NHK「クローズアップ現代――携帯によるいじめ」にふれて

2007年10月11日 | 心の教育

 昨日夕方、NHKテレビの「クローズアップ現代」で携帯によるいじめが広がっているという特集をやっていました(昨日時間がなかったので今日書きます)。

 高校生などの間で、相手にわからないことをいいことに、携帯でひどい言葉を集中的に浴びせるという現象が広がっているようです。

 先日、そのためにひどく傷ついて自殺した高校生も出ました。

 日本人の心の荒廃はますます深刻化している、と感じます。

 こうした子どもたちが大人になった時、日本はどういうことになっているのでしょう。

 見ながら、かみさんが「どうしたらいいの!」と悲鳴をあげました。


 しかし、こうした現象に対して、本格的に行なえばコスモロジー教育=コスモス・セラピーが相当な有効性をもっている、と私は確信しています(ただし治療効果よりも予防効果のほうがはるかに高いとは思いますが)。

 まず、ともだちといってもいいくらい身近な人をいじめて、「すっとした」「ストレス解消」というくらい、いじめる側の子どもにもストレスが溜まっているのです。

 そのストレスを適切・健全に発散-解消する方法を子どもたちに教えないかぎり、いろいろな規制をしてもその規制の網をかいくぐって、子どもたちはやり続けるでしょう。

 いじめをしなくてもストレスが解消できる、いじめるよりも楽しいことがある、と実感して、それでもいじめを続ける人間はいるはずがありません。

 主に子どもたちの感じているストレスは「比較-競争社会」のプレッシャーから来ていることはほぼまちがいありません。

 学校が主として成績による比較-競争社会であり続けるかぎり、いじめは根絶できないと思われます。1)

 といっても、一切競争を否定して「なかよしごっこ」をしなければならないというのではありません。

 けれども、人間だけではなくそもそも生物の社会が「弱肉強食」の「生存闘争」の社会であり、それは仕方のないことだというのは、もう生物学としても古い考えなのです。

 二十世紀ほぼ100年をかけてエコロジーが明らかにしたのは、生態系・生命系は「競争的共存・共存的競争」の社会であって、競争だけでも共存だけでも成り立っていないということです。

 「弱肉強食」と見えたのは個体で見るからで、種の関係は「食物連鎖」であり、もっとも強いように見える生物種は基礎(栄養)になってくれる生物種が絶滅したら自らも生存できないのです。

 そういう生命系-食物連鎖の世界には絶対的な強者も絶対的な弱者もありません。全体が、バランスによって成り立っているのです.2)

 そういうことから類推すれば、人間界にも競争も共存もどちらの面も必要だと考えられます。

 学校で、クラス編成の一番早い段階で、自分を認め、お互いを認めあうワーク 3)をしっかりと行なって、クラス作り――クラスのメンバーがほんとうの友達になる、クラスを協力社会にする――をすれば、それだけでもいじめの風土が相当に弱まるはずですし、うまく行けば根絶できるでしょう。

 その上で、よきライバルとしてのフェアな競争はさせればいいのです。


 もう1つは、なるべく早い年齢から、コスモス・カレンダーの授業によって、いのちの宇宙的な尊さをしっかりと自覚してもらうことです。4)

 自分のいのちも他者のいのちも宇宙的・絶対的に尊いことを知って、それでも他者のいのちを傷つけるなどということがありうるでしょうか。


 さらに、もう1つ。「隠れてやってばれなければいい」という考えに対する、しっかりとした心理学的な根拠のある忠告をすることです。

 もはや神仏が見ていると信じていなくても、そしてたとえ他人に隠れてばれなくても、自分のやることは自分の心――それも心の深いところ――がちゃんと見ているということです。

 卑劣なことをやっていること、自分が卑劣なことをする人間であるということは、自分の心がしっかりと見ていて、しっかりと憶えているのです(たとえ記憶を抑圧しても意識の底に残る、というのは深層心理学の常識です)。

 そして、自らが卑劣な人間であるという事実の記憶は、すぐに結果をもたらさなくても、徐々にいつか必ず結果を生み出します。

 つまり、腐ったことをやり続けていると人間は心の奥から腐ってくるのです。

 心の奥の腐った人間が、明るい、気持ちのいい、さわやかな、幸福な、クォリティ・オヴ・ライフの高い人生が送れるわけはないのです。

 自分の魂を腐らせたくなかったら、汚い、腐った、卑劣なことはしないことです。


 そういうことを、なるべく早い時期に折に触れて心を込めて伝えれば、今すぐすべての子どもにというわけにはいかなくても、気づく子どももたくさんいるはずです(少なくとも私の教えた大学生の相当多数でそういうことが起こっている、と私には見えます)。

 「手はある」、「問題は多くの教師や親が本気で使うかどうかだ」と、私には思えるのですが、読者のみなさんはどうお感じですか?




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