公開講座:スウェーデン社会という解答

2009年02月28日 | 持続可能な社会



 筆者が運営委員をしている「持続可能な国づくりの会」の連続公開講座のお知らせです。

 この大不況をどう乗り切るのか、これから日本をどうすればいいのか、私たちはまさに「スウェーデンという解答」がある、と考えています。

 もちろん国の様々な条件は異なっていますが、基本的な方向性については、北欧・スウェーデンは確かなモデルになりうると思われます。

 本当にそういえるのかどうか、ぜひ、ご一緒に学び、議論していきましょう。

 読者のみなさんの積極的な参加をお待ちしています。


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一刻も早く現代人になることが必要だ

2009年02月09日 | 生きる意味

 半年かけて、「現代科学の成果から描き出される宇宙像・コスモロジーを学ぶと、もうニヒリズムに陥っている暇はなくなる。ニヒリズムはもう100年古いんだよ」という話をすると、しっかり理解して、よくこなれた自分の言葉で次のような感想文を書いてくれる学生が出てきます。


 自分は自分、だから周りとは何も関係がなく、何をしてもいいという思想は古い。
 近代の合理主義はすべてを分析し、神は居ない、人間もしょせん物質のかたまりとしてしまった。
 その思想を強制的に取り入れさせられた日本は、現代では全ては繋がっているということが証明され始めているにも関わらず、今もまだ全てはバラバラだという思想からぬけれずにいる。
 ニヒリズムとエゴイズムそしてヘドニズムの組み合わせは、すごく悲しいし悪循環だと思った。
 結局は、人間もただの原子でしかなく、だったらなぜ生きているの?と意味を求めた時にも何もない。だったら、自分だけがよければそれでいいじゃん、となる。これじゃ救われないなと思う。
 そして唯一見えた希望で理想を追うとなっても、権力でおさえられたら、もうどうでもよくなってしまう。
 君も私も、元は同じ、宇宙の一部。だから君も幸せなら私も幸せ。困ってたら助ける。だって同じなんだから、のほうがよっぽどピースフルだ。
 100年も前の思想に縛られて、わざわざ孤独になる必要なんてまったくない。この授業を受けてからそう思うようになりました。
 毎日ニュースで流れる事件は、本当に自分のことしか考えてないことばかり。何でこんなふうになったんだろう?というのも、歴史的にというか学ぶとなるほどなとなりました。それはそうなるわ、みたいに。
 みんな、なんでそういう風になったのかさえ知らないで過ごしている、それはいけないよなって思いました。
 昔のつながりコスモロジーなら、人のため国のために生きる理由も死ぬ理由もあったのに、バラバラコスモロジーじゃ生きる理由も死ぬ理由もなくなっちゃって、生きる意味がなくなってしまってる。それって、すごく悲しい。
 一刻も早く現代人になることが必要だと思いました。
 ちゃんと生きれない人はちゃんと死ねない、これから心がけていきたいなって思った言葉です。
                                         (O大1年女子)



 彼女のいうとおり、私たちは一刻も早くほんとうの意味で現代人になることが必要だ、と思います。



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人生を投げ出さないためのコスモロジー

2009年02月04日 | メンタル・ヘルス

 1年に2度の大仕事、採点がようやく終わり、ほっとしています。

 特にこの後期(秋学期ともいう)は、受講者数がこれまでで一番多い1000人以上で、助手もつかない非常勤の仕事としてはもう限界です。

 4月からの新学期、これ以上増えないことを祈るばかりですが、増えたらどうしましょう?(ま、こればかりは予防志向というわけにいかないので、その時はその時の治療志向で対処することにします。)

 しかし、こんなに毎年増えるというのは、それだけ求めている若者が多いという証拠だと思うのですが、文部科学省以下各教育機関・関係者のみなさん、なんとかしませんか?


 さて、授業の感想をいくつか紹介します(事前の了承を得ています。改行は筆者)。


  高校生くらいから「生きる意味」「私の価値」などについてよく考えていました。しかし、いくら考えても答えが出る日はなく、「無」を感じたことも、「ただ生きているから」とあいまいな答えを出したこともありました。
 そんな時、先生の授業を受けて正直最初はキレイゴトを並べた授業ではないかと思ったこともありました。
 しかし、宗教を否定したり、今の学習のあり方に疑問をなげかけたり、先生の言っていることに上辺だけの言葉は一つもありませんでした。
 そして、宇宙と私は一体だと感じることができた時、今まで私が考えても考えても導き出せなかった答えに少し触れることができた気がしました。
 私は今でも自分が生きている意味を考えます。それは価値を上げたいからでも無情だからでもなく、宇宙に生かされている私は、宇宙が生んでくれた私には、何か少なからず使命があるのではないかと思えるからです。
 先生が初めにおっしゃった「この授業を受けていくと考えが変わる」という言葉通り、まんまとその通りになってしまい少し悔しいですが、また違った方向を見つけられてとてもよかったと思います。ありがとうございました。
                                        (O大1年女子)

 私はこの授業を受けてみて、最初、私は何やっても意味がない。楽しくない。どうでもいいという精神状態になっていました。しかし、先生の授業を毎回聞いていくうちに、世界には意味があり、今自分が考えていたことがバカバカしく感じました。
 変にツッパってみたりすることも遅れていて、ダサイと気づきましたし、この授業を受けていると、少し目の前が明るくなった気がしました。どうもありがとうございました。
                                        (O大2年、男子)

 この講義を初めてとった時、私もどちらかといえば、「何で人って生きているんだろう」と考えている側の人間でした。先生の「この講義の終わりにはきっと生きるのが楽しくなる」と言っていたのを半信半疑で聞いていた。 
 しかし、講義が終わると先生の言う通り、少しずつ自分の人生観が変わっていくのを感じた。先生の講義やブログを読んでいくうちに、先生は口先だけでなく本気で若者を中心とする私達に「生きる意味」を伝えたいということが心から伝わってきた。
 学生のうちにこの講義を聞けてよかったと思う。ありがとうございました。
                                        (O大1年、女子)

 半年間、先生の授業を受けていて驚きの連続でした。先生が宇宙の話をだした時に、どのように話が進むのだろうと考えていたら、「宇宙と私は一体です」とおっしゃって、とても驚きました。
 しかし、よく先生が教えてくださった現代科学のことを考えてみると、確かにその通りであると思いました。それと同時に不思議な気持ちになりました。
 今までは、宇宙と一体だなんて考えたこともなかったですが、宇宙と一体な自分は幸せだなと感じ、暖かい心が持てたような気がします。宇宙137億年の中の20年前から生きているということは、「自分が今、ここにいることには大いなる意味がある」と思って、毎日一生懸命に生きていこうと思いました。
                                        (O大2年女子)

 宇宙ができた時から、今の私までずっとつながっているという考え方は、すごくおもしろいと思った。130億年以上前にできた原子が今の私を作っていると思うと、私も宇宙の一部なのだなあ、と感動した。そして、私の生きる意味も、見つけられたように思う。
 今までの宇宙が選択した結果が私で、要するに、過去が今をつくってきたということだ。過去の宇宙が私の土台を作り、宇宙をもっと高いところに進化させる土台をつくったのだ。
 私の生きる意味は今までの宇宙がつくってくれた土台の上に、未来の宇宙の土台をつくることだと思った。過去が現在の土台であるとともに、現在は、未来の土台なのだ。私の土台をつくってくれた「何か」をうらぎらないためにも、しっかりと生きていきたいと思う。
                                        (O大1年男子)

 どんなに苦しいことがあっても、自分の人生を投げ出さないために、この新たなコスモロジーを指針として生きていくことが望ましい。
                                        (O大1年、女子)



 こんな感想文をもらってしまうと、また来年度も頑張るしかないな、と思います。

まだまだいい文章がたくさんありますので、徐々に紹介させていただきたいと思っています。

 年上の読者のみなさん、ぜひ、「〔自分と分離した他人である〕若者が何か言ってるけど、私には関係‐関心ない」というふうにでなく、「〔広く深いレベルでは自分とつながって一体である宇宙の現われとしてのいのちの〕次の世代が、元気になってきているようだ。よかった」というふうに関心と共感をもって読んでいただけると幸いです。



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コスモロジーはきれいごと?

2009年02月01日 | メンタル・ヘルス





 年度末、3校5クラスの答案・レポート合計1000通以上を読むことに忙殺されています。

 しかし、伝えたことをしっかりと受け止めてくれた文章を読むと、「かなりの労力だったけど、でもやはり教えてよかったなあ」という感慨を感じます。


 ところで、コスモロジーの話をしていると、初めの頃、よく「きれいごとに思える」という感想が出てきます。

 そういう時、ちゃんとコミュニケーションができるような心の絆ができている、あるいはできかかっている場合には、次のような対話をします。

 「『きれいごと』というのは、あまりきれいじゃない現実に合っていない、という感じかな?」

 「なるほど……。でも、これまで話してきた宇宙の137億年の歴史のおおまかなシナリオはおとぎ話・つくりごとだろうか? それとも科学的に推測されたほぼ『事実』だろうか?」

 「ほぼ事実だと思っていいとして、なかなか『きれいな=美しい』話だとは思わないかい?」

 「『きれいごと』と感じることは、よく考えると『美しい事実』に関する話だけど、スケールが大きすぎて、自分の生きている日常的な現実にはしっくりこない、というふうなことかな?」

 「自分の生きている日常的な社会の現実は、あまりきれいではない、美しくない、醜い、歪んでいる……というわけだよね」

 「で、ここからが考えどころなんだけど、大きくて、まっすぐで、美しい事実を見ているのと、狭い範囲の、歪んだ、醜い現実を見ているのと、どちらが気持ちがよくなりそうかな?」

 「気持ちがいいのと悪いのと、どちらが元気が出そうかな? あ、おなじようなことをいってるかな?」

 「元気があるのと元気がないのと、どちらが好きかな?」

 「元気があるのと元気がないのと、どちらが現実に耐えたり、現実を少しはましなものにする気になりやすいかな?」

 「もし元気があるのが好きで、そのほうが現実に取り組みやすい、と思うんだったら、まず大きくて、まっすぐで、美しい事実をしっかりと見つめるのが役に立ちそうだと思わないかい?」

 「おおきなきれいごとをしっかりと見つめて元気になってから、ちいさな醜い現実に立ち向かう、というのが人生を戦う戦略としてより有効だ、と思うんだけど、どうだろうね?」

 よかったら、時々、しばしば、ちいさなつらい現実ばかり見ているのを休んで、とてもおおきな、すばらしい、きれいごと=綺麗事=美しい事実を見る、見直すことをお勧めします。



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