遅ればせの年頭のご挨拶

2020年01月17日 | 日々の暮らし

 すっかり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

 一茶の句「めでたさもちう(中)ぐらいなりおらが春」ではありませんが、世界や日本の状況を見聞きしていると、手放しでめでたがってはいられない気分です。

 (ちなみに信濃の方言としての「ちうぐらい」は、文字どおりの「中くらい」という意味だけでなく、「大したことはない」という意味もあるそうです。)

 けれども・それでも、宇宙の中で宇宙の一部として生かされて生きていることは奇跡的にめでたい・幸せなことですから、型どおりのご挨拶を書かせていただきました。

 本年最初の『サングラハ』第169号の原稿にかかりきりになっていて、ブログ読者のみなさんへのご挨拶が大変遅くなりました。

 ようやく書き終え、月末刊行の予定です。

 本年も、『サングラハ』と当ブログのご愛読よろしくお願いいたします。

 筆者は、「令和」二年にふさわしく日本も世界も「和ならしむる」べく、微力ではあっても無力ではないので、今年もいろいろな方法や場で可能な発言を持続していきたいと思います。

 今、日本人、特に日本のリーダーたち――もちろん全員ではありませんが、全体の傾向として――の精神的・倫理的レベルがきわめて低くなっていて、このままでは近未来の日本はとても「令和」にはならないのではないか、と筆者には見えます。

 では、日本人の精神的・倫理的レベルを上げるにはどうしたらいいのか?

 まず、日本が「日本」と名乗り始めた頃のリーダーたちの精神性・倫理性とそれを支えた思想を再発見することからだ、と考えます。

 そこで、すでに講座予定の記事でお知らせしたとおり、東京と高松の講座両方で、般若経典と日本の――リーダーの――心の深い関わりについて語っていきます。

 加えて、IPCC関係者の警告メッセージによれば、「温暖化を抑制できるかどうか、この十年が正念場」だとのこと。

 現に今も、オーストラリアでは日本の面積の半分くらい燃えてもまだ消えない森林火災が続いており、おそらくまちがいなく気候変動の影響だと思われます。

 そうした状況の中、筆者もできることをしたいと思い、関係者と相談し、「持続可能な国づくりを考える会」の公開学習会を再開することにしました。

 

 テーマ:「環境の危機と私たちの未来――どうなるかではなく、どうするかだ」(仮)

 日時:三月十四日(土)十三〜十七時

 会場:フォーラムミカサエコ(JR神田駅徒歩3分)

 

 詳しくは、近日中に当ブログなどでお知らせしますので、ご覧いただき、ぜひご参加ください。

 

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台風と地震の後で

2018年09月07日 | 日々の暮らし

 大型の台風21号が過ぎました。

 心配してくださった方に、「今回もこちらは幸い大したことはありませんでした(もちろん自分たちだけが大丈夫ならそれでいいと思っているわけではありませんが)」、とお知らせを書こうと思っていた矢先、北海道の大きな地震のニュースで、一種、言葉を失った感じになり、すぐに記事を書くことができませんでした。

 遅れましたが、二つの大きな天災で、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧・復興をお祈りします。


 20号台風の後の段階で、秋からの講座案内に「事実としてはいやおうなしに危機の時代・不安の時代になりそうです(望まないことですが)」と書きましたが、望まないこと・きわめて残念なことながら、ますます現実のことになりそうで、とても心配です。

 危機の時代にはどうしても、不安に囚われて気持ちが暗くなるか、それが嫌なので「正常性バイアス」的に自分だけは大丈夫だと思いたくなりがちですが、そのどちらでもなく、正しく心配しながら、つまり危機管理意識をしっかり持って、できるだけ想定外がないような対策をしながら、しかし最終的には運を天に任せる、「人事を尽くして天命を待つ」という心の姿勢を確立することが望ましいのではないか、と思います。
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平安枝垂れ桜がほぼ満開

2017年04月04日 | 日々の暮らし





 ほぼ満開の花を見ていると、

 道元禅師『正法眼蔵』のいろいろな言葉、

 例えば、「現成公案」巻の「華は愛惜にちり、艸は棄嫌におふるのみなり」、

 「仏経」巻の「いはゆる経巻は、尽十方界これなり、経巻にあらざる時節なし……あるひは百艸の文字をもちゐ、あるひは万木の文字をもちゐる。このゆゑに尽十方界に、森森として羅列せる長短、方円、青、黄、赤、白、しかしながら経巻の文字なり、経巻の表面なり」、

といった言葉が浮かんできます。

 桜の花が咲き、散ることも、心のあり方しだいで、お経の文字として読めてくるということでしょう。

 そういう見方をしたり、単純に綺麗だなと感動したり、この季節を満喫させていただこうと思います。

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平安枝垂れ桜が咲きはじめました

2017年04月01日 | 日々の暮らし




 一昨日、待っていた庭の平安枝垂れ桜がようやく二輪咲きました。

 やや大きめの名前どおりの雅びた雰囲気のある花で気に入っているのですが、花数が期待したほど多くないのが残念で、植えてくれた植木屋さんに聞くと、木がもう少し大きくなるまで待ってください、とのことでした。

 一昨日は、とても暖かい一日だったので、夕方には二十輪くらいまで開きました。





 ところが昨日は一日冷たい雨。今朝見ると、開花はほとんど進んでいません。

 今日はいくらか暖かくなりそうなので、もう少し開くでしょうか。

 満開を心待ちにしているところです。

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2016年の仕事始めにあたり

2016年01月03日 | 日々の暮らし

 一茶の句に「めでたさも中くらいなりおらが春」というのがありますが、私の気分は中くらい以下、あまりおめでたくありません。

 おめでたくない理由は会員やブログ読者のみなさんとは共有してきた認識のとおりで、改めて書くまでもありませんが、あえて2,3書けば、気候変動・温暖化は恐ろしいほどのスピードで進んでいるということ――「季節はずれの暖かさで、過ごしやすいお正月だった」などと喜んではいられない気分です。「所によって記録的暖かさ」だったようです――、原発が動き始めたこと、安保関連法案が強行採決されたこと、それなのにそれに対する適切な政治的行動が十分には盛り上がってきていないように見えることなどなどです。

 それでも、古い年は去り、新しい時がやって来るというのが、無常迅速ということで、それはおめでたいことではあります。

 この世界の根本的なありようは無常迅速なのであり、したがって、当面どんなに大きな・山積した問題群があっても、それらが永遠に続くということはありえません。

 しかも、やってくる時がどんなものになるかは、積み重ねていくカルマ・行為しだいですから、今がどれほど望ましくない状態であっても、あきらめる必要はないというのが、いわば救いです。

 なので、ブログ読者のみなさんには、やはり、「明けましておめでとうございます。今年も心を新たにして、しっかりとやるべき・できるカルマをやっていきましょう」とご挨拶しておきたいと思います。

 暮から今朝までで、家族の行事は終わり、午後から初仕事にかかっています。

 今年はまず、去年の暮にいちおう書き上げた『金剛般若経全講義(仮題)』の最終推敲から始めました。

 研究所の講座で長年講義してきた般若経典の学びの一つのまとめをみなさんのところにお届けできるまで、もう少しです。

 並行して、『サングラハ』第145号の原稿も書き始めなければなりません。

 続いて、10日(日)から高松集中講座が始まります。昨年からの延長で「唯識と論理療法を融合的に学ぶ」の最終回です。

 23日(土)、24日(日)は東京集中講座で、それぞれ「大乗の菩薩とは何か」と「コスモス・セラピー トレーニングコース」の最終回です。これも去年12月で完結の予定が少し伸びましたが、その分、学びは深まっていると思います。

 東京集中講座の2月はお休み、高松集中講座は2月21日(日)から新しい講座「アドラーと唯識を融合的に学ぶ」が始まります。

 今年は、折にふれ事にふれてなるべくブログ記事を――少なくとも去年よりは多く――書きたいと思っています。

 よろしくお付き合いのほどお願いいたします。


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三度目の秋

2015年09月07日 | 日々の暮らし


 滝宮に来て三度目の秋になりました。

 最初の秋に買った小さなダルマハギの苗が、一年で大きく育って、去年の秋もみごとな花盛りを見せてくれましたが、今年も今7、8分咲きといった感じで、数日で去年以上の満開になりそうです。

 けっして派手すぎることはないのに華やかで、しかも可憐な感じがとても気に入っています。

 これからしばらく、庭に出る度に、秋の風情を楽しませてくれるでしょう。

 ……と書くと、ひたすらのどかに暮らしているかのようですが、実はここのところ主な仕事としては『サングラハ』に掲載した『金剛般若経』全文講義の推敲をしていて、読み直す度に直したくなってなかなか進まず、そういう意味では苦しんでいます。

 東京での講義のための『摩訶般若波羅蜜経』の学びも続いていて、般若経典は学べば学ぶほど深く、ここまでわかればもうこれで決定稿が書ける、というふうにならないのです。

 この状態はいつまで続くのでしょう。

 しかし、自分としてはちゃんとまとめておきたいので、これでひとまず終わりと思えるところまで、やるしかなさそうです。


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讃岐七富士・堤山の逆さ富士

2015年07月01日 | 日々の暮らし


 先週で東京集中講座が終わり、少しほっとしています。

 東京から帰ってくると、我が家のまわりは別世界。

 書斎の南西は、水が入り田植えの終わった田んぼに讃岐七富士の一つ・堤山(つつまやま)が映って、なかなかの景色です。

 毎晩、カエルの声を聞きながら床に入ります。

 一息入れたら、この日曜日はまた高松集中講座です。


 *東京でいろいろな方から「最近の状況についてどう思いますか」という質問を受けました。
 基本的なことはもう十分書いてきたつもりだったので、最近、ブログの更新を怠っていましたが、そういうことについて私の意見を聞きたいと思ってくださる方もおられるようなので、参考意見を少しずつまた書き始めようかと思っています。
 よかったら、時々のぞいてみてください。
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今夜は雪?

2014年12月05日 | 日々の暮らし

 ここのところ急に寒くなってきたのは、NHKニュース7の天気予報によれば、偏西風が蛇行して、北の寒気が日本列島全体を覆っているからだという。

 「今回の寒気、影響を与えている要因の一つはフィリピンの近くにある台風22号など発達した雲。

 強い上昇気流が発生している。

 これが中国などにある高気圧を強めることで偏西風に影響が出る。

 大陸付近で一旦北に押し上げられ日本付近では南に蛇行すると考えられている。

 この結果、北側にある寒気が日本付近に南下しやすくなっている。」

とのことだ。

 地球全体がつながっているのだから、当然といえば当然なのだが、例えばずいぶん遠いところだと思っているフィリピンの気候が日本の気候に大きな影響を与えるのだな、とあらためてうなづいている。

 フィリピンの台風は去年11月の「スーパー台風」とも同じ傾向の気候変動―異常気象のせいだろうと推測される。

 私たちは、日常の身近なこと(たとえば物価や景気)だけが自分に関係あることで、後は「自分には関係ない」という常識的感覚を超えて、地球規模の「エコロジカルな持続可能性」({持続可能な経済成長」ではなく!)について、感じ・考える能力を獲得しなければならない時代にいるのだと思う。

 それにしても、フィリピンの台風の被害、北陸などの雪の被害ができるだけ少ないよう心から祈りたい。

 今夜は、我が町綾川にも雪が降るかもしれないとの予報である。

 
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夕顔が咲きました

2014年09月04日 | 日々の暮らし


 いろいろなこと――もっとも大きなことはグローバルな環境の危機ですが、その他公私とも――があり、気分が少し沈んでいました。

 ふと、「そろそろかな」と思い、玄関を開けてみると、真っ白に夕顔のこの夏最初の花が咲いていました。

 白く、大きな、香りのいい、とても品のある花で――『源氏物語』に「夕顔の巻」がありますね――今年は我が家に咲かせたいと思って、春種から育てました。

 播くのが少し遅かったらしく、ふつうは盛夏に咲くのが遅れ、晩夏になってしまいましたが、それだけにいっそう風情を感じます。

 小さな感動で、一瞬心が慰められました。

 これからしばらく、毎夕、感動をもらえそうです。


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私がSNSに消極的なわけ

2014年08月30日 | 日々の暮らし

 私は、幼いころから聖書(のプロテスタント的解釈)を学ぶ機会を与えられたため、早くから人生の有限性ということへの強い自覚がありました。

 自分に与えられた有限の時を、意味のないこと、意味の少ないことに費やさず、より重要な、さらにはもっとも重要なことをする機会にすべきだという教えです。

 それに加えて、個人的な性向としてはもともと、あまり広くない範囲の人と直接の親密な深いコミュニケーションをするのが好きでした。そういう意味で、みなさんがもってくださる印象と異なり、必ずしも非常に社交的な人間というのではありませんでした。

 しかし、ある種のメッセージ発信をするという立場上、かなり広い範囲の方々と交流しなければなりませんでしたし、これまである程度はしてきました。このブログもその一環です。

 私の伝えたいメッセージを、改めてきわめて簡略にまとめて言えば、「現代は人類史に例がないくらい大きな危機の時代であり、その危機は、個人としても社会としても内面と外面の根本的な変革なしには克服することはできない。しかし、幸いにして変革と克服の可能性・筋道はある」ということです。

 学生時代以来50年近く、危機の本質を明らかにすること、変革と克服の可能性・筋道を明らかにすること、明らかにしえた範囲でメッセージを発信することに、大げさなようですが私の人生の持ち時間の主な部分を費やしてきた、というのが自分の思いです。

 しかし、課題が深く大きすぎて、いくら時間があっても足りない、という思いを持ち続けてきました。

 そのために、自分の課題にとって本質的なこと以外にできるだけ時間を使いたくなくて、浅くなりがちな広い人付き合いは必要最小限にとどめてきました。ですから、「付き合いの悪いやつ」と思われて当然ですね。

 発信に関しても、伝えたいメッセージを発信することに集中してきましたから、「自分の言いたいことだけ言って、人の話を聞かないやつ」というふうにも思われているのかもしれませんが、それもある程度は覚悟の上です。

 しかし、社会的発言を始めて以来、私のメッセージには――本人としては本質的な「社会的価値」があると思っているにもかかわらず――当面「社会的需要」があまりないらしく、期待したような質・量の反応を得てきませんでした。

 特に大震災の後、原発―放射能からの避難という意味もあって、首都圏を離れて半引退・田舎暮らしをすると決めた時点で、当面社会的需要の少ないことに時間を費やしすぎるよりは、自分が個人としてやり残したこと・できることを成し遂げることに集中したほうがいい、と考えました。

 人生の時として言えば、広げる時ではなくまとめに入る時だと感じています。

 とはいえ、届いても届かなくても――期待したような質・量の反応があってもなくても――メッセージを発信するのは自分のカルマのようなものですから、ある程度は続けていきますので、それにも時間が必要です。

 ……等々というわけで、確かに広がるかもしれないけれど、深くは届かないのではないかと思われ、しかもそれなりに時間を取られそうなSNSに対して、私は消極的なのです(もちろん、まだ広げる時にあるみなさんにとっての有効性はあると思いますから、SNSそのものを否定するわけではありません)。

 以上、最近、いろいろなかたちのSNSに誘ってくださる方が何人もおられるので、このブログでまとめて説明責任を果たさせていただこうと思った次第です。

 どうぞ、ご海容(海のような広い心で受容すること)ください。私のこれまでの仕事を知って誘ってくださるみなさんなら、きっとわかっていただけると信じています。

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グリーン・カーテンの収穫

2014年08月16日 | 日々の暮らし


 西側の窓の日射しが強いので、今年はゴーヤと四角マメのグリーン・カーテンを作ってみました。

 植えた後で、グリーン・カーテン用のゴーヤは実が小さくてあまり生らないという話を聞いて、ダメかなと思っていましたが、それでも今までのところそこそこの大きさのが計8個ばかり生りました。

 上の画像は、我が家の初物のゴーヤです。

 下のプチ・トマトも初物です。



 かなり前に収穫―撮影したのですが、掲載が遅くなりました。

 プチ・トマトは毎日のようにカゴいっぱい収穫していますが、そろそろ終わりに近づいているようです。

 もう、立秋、お盆も過ぎました。

 夜は虫が鳴いて、暑い中にも少し秋の気配がしてきました。

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