真理の3つの印:三法印

2005年12月21日 | 心の教育

 生前、ゴータマ・ブッダは、自分の教えを本に書こうとか、体系的にまとめておこうという意図は持っていなかったようです。

 教えているその時その時、聞いている相手にふさわしい、相手の慰めや救いになるような説き方をしています。

 それを「応病予薬(おうびょうよやく)」とか、「対機説法(たいきせっぽう)」とか、「方便(ほうべん)の教え」といいます。

 余談ですが、「ウソも方便」ということわざは、こういうところからきています。

 そのため、ある人に説いたことと別の人に説いたことが、単純な論理でいえばくい違っているということがしばしばあったようです。

 もっとも典型的なのは、死後の生・輪廻があるかないかということについても、ある人には「生きているときにいいことをしたらいいところに生まれ変わる、悪いことしたら悪いところに生まれ変わる」といった説き方をしており、別の人には「修行者にとって輪廻があるかないかはどうでもいいことだ」というニュアンスの説き方をしています。

 この2つは、単純に取ればもちろん矛盾していますね。

 こういうことが他にもいろいろあったようです。

 それで、弟子たちがブッダの真意がどこにあるかわからなくなった場合、生きている間はブッダに直接聞けばよかったのですが、ブッダが亡くなった後、どう解釈すればいいかいろいろ問題が起こってきます。

 そういうこともあって、ブッダの死後、言い残した言葉の解釈の違いなどによって、仏教にはいろいろな派ができてきます。

 そこで後に、最小限3つないし4つの特徴があることが「仏教」と呼ばれる条件であるとされるようになりました。

 「三法印(さんぼういん)」とか「四法印(しほういん)」とかいわれます。3つないし4つの法=真理の印という意味です。

  「三法印」というのは、次の3つのコンセプトです。

 ①諸行無常(しょぎょうむじょう)=すべての形成された存在は変化する。

 ②諸法無我(しょほうむが)=あらゆる存在は実体ではない。

 ③涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)=煩悩が鎮まると絶対の安らぎに到る。

 「四法印」は、この②と③の間に「一切皆苦(いっさいかいく)=すべては最終的には自分の思いどおりにならないので不条理感の苦しみがある」を入れます。

 この「三法印」または「四法印」をどう解釈するかは、派によってかなりの違いがあります。

 ここでコメントしておくと、この授業では、話が複雑になりすぎないように、大乗仏教の1つの学派である唯識――などから学んだ私の――解釈に限定してお話ししています。

 ですから、他にも相当たくさんいろいろな解釈がありうるということは、頭に入れておいてください。

 私は自分の解釈が唯一だとも絶対だとも思わないように気をつけていますが、今のところ自分が学んだ範囲で「もっとも妥当ではないか」というくらいには思っています。

 もちろん、他の方から教えていただいたり、自分自身の学びが深まったりして、解釈を変える可能性は十分にあるとも思っていますが。


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5 コメント

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Unknown (不肖の日本人)
2005-12-21 22:50:48
おぼろげに仏教ってこんなもんだとイメージしていたもろもろとは、ずいぶん違う違うお話しですね。



中学校で『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というのを教科書で読んで、暗いけど人生そんなもんだよなあ、と妙に共感(やはり日本人なのでしょう)したのが思い出されます。

平家みたいに天下を取ろうと何をしようと、どんな行為も結局むなしくかなしいよね、人生はかないよね、みたいな。



その同じ言葉が、この講座では「すべての形成された存在は変化する」とされていて、基本的な認識自体がずいぶん違うように思われました。

ここでいう仏教とは、宗教というよりも哲学、しかも実践的哲学といった趣です。



仏教により育まれた日本人の末裔として、こういうことを学びたいと思っていました。

今後の展開期待しております。

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感想 (ウスイツカサ)
2005-12-21 23:46:57
人に対して言い方がそれぞれであるので良いのではないかと誰しも思われるのではないかと思います。



ただ一つのこうだという答えが欲しいのは人情だとはおもいますが、同じ人間ですがいろんな性質があり一人一人違います。



元気になるアドバイスもなだめていい人、叱って良い人、おだてて良い人、いろいろです。



お釈迦さまが書き残されなかったのがわかるような気がします。



ウスイツカサ
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Unknown (T.T)
2005-12-21 23:54:54
一切皆苦という言葉は、真理であって、そういう心理状態が凡夫の常態ということでしょうか。

それを脱するには煩悩を捨てるしかない、ということでしょうか。
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感想 (りょう)
2005-12-22 15:06:45
仏教の基本のところを分かりやすく教えていただき、有り難うございます。

仏教が人類の「宝」であるということを、授業を受けていて改めて実感します。

2500年経っても、仏教の核心、普遍的真理は変わらない。すごいことだと思います。



有り難うございました。
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仏教は哲学? (おかの)
2005-12-22 22:29:09
>不肖の日本人さん



 とてもぴったりのコメント有難うございます。



 ぜひ、日本文化の核としての仏教の意味を発見するための授業、続けてご参加ください。



>ウスイさん



 お釈迦さまの「応病与薬」の姿勢、とても理にかなっていますね。



>T.Tさん



 無明があるかぎり、すべてのことは最終的には不条理に感じられてくる、ということですから、「煩悩を捨てる」というより、「無明をなくす」、「明・智慧を得る」という言い方のほうが適切だと思います。



 そのあたり、これからだんだんにはっきりしていきますので、ご期待ください。



>りょうさん



 仏教は人類の「宝」だ、というか、これから人類共有の宝になっていくと思います。



 ぜひ、そのための仕事を一緒に続けていきましょう。
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