新学期は気づきのワークから

2012年04月29日 | コスモロジー

 行っている大学は3つとも、何事もなかったかのように例年どおりの新学期が始まっています。

 少なくとも表面的にはみんな危機感などまったくないように見え、元どおりの日常が戻ってきているような雰囲気に若干違和感を感じています。

 ただ、3・11以降、大学生たちがかなり真面目になってきたという感じがあるのは、今年も同じです。

 どの大学でも、最初の時間、10分以内くらいで静かに話を聞き始め、かつてのようなおしゃべり防止のためのオリエンテーションにあまり時間を使う必要がなく、すぐに内容に入ることができました。

 今年は思うところがあって、最初の時間から、「私はどこにいるか?」という気づきのワークをやりました。

問いと答えを続けながら、「○○教室」「○○大学」「○○市」「東京都または神奈川県」「関東地方」「日本」「アジア」「地球」と気づきを拡げ、さらに「太陽系」「天の川銀河」「宇宙」にまで拡げると、学生たちの顔が「なるほど、そうかあ」といった感じになります。驚きを伴った笑顔になる学生もいます。

 そして、「宇宙はいつ始まったか知っていますか?」と問い、教えているのがすべて文科系で知らない学生も多いので、「宇宙は137プラスマイナス2億年前に始まったと言われています」と現代科学の宇宙論の標準仮説を紹介して、「さて、137億年前に宇宙が誕生したから、137億年経ったら、きみが誕生した、ということになると思いますが、どう思いますか?」と問いかけます。

 「短く言うと、宇宙が誕生したから私が誕生した、ということになるよね」「では、これが正しいと思う人は、『宇宙が誕生したから私が誕生した』と心の中で自分に言ってみよう。どんな感じがするだろう?」と続けます。

 そして、「私が誕生するのに、宇宙は137億年もかけてくれた。それは、それだけでもすごいことだよね?」と。

 もちろん反応の個人差はいろいろですが、授業の後、教壇のところまで来て、「先生、今日は感激しました」などの感想を言ってくれる学生も何人もいました。

 今年度も、やりがいのある授業ができそうで、楽しみにしているところです。

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『サングラハ』第122号が出ました

2012年04月18日 | 広報
 少し遅れましたが、『サングラハ』誌、今年2回目、第122号を刊行することができました。





 「近況と所感」は、ちょうと今の近況と所感なので、転載してブログ読者のみなさんにもシェアしたいと思います。


 今年は長い長い冬でした。彼岸を過ぎてもなかなか本格的に暖かくならず、遅い春はゆっくりと近づき、一週間ほど遅れてようやく桜が咲きました。すると、今度は花冷えです。

 それでも自然の季節には春が来ますが、政治や経済の春はまだはるかに遠いようです。とても残念ですが、諦めないで待ちましょう。

 また、自然とちがって人間の世界のことですから、待つだけではなく促進することもできます。どうすれば世の春を呼び寄せることができるか、相変わらず考え続けながら、みなさんに幸せになっていただけるよう、いつも神仏・天地自然・祖霊に祈っています。

               *

 さて、「近況と所感」なのですが、今回、所感については講義のところでも名詩選でも十分に述べましたので、ごく一、二だけ加えておきます。

 まず、原発事故と放射能汚染のことですが、これは政府や大きなメディアの報道が撒き散らしているイメージと異なり、まったく収束などしていない、非常事態は続いている、と私は判断しています。

 汚染状況と特に福島原発の四号機の状態は、可能な人は東日本を離れたほうがいいかもしれない、という状態だと思われます(詳しくは私のブログ、「持続可能な国づくりを考える会」のブログ、小出裕章氏関連のブログなどを参照してください)。

 明治の津波の経験から、三陸・津軽地方には「津軽てんでんこ」という言葉があるそうです。津波が来たら、人のことを心配するよりはまずそれぞれ・てんでに逃げて、一人でも被災者を少なくしよう、という知恵です。今、東日本は「津軽てんでんこ」の状況にあるのではないか、と感じています。

               *

 それから、これは重要なのであえて書いておきますが、今、信頼し支持できる政党がないという感じの中で、「大阪維新の会」が大きく飛躍するかもしれないという状況があるのに対して、私は期待ではなく大きな危惧を感じているということです。

 小泉政権成立の時も「小泉さんなら何かしてくれるかもしれない」という期待感で多くの人が支持をしましたが、もたらされた結果は格差社会でしかなかったように、「橋下さんなら何かしてくれるかもしれない」という期待は、ほぼまちがいなく裏切られることになるでしょう。なぜなら、彼の基本姿勢は小泉氏同様、依然として新自由主義的な成長志向でしかないからです。新自由主義的な成長志向は、エコロジカルに持続不可能な路線です。

 歴史を振り返ると、ヒトラーやムッソリーニの登場の時も、大衆は「彼なら何かしてくれるのではないか」と期待したようです。しかし、ドイツ国民、イタリア国民は大変な悲劇に導かれました。「誰かに何とかしてほしい」という気持には共感しますが、「何とかしてくれるのはそういうタイプではなく、スウェーデンのブランティング、ハンソン、エランデルといったタイプのリーダーだ」と、ここで改めてはっきり言っておきたいと思います。

 これはもちろん、私の個人的見解であり参考意見ですが、ぜひ参考にしてそれぞれに考えてみていただけると幸いです。

               *

 次は、少しだけ近況報告です。

 三月は大学は春休み、常勤の先生方とちがって非常勤・兼任講師は仕事がなくてまったく自由なはずなのですが、シンポジウムの用意その他の原稿等々で、意外に時間がない感じでした。

 (前号で予告申し上げた、大学でのアンケート調査の結果はまとめる時間がなかったので、また次の機会にしたいと思っています。)

               *

 三月十日、東洋大学で行なわれた国際セミナー「環境の危機と人間の危機―自然と共生する社会とは―」(東洋大学主催・茨城大学共催)に参加し「新しいコスモロジーと緑の福祉国家」という発表をしました。

 翌三月十一日は、藤沢のミーティングルームを使って行なった「持続可能な国づくりの会」の学習会で、「どうしたら原発は止まるか」という講演をしました。これは、会のブログや私のブログで書いてきたことのこの段階でのまとめの話でした。ミーティングルーム始まって以来の部屋いっぱいの盛況でした。

 三月二十日、文京シビックセンターで行なわれた公共福祉研究センター+公共哲学カフェ主催のシンポジウム「震災復興から持続可能な福祉社会に向けて―宗教は公共的役割を果たせるか?」で「仏教の公共的役割―その可能性について」という発題をしました。ここでは、私たちに比較的近い考えを持っている民主党の若い国会議員さんも来ていて、発題を熱心に聞いてくれました。『「日本再生」の指針』も差し上げておきましたが、反応はまだです。

               *

 講演などの内容はどれもみな、サングラハ関係者のみなさんには繰り返しお伝えしてきたことなので、ここでは繰り返しません。

 ただ、「持続可能な社会」というテーマはますます話題になるようになっていて、「いわゆる専門家ではない私にも、いろいろ発言の機会が与えられるようになったなあ(これからも増えるかな?)」という感じでした。

 「持続可能な社会の実現のためには四象限にわたる条件が満たされる必要がある」「政治を抜きにしては実現しない」という主張も、「聞いてはもらえるようになった」という感じですが、まだ「なるほどそういう視点もあるんですね」とか「そうかもしれませんね」程度の受け取られ方で、「そうですね」とか「一緒にやりましょう」という話にはなりません。

 率直なところ、大げさに思われるかもしれませんが―多くの地震学者が「一〇〇〇年周期の地震活発期に入った」と言っているので、それが正しいとすれば、少しも大げさではないと思いますが―もう一度、地震―津波―原発事故―放射能汚染―日本全土のチェルノブイリ化、ということにならない前に、日本が変わるのが間に合うようにと、祈らずにはいられない気持です。

 加えて、そうした状況の中、原発再稼動など、もしやったとしたら、許しがたい歴史的愚行だと思います。

 そういう意味では、とてもじれったい気がしていますが、それが日本の現状なのですから、じっと忍耐して、話が通じるようになるまで、気長に発言を続けるほかありません。

 ぜひ、みなさまの気長なご理解・ご支援、そして何よりもご参加を、改めてお願いいたします。

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妥当ではない判断:大飯原発再稼動

2012年04月14日 | 原発と放射能
 持続可能な国づくりを考える会のブログに書いた記事を転載します。


 運営委員長の岡野です。

 今朝、野田政権が大飯原発の再稼動を妥当と判断したというニュースを聞きました。

 きわめて非合理で妥当でない判断だ、と私は思いますので、運営委員長個人として一言ポイントだけでも発言しておきたいと思います(会員のみなさん、会員以外のみなさん、コメントをください)。

 まず、原発は、入り口で資源としてのウランは有限であり(核燃料のリサイクルはうまくいかない)、出口で処理の方法がまったく確立していない放射性廃棄物と熱排水を大量に出すという点で、エコロジカルに持続不可能な技術です。

 全地球的なエコロジカルな危機の切迫性を考えれば、一日も早く止めるべきです。

 そういう意味で、福島の事故以降、原発が停止しはじめており、5月にはすべてが停止するというのは、原発をすべて止めていくためのスタートとして非常にいい機会です。

 原発を止めることで得られる国民全体、特に次世代の生命の安全性の確保――放射性物質をこれ以上蓄積しない、放射能汚染のリスクをこれ以上増やさない――という長期のメリットと、今年の夏の電力を足らせるという短期のメリットを秤にかけたら(それも本当に不足するのかどうか疑わしい)、どちらが重いかは合理的に判断すれば明らかだと思われます。

 短期の利益のために長期の利益を無視するというのは、合理的でも妥当でもありません。

 ほんの数人で決めて、妥当でない判断を妥当だと言い募るような政治家は、民主主義=人民の人民による人民のための政治のリーダーとしてまったく不適格だと言わざるをえません(「民主党」という名前が悪い冗談に思えてきます)。

 ちゃんと理性を働かせて判断を変更するか、でなければ、人民・国民とりわけ次の世代の生命の安全性を最重要視する真に民主的なリーダーに交代してもらいたいと強く希望します。

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