年越しのレポート採点

2012年12月31日 | 心の教育

 七十歳まで続けようと思っていた大学への出講を、考えるところがあって、今年度いっぱいで終わりにすることにしました。

 非常勤講師で毎週一コマという形ではいちばん長い法政大学での講義は、数えてみるとちょうど一回り十二年になりました。

 最初の年十八歳だった若者が、もう三十歳になっているという長さです。

 一〇七名から始まり最多の年には七七〇名に達し、学生たちの反応にやりがいや面白さを感じると同時に、膨大なレポートの採点にはかなりまいるなという感じでした。

 今年度後期は、なんとか五五〇名ほどまでに減りましたが、それでもレポートが多くて、年末最後の最後まで読み切れず、年を越してしまうことになりそうです。

 しかし大変だなと思う一方、下のような感想を読むと(すべて社会学部の一年生)、「やはり教えてよかった。このやりがいと大変さのアンビバレンツな感じも、今年度で終りなんだなあ」という感慨があります。

 これ以外にもとてもたくさんの学生が「ありがとうございました」「さみしいです」という言葉を書いてくれたのは、こちらも本当にありがたく、そしてさみしくもあります。

 しかし、惜しまれているうちに去るのがいいのかもしれません。

 年が明けて最初の授業一回ですべて終了です。実際に終わってしまったあとで、多分もっと深い感慨が湧いてくるのでしょう。

 何かが終わり、何かが始まる、そしてそれぞれに人間・凡夫らしい感慨が伴う。そのすべてが無常の時のなかの自然なことなのだな、と思います。


 前期の授業を受けて、私たちは他のすべてのものとつながっていて一つである、ということを学び、私はずいぶんと生きやすくなり、心のつかえもとれたような気がしていましたが、具体的に何をしたらよいのかわからなく、もどかしく思った時期もありました。
 しかし、後期のこれまでの講義を受けて、これから自分が何をすべきなのか、方向性が見えてきた気がします。私にできる道筋を示してくれたこの講義は本当に有意義なものであったし、先生には本当に感謝しています。来年度、ぜひとも後輩たちにも先生の講義を薦めたいと思っていましたが、今年度で退職なさると知り、寂しく思っています。
 私はまだまだ未熟で、煩悩から抜け出して覚りの境地には程遠く、長い時間がかかると思いますが、少しでも覚りに近づけるよう、努力してきたいと思います。
そして、いつの日かまた先生にお目にかかることができればと思っています。
 一年間、お世話になりました。本当にありがとうございました。


 中学3年の合唱コンクールで他クラスが歌った曲で広く感銘を受けたものがある。「cosmos」という曲である。星空の下で、私たちは皆宇宙の一部であり、皆一つなのだと語る、といった歌詞であった。一方、自分のクラスが歌った曲は国を追われた流浪の民が安住の地を求めさすらう内容であった。これこそ、仏教そしてこの唯識の煩悩から覚りの図式なのではないのだろうか。煩悩に苦しみ、さまよう中で自己と宇宙との一体感に気づき、救われる。この体験がこの唯識の理解の手助けにつながったのではないだろうか。5年ほど前の出来事であるが、このレポート作成にあたり、授業以来あらためて唯識について整理し直して思い出した。そして当時の感動が脳裏によみがえった。苦しみの先にある宇宙との一体感という光がこんなにもすばらしいものなのだと。こんなにも身近なところに宇宙との一体感に気づくチャンスがあったのに、なぜ今まで気づかなかったのだろう。春先から前期・後期を通じて先生から教わってきたが、このようなすばらしいことに気づかせていただいた先生には感謝の言葉も見つからない。そんな先生が今期で法政大学から去ってしまうのはたいへん寂しいことだが、先生にはぜひともこの世界観を新たな地でも広められることを切に願うばかりである。また私自身も唯識の歩みを実践していきたいと思った。


 私は前期も後期もこの授業を受けました。初めの頃、先生はこの授業を真面目に受ければ、絶対に変わるとおっしゃっていましたが、やはり最初は私も半信半疑でこの授業を受けていました。しかし、一年間この授業を受けて、私はすごく変われた気がします。周りから見たら本当に変わったかなんてわからないかも知れませんが、自分の考え方は確実に前向きに変わっています。全てのものは宇宙レベルでみなつながっていて、私もそのつながりの中で生まれました。それを考えると、自分とつながっているすべてのものへの感謝の気持ちと、今、自分がここに存在している意味を見出せる気がします。今まで私も、自分が幸せで充実していればいいやという自己中心的な考え持っていました。でもこの授業で、自分という存在と改めて向い合い、そのような考え方がどれだけ恥ずかしいものだったか気づくことができました。唯識という考えを学んで、生きることが今よりもっと楽しみになりました。先生の授業を一年間受けることができて本当に良かったです。『「日本再生」の指針』も買ったので、ぜひ読みたいと思います。一年間ありがとうございました。この授業で学んだことを大事にしてこれからもがんばっていきたいです。


 「現代社会と宗教」の講義、前後期の二冊のテキストを通して、私の考えは、入学したときとは大きく変わったものになりました。入学したころ、私たち人間は、親から先祖、太陽、食べ物、水、空気など私ではない他のものとのつながりの中で生きていて、自分一人で生きることはできないという考えなど微塵もなくて、「俺はもう大人なんだから誰の世話にもならない。自分一人で生きていける」という風に考えていました。しかしその考えは、「現代社会と宗教」という講義によって大きく変わりました。
 「世界は、一つであり、全てがつながっている」、こういう風な考え方が世界中に広まっていけば、戦争や犯罪などは全ておかしいものだと考えてなくなるのではないのかと、私は本気で思います。
つながりというのは、あるのが当たり前すぎて、その存在になかなか気づくことができないものだと思います。私は、この講義、二冊の本によってその存在に気づくことができ、考えを変えることができました。
これからの人生は「一つから世界を見る」という見方で生きていきたいと感じました。


 なお、大学での授業は今年度ですべて終わりですが、このネット授業+αは続けますので、よろしければ続けてお読みいただけると幸いです。

 では、読者のみなさん、よいお年を。




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日本未来の党分党について

2012年12月29日 | 持続可能な社会

 思うところがあり、今後、政治・経済・社会・環境といったテーマ(4象限理論でいえば右・外面)については、なるべく「持続可能な国づくりを考える会」のブログに、コスモス・セラピーや仏教など(左・内面)についてはこちらにという書き分けをすることにしました。

 このブログを読んでくださっていて、右・外面に関する私の発言にも関心をもってくださる方には、今回のように「持続可能……」に記事を書きましたというお知らせとリンクをしますので、お手数ですがそちらに飛んでください。

 「持続可能な国づくりを考える会」のブログに「日本未来の党分党について」という記事を書きました。よろしければ、ぜひご参照ください。

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民意が反映される選挙制度を!

2012年12月24日 | 持続可能な社会

 大学の年末などのことで時間を取られていて、選挙結果についての感想を書こうと思いながら遅くなっていました。

 特に原発をめぐる「民意」についての私の感触と選挙結果のあまりの違いに驚いきましたが、18日の東京新聞の記事でなるほどと思いました(知りたいことを伝えてくれない今のメディアの困った状況の中で東京新聞はよくがんばってくれていると評価しています)。

 「持続可能な国づくりの会」の「理念とビジョン」で主張してきたとおり、民意が十分反映され急速に変化する状況に対応できる迅速な決断ができる政府を選ぶためには、やはりスウェーデンのような比例代表制、一院制が採用されるべきだ、と改めて思いました(持続可能な国づくりを考える会「理念とビジョン」参照)。

 特定の問題についてだけでなく、全体としての民意を反映した政党が必要であることは言うまでもありませんが。


 以下、読みやすくするための改行を加え、筆者の強調したいところを赤字にして、東京新聞18日朝刊の記事を引用します。
 

 自民 民意薄い圧勝 小選挙区24% 比例代表15%


 戦後最低の投票率となった十六日の衆院選は、自民党が定数(四八〇)の六割を超える二百九十四議席を確保する圧勝で終わった。

 しかし小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約四分の一、比例代表に至っては15・99%だった。

 自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる。

 衆院選の投票率は小選挙区で59・32%戦後最低を記録した。

 一方、自民党の得票率は小選挙区が43・01%。比例代表は27・62%。ただし、これは投票した人の中での比率だ。

 全有権者に占める比率は24・67%、比例代表は15・99%となる選挙区でも比例代表でも自民党候補や党名を書いた有権者は「少数派」だ。

 ところが、自民党が獲得した議席は小選挙区で定数の79%にあたる二百三十七議席、比例代表は、同31・67%の五十七議席だった。

 現在の衆院選挙制度は、小選挙区制と比例代表の並立制を採用している。

 民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた。

 民主党は、小選挙区で自民党の約半分にあたる22・81%の得票だったが小選挙区での獲得議席は自民党の一割強の二十七にとどまった。ここで両党が明暗を分けた。

 このようなずれは、十二党が乱立した今回の衆院選で、多くの候補が票を食い合ったことが最大の要因。

特に、最大の争点の一つだった原発政策で「原発ゼロ」を公約する政党が小選挙区で競合し、結果として原発を容認する自民党を利した形だ。


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とても残念な……

2012年12月16日 | 持続可能な社会

 衆議院選挙の開票結果の途中まで見ていました。

 とても残念な結果(まだ最終ではありませんが大勢は決まったようです)です。

 これは、国民総体にとってとてもよくない選択だった、と私は考えます。

 確かに、「自民がダメなので、一度民主にやらせてみるか」という感じの支持だったのを民主党政権が全面的支持と思い違いして、民意・期待に反する政策を強行したことが原因で、こういう選択をした気持ちは私も共有しますが、それにしても近未来、国民総体が悔いることになる選択だったと考えます。

 「民主がダメなら、やっぱりもう一度自民に」は、よくない選択です。

 これで当面、確実に日本は「持続可能な国づくり」からさらに後退したというほかないからです。

 しかし、これですぐに日本も政治も終わるわけではありません。

 これから日本はどちらに向かって進むべきか、気長なメッセージ発信を続けながら、国民総体の方向転換を待ち続けるつもりです。

 私同様がっかりしたみなさん、あきらめるのはまだ早い、というか、この件に関しては次世代のために決してあきらめてはならない、と思われませんか?


 
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新刊案内:ストイックという思想

2012年12月16日 | 生きる意味

 昨年11月に出した『コスモモロジーの心理学』(青土社)以来1年ぶりに新しい本を出します。

 『ストイックという思想――マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む』(青土社)という本です。

 内容紹介として「あとがき」の一部を転載します。


  古代ローマの賢人皇帝マルクス・アウレーリウスの残した言葉が、今さまざまな困難をかかえた時代を生きる私たちにとって、くじけることなく強く生きる、生き抜く、生き切ることのできる心を持つための大きなヒントになるのではないか、と思ったのが本書の元になった講義を始めた動機でした。

 二〇一一年三月十一日の東日本大震災そしてそれに続く福島原発の事故は、日本人の誰にとっても大きな衝撃だったのではないでしょうか。そして復旧―復興も十分にははかどっておらず、原発事故は本当には収束などしておらず、その社会的・経済的・心理的衝撃は、直接被災していなくても、心の傷、痛み、不安、無力感、絶望といったかたちでいまだに強い余震のように私たちの心を揺さぶっています。

 あまりにも過酷な出来事に遭遇してしまった時、人間の心は自分を防衛するために無意識的にいろいろなメカニズムを使うことは精神分析が明らかにしたとおりで、例えば意識の底に押し込めてしまう「抑圧」、なかったことにする「否認」、他人事のように思いなす「隔離」、あるいは大人としての対応ができなくなる「退行」などなどがあります。

 そうした防衛メカニズムは一時的で度を越さなければ心の健康を守るためのやむを得ない正常な反応ですが、度を越し長引いてしまうと、自分を守るどころかかえって心の病を発症すると言われています。過酷な出来事が過ぎて、防衛メカニズムでやりすごす時期が過ぎたら、つらくても出来事の記憶に意識的に直面し自分の人生体験の一部としてしっかり受容・統合する必要があるとされています。

 しかし、大変な出来事(およびその記憶)にただ意識的に直面しようとするのはまさにあまりにも過酷であって、直面してそれに耐え切り、それを受け止め受容するためのベースになる考え方・思想・世界観(コスモロジー)が必要なのではないか、と私は考えています。

 まして、出来事が一時的なことでなく長引く過酷な状況にまでなっている場合はますますそうだと思われます。そして、問題山積の現代の日本では、全体としての状況はすでにかなり厳しく、次第にさらに過酷になり長引きつつあるのではないでしょうか。
 そうした状況の中で生き抜き、生き切るために、マルクス・アウレーリウスが拠り所としてストア派哲学=ストイシズムが私たちの心の拠り所になりうるのではないか、と私は考えています。

 生きる理由は楽しみ・快楽にあるという思想を快楽主義といい、それに対して生きる理由は自分のなすべきこと・使命(ミッション)を果たすことにあるという思想をストイシズム・ストア主義といい、それは一般的に理解されている「禁欲主義」というよりもっと大きく深い意味を持っています。

 今の日本では「ストイシズム」「ストイック(ストイシズム的)」という言葉は、例えばスポーツ選手や芸術家などが夢・高い目標を実現するために目先の楽しみや楽さを犠牲にして禁欲的に努力するという意味に取られています。もちろん、そういうストイックな生き方もすばらしいと思いますが、本来のストイシズムは個々人の夢や目標ではなく、社会が必要とする仕事・公務(ミッション)を自分の損得、好き嫌い、快不快を超えて果たし抜くことに人生の意味、真の自己充足、満足感――それをストア派的=ストイックな幸福と言います――を見出すという思想です。

 今、厳しい時代の中で、大人であれば誰でも果たすべき社会的責任を持っており、そういう意味では大人はみな公務(ミッション)を担う公人であると言えるのではないでしょうか。そして、自分の置かれた場所で、退行せず、隔離せず、否認せず、抑圧せず、事態に凛として直面し、自分の責任を果たし切るところに公人としての誇り・大人の幸福を見出すことは、やさしいことではなくても不可能ではないと思われます。

 楽や快楽を求めるよりも、凛として勇気を持って自分の責務・公務を果たし、生きられるだけ生きたら爽やかにこの世を去っていく、それが人間の生き死にする意味であり、しかもそれは無になることではなく大自然・宇宙に帰っていくことだ、とストア哲学は語っています。

 繰り返すと、私が宇宙の中に生まれて来た理由は、宇宙から与えられた使命・公務を果たすことにあり、死はその宇宙への帰郷である、というストア派の世界観(コスモロジー)は、困難な時代のローマ皇帝ほどではないにしてもそれなりの公人である私たちの心の支えにもなるのではないか、というのが、震災そして原発事故の直後、本書の原形となった講義(「サングラハ教育・心理研究所」第三五期オープンカレッジにて二〇一一年四月から七月まで計七回行)をし、そしてそれを元にした雑誌連載(機関誌『サングラハ』の第一一六号・二〇一一年三月から第一二三号・二〇一二年六月まで)を行ない、さらにそれを徹底的に推敲して本書の原稿を書いた動機です。

 筆者が、ストア派哲学、それを自ら生きたマルクス・アウレーリウスのまさにストイックな言葉と生き方に、読む度に受けてきた爽やかな感動を、読者にもお伝えできたら大きな喜びです。




ストイックという思想
クリエーター情報なし
青土社
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明日は選挙に行こう!

2012年12月15日 | 持続可能な社会

 いよいよ明日は選挙です。

 私のブログを読んでいてくださるみなさん、選挙は必ず行きましょう!

 特に若者の読者諸君、ぜひ行ってください。

 政治の未来は、諸君の生活の未来に決定的な影響を与えるからです。

 そして、投票は民主主義国家の国民の権利であり義務です。

 さらに、なにより棄権は意思表示になりません。

 全面的に支持できる政党がなければ、いちばんましだと思う党に投票しましょう。

 支持票でなくても、批判票を投じましょう。

 ともかくなんであれ、投票には行きましょう。

 すでに言いましたが、私は、まだまだ頼りないところがあるにしても、未来に向けたメッセージをもっているという点で「日本未来の党」に一票を投じます。




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「持続可能な国づくりの会」学習会案内

2012年12月14日 | 持続可能な社会

 日本の目前の大きな話題は衆議院選挙の行方ですが、中長期の本質的な課題はどうしたら日本を「エコロジカルに持続可能な国」にすることができるかということです。

 私は、党首の基本的な考え方がまちがいなくそういう方向に向かっているという理由で、「日本未来の党」を支持することにしています。

 しかし、HPなどの情報を見るかぎり、日本未来の党が国民のための国政を担える党になるには、まだいろいろな面で補充、強化、深化、拡大しなければならない課題があるとも思っています。

 そういう状況の中、持続可能な国づくりに必須の条件は何かを、みんなで考えるために、来年1月13日、東京飯田橋で、私が関わっている「持続可能な国づくりを考える会」主催の「持続可能な国づくりの条件~4象限で読み解くスウェーデン・ブータンモデル~」と題した学習会を行ないます。

 今、先進国ではスウェーデン、開発途上国ではブータンが、もっとも意図的にエコロジカルに持続可能な国づくりに接近していると思われますが、それぞれの国でなぜそれが可能になっているのか、社会の内面と外面、個の内面と外面という4つの象限にわたる理由・条件について、私が発題講演を行ない、その後参加者全員でしっかりと討論を行ないたいと思っています。

 詳細は持続可能な国づくりの会のブログ案内をご覧ください。

 これからの日本をどういう方向に向けていけばいいのか、問題意識を共有する方多数のご参加をお待ちしています。

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