。つまり、熱意が湧いてくるのです。

 熱意が溢れるように湧いてきて、それが相手に伝われば、ほとんどまちがいなく「内定」です。

 熱意がないまま、入社面接を受けるのは、かなり時間のムダです。面接官の目は節穴ではありません。やる気のないのはすぐばれるのです。

 受けるのなら、熱意を湧き上がらせる。熱意が湧き上がらないのなら、湧き上がるような目標を探す。

 どちらにせよ、きみならできる! 大丈夫! きっとできる!




 
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梅雨時のポジティブ・シンキング

2010年07月14日 | メンタル・ヘルス

 *今日、O大学のチャペル・アワー(礼拝)で以下のような話をしました。ブログ受講生のみなさんにもおわかちします。


 聖書:新約、ローマの信徒への手紙一・二〇
     :旧約、ヨブ記三六・二四―二九、三七・一一―一三
  
 讃美歌:二二六番 一、二、四節(「センス・オブ・ワンダー」の講話の時にも歌いました。)


 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。


  世の人は神の御業に賛美の歌を歌う。
  あなたも心して、ほめたたえよ。
  人は皆、御業を仰ぎ
  はるかかなたから望み見ている。
  まことに神は偉大、神を知ることはできず
  その齢を数えることもできない。
  神は水滴を御もとに集め
  霧のような雨を降らす。
  雲は雨となって滴り
  多くの人の上に降り注ぐ。
  どのように雨雲が広がり
  神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを
    悟りうるものがあろうか。……
  雲は雨を含んで重くなり
  密雲は稲妻を放つ。
  雨雲はここかしこに垂れ込め
  導かれるままに姿を変え
  命じられるところを
  あまねく地の表に行う。
  懲らしめのためにも、大地のためにも
  そして恵みを与えるためにも
    神はこれを行わせられる。


 今日のために選んだ聖書の箇所は、旧約聖書の方は梅雨時にふさわしく雨と雷と稲妻の話です。この箇所の朗読を聞いて、みなさんは何を感じたでしょうか。

 キリスト教徒でない人は、文章はなかなか格調が高くて文学的だけれども、神が雨を降らせ、雷をとどろかせ、稲妻を閃かせるなどというのは非科学的なおとぎ話だと思うかもしれません。

 チャペルアワーに何度も参加した人は何度も聞いていると思いますが、私も「白いヒゲで白い衣を着て光り輝いている超能力のおじいさん」というふうな神さまは信じていません。

 雨を降らせるのはそういう神さまではなく、まずは自然だと思っています。そしてその自然は大きなものなので大自然という言葉で表現できるのではないでしょうか。

 しかし今日一緒に考えたいのは、「大自然」という言葉で表現されていることの中身を私たちがどのくらい深く本当に理解しているかということです。

 確かに私たちは雨や稲妻は目で見ることができますし、雷は耳で聞くことができます。しかし雨を降らせ、稲妻を閃かせ、雷をとどろかせている「大自然そのもの」を見たり聞いたりしているでしょうか。雨や稲妻や雷を通じて大自然の働きを感じているだけなのではないでしょうか。

 ましてや大自然の力ということになると、そういうさまざまな自然現象を通じてその向こうに大自然の力を感じているということなのではないでしょうか。

 私たちは大自然や大自然の力を直接知っているつもりでいますが、本当は個別のさまざまな自然現象、つまりここでは雨や稲妻や雷によって間接的に大自然や大自然の力を感じ取っているだけなのではないでしょうか。

 そういう意味で、本当の大自然は私たち人間が直接、全面的に把握することのできない「大きな大きな何ものか」なのです。毎回のように言っていることですが、私たちが知っているつもりの、しかし本当には完全に知ってはいない何か大きなもののことを英語では「サムシング・グレイト」といいます。

 私たち現代人は、もちろん旧約聖書や新約聖書の書かれた古代の人々よりは大自然について豊富な知識を持っています。それが相当に豊富なので、まるで全部知っているかのような錯覚が生まれているのではないか、と私は考えています。しかし、相当に豊富だということは完全に全部知っているということではありません。

 とはいっても、研究・探究の努力が千年、二千年、三千年と続けられてくると、現代人は古代の人々とは比較にならないくらい自然について知識を得ることができています。しかし、ここが大事なことなので繰り返しますが、相当に豊富、古代とは比較にならないくらい、ということは、全部を完全に知っているということとはまるで別のことなのです。

 もしかしたら、科学が進歩したら人間は宇宙のすべての謎を解き明かすことができると思っている人がいるかもしれませんが、宇宙の広さとそこに存在するであろう膨大な情報の量を考えると、情報処理の理論からしても、あと千年、二千年経っても宇宙のすべてを完全に知るなどということはあり得ない、と私は考えています。

 宇宙そのもの・宇宙全体は、宇宙で起こっている様々な現象つまり自然現象から想像・推測することができるだけでしょう。

 その完全には知り得ないものを古代の人たちは「神」と呼んだのだとすれば、それは現代人にとっても本当には知りえない全体としての大自然・宇宙とまったく別のものではない、と私は考えています。

 神と呼んでも大自然あるいは宇宙と呼んでもサムシング・グレイトと呼んでも、それはどちらでもいいことではないかと思うのです。ともかく私たちが知り尽くすことはできないそういう大きな何かが、雨を降らせ、稲妻を閃かせ、雷をとどろかせているのは間違いないのではないでしょうか。

 新約聖書の主要な部分を書いた大使徒パウロは、そのあたりのことをとても深く自覚していたと思われます。それが、先ほどの聖書の箇所です。もう一度読んでみましょう。

 「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」。

 「被造物」とは、現代的に言えば自然のいろいろなものや自然現象のことです。神そのものは見ることができず、しかし神の永遠の力とその本性つまり神性は、目に見え、耳で聞くことができ、鼻で嗅ぐことができ、舌で味わうことができ、手で触ってみることができるものを通して知ることができる、というのです。

 今日は、梅雨時にちなんで、特に雨に限定してもう少し考えてみましょう。

 いうまでもありませんが、雨は水です。水は、水素原子二個と酸素原子一個が結合したものでしたね。さて、では水素や酸素は、誰が、あるいは何が作ったのでしょう。水素と酸素とを結合させたのは誰または何でしょう。

 そして、その結合した水が氷でも水蒸気でもなく、液体状の水としてたっぷりあるのが、「水の惑星」と呼ばれる私たちの地球ですが、太陽系の惑星の中で液体状の水がこんなにもたっぷりある星は地球だけです。地球より太陽に近い水星にも金星にも、地球より遠い火星、木星、土星などにもありません。地球をそういう「水の惑星」にしたのは何でしょう。

 そのたっぷりある水が集まったところを海といいますが、その海の水が太陽に熱せられて蒸発して空に上って雲になり、風に乗って移動し、やがて冷えて雨になって降ってきます。海の水を熱して水蒸気つまり雲にする、その太陽を作ったのは何でしょう。

 みんな偶然の産物なのでしょうか? 偶然にしては大自然はあまりにもうまく出来すぎているとは思いませんか?

 大自然の中で、雨はどういう働きをしているのでしょう。先ほどの旧約聖書の箇所では、まず「懲らしめのため」となっていました。

 「人間を懲らしめるために雨が降る」と言うと、なんだか迷信っぽいと思いますか。確かに特定の個人がしたことに対して罰として雨が降るというのは、非常に素朴な民俗的な信仰でしょう。

 しかし、これを大自然と人間の関係を語ったものと解釈すると、象徴的な意味のあることが語られています。最近の局地的集中豪雨を地球生態学・エコロジーから考えると、それは人間が自然環境を壊し自然の調和を乱しつつあるのに対して、自然が異常気象というかたちで懲らしめようとしている、その現われと捉えることもできます。

 大雨に見舞われた時――災害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げますけれども――「自然災害」と呼んで困るにとどめず、私たち現代人は自然に対して畏れ・畏怖の念を感じ、人間の文明の営みを反省する機会として捉えることも必要なのではないでしょうか

 次に「大地のため」とありますが、まさに雨のおかげで大地が潤い、大地が潤ったおかげで植物が育つことができ、植物が育つおかげで植物を食べる動物たちが生きることができ、そういう動物が生きているおかげで動物を食べる動物も生きることができ、そして何よりも水を飲み、植物と動物を食べて生きている私たち人間も生きることができています。

 それこそ、大地とすべての生き物に「恵みを与えるため」に雨が降ると言っていいでしょう。
 すべての生き物は細胞から成っており、細胞には水が不可欠です。私たち人間の体の六〇以上七〇パーセントくらいが水分なのだそうです。水がなければ、私たちは生きられない。その水のほとんどはもともと雨として空から降ってきたものです。海の塩分の多い水はそのままでは陸上の生物には使えないことはよくご存知のとおりです。

 雨が降るから私たち陸上の生き物が生きることができる。だから、基本的には雨が降るということは私たちにとって、いいことであり、ぜひ必要なことなのです。

 神あるいは大自然あるいはサムシング・グレイトが雨を降らせてくれるのは、時には懲らしめのこともありますが、基本的には私たちにとって大きな恵みというほかありません。

 雨が降ってうっとうしいと感じることのある梅雨時ですが、そういうふうに考えると、「雨が降るのはいいことだなあ」とポジティヴに考えることができるのではないでしょうか。

 こういう考え方には慣れていない人が多いでしょうから、急には無理かもしれませんが、「雨が降るのはいいことだなあ」と考え、そして感じる練習をしてみてください。

 それから、恵みの雨を降らせる大いなる何ものかのことも感じてみてください。

 そうすると、きっと自分の人生に対してとてもポジティヴになれると思います。

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就活に勝つメンタル・タフネス 4

2010年07月12日 | メンタル・ヘルス

 ここのところ、N・V・ピールの本を集中的に読んでいます。

 いい話がたくさんあって、本をすべて引用したくなるほどですが、それでは著作権法違反になりそうなので、特にいいところを紹介することにしましょう。

 「メンタル・タフネス」というと、筋肉マン的な心のことだと誤解する人がいますが、そうではありません。

 それは、私の訳したD・チョプラ『人生に奇跡をもたらす7つの法則』(PHP研究所、残念ながら品切れ中に他社に翻訳権を買い取られて、私の訳は絶版。身近な人に「私の翻訳のほうが良かったでしょう?」と聞いたら、率直に「一長一短ですね」と言われてしまいましたので、どちらの訳で読んでもいいようです)に、

 「あなたは、樫の木が嵐の中で頑固に立っていて結局折れて倒れるようなことを望まないでしょう。そうではなく、葦が嵐になびいて生き延びるように、柔軟でありたいと思うのではないでしょうか」(92-93頁)という言葉があるように、とても柔軟な心なのです。

 柔軟なメンタル・タフネスは、かならず柔らかな感受性を伴っています。

 以下の引用は、そういう感受性豊かなメンタル・タフネスの秘訣を示していると思います。


「情熱というのは、生命の最高の質のひとつである。しかし、実際の行動にあらわれるのでなければ、人生を動かす要素となることはない。

 幼い子どもの特性は何か、考えてみるとよい。それは情熱だ。子どもは、この世界は素晴らしいと感じている。この世界が好きだ。ありとあらゆるものごとに、心から関心を示す。イギリスの生物学者で哲学者のトーマス・ハクスリーは、天才といわれる人の秘密は、幼い子どもの心を年をとってももちつづけていることだと言った。その意味が、情熱を決して失わないということである。

 しかし、子供のみずみずしさを保ちつづける人は少ない。情熱が枯渇してしまうのだ。自分の人生が実りうすいと感じる人は、心の情熱の状態を調べてみるとよい。

 私の母は、私が知るかぎり、もっとも情熱的な人のひとりだった。ありふれた日常の事柄のなかから、心踊らせるものを見出すことができた。冒険的なものや、大喜びの種を見出す能力を持っていた。世界を旅したが、どこに行っても心の底から喜んだものだ。

 ある霧の深い夜、私と母は、フェリー・ボートでニュー・ジャージーからニューヨーク市へと向かっていた。私にとって、美しいと感じられるものは何もなかった。何しろ霧の夜の船の旅であり、何も見えなかったのだ。しかし、母は「わくわくするわ」とはしゃいでいた。

「何が、そんなに、わくわくするんですか」と私はたずねた。

「だって、霧も、光も、それにフェリー・ボートもすてきじゃない。ほら、光が霧のなかに消えていく。なんて神秘的なんでしょう」と母は答えた。

 その時、霧笛の音が、重くたちこめた白い霧のなかに低く響いた。母の顔は、興奮しきった子どものようだった。私自身はといえば、早くこの河を渡ってしまいたいと思うばかりで、この船旅になんの感動もおぼえなかったのである。

 その夜、母は、手すりのそばに立ち、私をじっと見つめて静かに言った。

「ノーマン、私はあなたにいろいろと助言をしてきたわ。あなたは、それに従ったこともあるし、耳をかさなかったこともある。だけど、もうひとつだけ言っておきたいことがあるの。覚えておきなさい。それは、この世界は、美しさと驚きで心が踊るようなものに満ちているということよ。それに心を向けるのです。この世界と、その美しさ、そして人びとを愛するのです」

 だれでも、この単純な助言を素直に取りいれ、それに従うなら、情熱に満たされ、喜びにあふれた人生を生きることができる。私はそう信じている。私も母の助言に従ったおかげで、いま大きな幸福を味わっているのである。」

 (N・V・ピール『積極的考え方の人生――喜びと情熱があなたを新しくする』森優訳、ダイヤモンド社、三-五頁)


 就活が(当面)うまくいかなくて、「いっぱいいっぱい」になっている(ような気がしている)諸君、深呼吸して、リラックスして、しばし就活のことは心の脇においておいて、梅雨の晴れ間の青空や、緑に繁った木々や、もう鳴き始めたセミの声や、そういうすてきなものに心の目を向けてみませんか。

 バーンアウトするまで走るのがメンタル・タフネスではなく(まあ、そういうのもあってかまいませんが)、必要な時はちゃんとエネルギー補給をできる心の余裕があってこそ、ほんもののメンタル・タフネスが身につく、と私は考えています。



古書で入手可能

積極的考え方の人生―喜びと情熱があなたを新しくする
N.V. ピール
ダイヤモンド社

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これも古書で入手可能

人生に奇跡をもたらす7つの法則
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