朝焼け・夕焼け空は、なぜ赤いか?:コスモス・セラピーの解釈

2008年06月28日 | 心の教育





 朝焼けや夕焼けの空が赤いのは、空が青いのとおなじ原理です。

 つまり、酸素や窒素、水分子などを含んだ地球大気によって、太陽の光のプリズムの一部が散乱されるからですが、昼間とちがって朝と夕方は太陽が斜めに射してくるので、その分、通ってくる地球大気が厚くなり、青などの波長の短い光は先に散乱されてしまい、その後、波長の長い赤も散乱されるために、そちらの色が見える、のだそうです。

 ……という説明は、近代科学の主客分離という方法 1) 2) を前提にしてなされています。

 つまり、私・主体とは関係なく分離して向こうにある客体・対象である朝焼け・夕焼けの理由を客観的に分析して叙述しているのです。

 言い換えると、ばらばらコスモロジー的な捉え方です。

 昨日の記事の学生の言葉を借りると「今まで学校で教えてもらった平べったい知識」です。

 しかし、ここでよく考えてみましょう。

 私たちが実際に見るのは、私たち自身の目で見る、〇年〇月〇日○時○分の具体的で一回きりの朝焼けや夕焼けです。

 その朝焼け・夕焼けの空は、私がその中にいて呼吸している具体的な大気とつながっており、私と区別はできても分離していません(ですね?)3)

 その朝焼け空・夕焼け空が赤いということは、私にとってどういう意味があるか、という意味で「なぜ」と考えてみましょう。

 朝になったり夕方になったりするのは、地球が自転しているからでしたね。

 しかも月が地球に対していつも同じ面を向けるような自転をしているのとちがって、地球は太陽に対して、一日一回り――というかその一回りを一日というわけですが――して、まんべんなくすべての面を向けます。

 もし、自転をしない、または月のような自転をしていたとすると、地球の環境は今とはまったくちがったものになっていたと思われます。

 太陽にいつも向いている面は暑すぎ、背を向けている面は寒すぎて、生命は生きていけなかったのではないでしょうか。

 地球がぐるりと一回りすることによって、地球の表面は適度に暖まったり冷めたり、暖まったり冷めたり……ということを繰り返しているのだと思われます。

 ということはつまり、朝焼けは太陽と地球と地球大気のコラボレーションによって、これから赤や赤外線の照射量が増える、つまり「これからきみたち生命が生きていけるように暖めるよ」というメッセージ、夕焼けは照射量が減っていく、つまり「これからきみたち生命が焼け死んでしまわないように冷ますよ」というメッセージだ、と解釈することも可能なのではないでしょうか。

 これは、単に詩的・メルヘンチックな解釈ではなく、ふくらみがあって心が温かくなるような「生き生きとした現実」の〈主客統合的解釈〉だ、と私は考えています。

 そして、そういう解釈には、とてもセラピー効果(心が癒される)がある 4)、と感じます。

 みなさんは、どうお考え、お感じですか。

 この記事に関して、科学的知識に誤解がある、解釈に無理があると思われた方も、もちろん共感していただけた方も、ぜひコメントしてください。




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コスモロジーは綺麗事?

2008年06月27日 | 心の教育

 いうまでもなく、コスモス・セラピー=コスモロジー教育は万能ではありません。

 おなじ授業をしても、受け手によってかなり違った反応があります。

 特徴的なのは、すでに書いた「実感が湧かない」という問題ですが、それと関連して、コスモロジーが単なる綺麗事に感じられるという問題もあります。



 この世界の大局観が養われる授業だと思う。しかし、綺麗事が多いようにも思える。
 人間は皆元を辿れば辿るほど近い存在であるが、この理由で人類愛が成り立つであろうか。宇宙という大きな物を持ち出して、現実を直視していない気がする。
 世界には多くの言語や文化、宗教がある。言葉の通じない相手とは話す事も出来ないし、文化が違えば、「違い」は例え認め合えたとしても、違和感が残る。宗教が違えば、神の名の下に別の神の子を迫害し、殺戮を行う。
 戦争で肉親を殺された人間に人類愛を唱え、武器を取り上げることが出来るだろうか。
 先生の理屈は、世界の中の平和な地域に生まれた人間だけが持つものだ。その理屈では世界の多くの人間は納得しないだろう。
 私はまだ先生の真意が十分に理解出来ていないのだろうか、次回の授業にまた期待します。
                                                  (4年男)



 私は、先生が話していた、今の世代と昔の世代は個体としてはつながっていないけれど、生命としてはつながっているというのはよくわかりました。
 しかし、「今この生きている瞬間もつながっている。だから孤独な人はいない。」と言うのはどうしてもわかりませんでした。それは人間がただそう思いたいからただのキレイ事なんではないのだろうかと思いました。
 みんな産まれる時も死ぬ時も1人なんだと思います。でもそうぢゃないってどこかで思いたいけれど、孤独なんだろうと思ってしまいます。
                                                  (2年女)



 そうした疑問もあれば、以下のようなかなりストレートな反応もあります。

 もちろん伝える側の気持ちとしては、みんなに元気になってもらいたいのですから、こういうふうにストレートに受け止めてもらえるとうれしいのですが、決して強要しないように、「元気になるかならないかは、きみの自由です」というメッセージも忘れずに発しているつもりです。



人間は宇宙の一部であるから、本質的に孤独な人はいない。つまり、元をたどれば1つのエネルギーであって、私達は宇宙と分離しているのではなく、区別されているだけであるからだ。
 さらに、地球上の生物にはエコシステムと呼ばれる食物連鎖があり、一部のみを注目すると非常に闘争的な生存競争にみえるが、全体から捉えると、その争いは決して弱肉強食などではなく、競争的共存関係を生物全体で築いている。
 今までは、漠然とした不思議な感じで、理解できずにいたが、最近では、とても温かい気持ちで講義を聞いている。それは、何か安心に似た感覚と同じで、宇宙や地球にとても親近感が以前よりわいており、“実は一体なんだ”と少しずつ感じているからだ。
 このように考えていくと、宇宙や地球も私たちと同じように心があって、考える力を持っているのではないかと思う。なぜかというと、私たちは現代科学的に“星の子”であり、1つの同じエネルギーから生まれたからである。
 宇宙の長い長い歴史を私の歴史は同じようにも感じられるようになり、命を愛おしく感じる。これまでは、つきつめればつきつめる程悲しくなるので(いわゆるニヒリズム)考えないようにしてきた自分の存在意義が、この授業によってつきつめればつきつめる程ロマンチックにならざるを得ないと思うようになった。
                                                  (2年女)



 宇宙が自己組織化して、その中で地球がそれ以上近くても遠くてもいけない距離で太陽のまわりをまわっていて、何億、何十億年もかけて雨が降り続き、その中で生命が誕生したという事は、まさに奇跡だと私は思いました。
 しかし私が単純に奇跡だと感じたその出来事を、私の生まれるためのプロセスだと考える事で、自分の命が何か壮大な背景に支えられて、ここにあるのだと思いました。
 また、今私がこうやって生きている事は、そのつながりの歴史に支えられている最中なのだと思いました。
                                                 (2年女)



 毎回、今まで学校で教えてもらった平べったい知識が生き生きとした現実に変わっていくので楽しいです。
 Jupiterとコスモスはまさに仏教心理論の主題歌ですね!! 思わずJupiterの着メロをダウンロードしてしまいました。よく聴いて授業を思い出しています。
 先週の授業で、先生の言っている話はキレイゴトに聞こえるというリアクションがあることを知り驚きました。やはり人は皆ちがった感性をもっているのですね。
 私はキレイゴトになる基準を知らないので、全てリアルな話として聞いています。
 なので、これからの地球が今以上に汚れて住みずらくなってしまわないように、身近なエコから始めたいものです。
 自然は競争的に生きているにも関わらず共存できているのは素晴らしいと思います。人も見習いたいものです。
                                                 (2年女)



 先週と今週の授業では、生命のつながりについて学んだけれど、やはり普段生活しているだけでは気づけなかったこと、改めて考えさせられることがたくさんあってとても新鮮だった。
 今の自分がいるためには何億人もの先祖がいて……という話にも感動したけれど、それ以前にまず生命が存在するための土台の段階で、光合成微生物が何十億年もかかて大気の成分を作ったとか、空の青を作った、というふうに考えると、更に感動しました。私たちは何十億年ものいろいろな生命活動によってつくられた地球に生きているんだなと思いました。
 空気がある、水がある、というのは当たり前だと思っていたけれど、そうではなくて、たくさんの微生物や他の植物、動物によるエコロジーシステム、「命のつながり」によってつくられたすばらしい財産を、我々人間は「与えられて」生きているのだと感じました。
 すべての生命に感謝しなくてはならないのに、自分の利益しか考えず自然を破壊する行為は、まちがっていると思います。
                                                   (2年女)




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空はなぜ青いか?:コスモス・セラピーの解釈

2008年06月25日 | 生きる意味

 あわただしく一週間が過ぎ、ブログ更新もままなりませんでした。

 H大の600点以上のレポート、M大の約160×2点の感想文の採点に、主な時間はほとんど取られています。

 自分の研究の時間が足りなくなるという意味では少しつらいのですが、しっかりと学んでくれているなと感じる文章を読むと、それでも今年はなんとかこの人数の若者たちとしっかりつきあおうと思います。

 先週、M大の授業の中で、「なぜ空は青いか、知ってる?」という話をしました。

 ご存知のように、白く見える太陽光線が実は7色の光線が集まったもので、それが水やプリズムといったもので屈折すると、屈折率によって赤・オレンジ・黄・緑・青・紺(深い青)・紫に分かれますが、この並びは光の波長の長い順になっています。

 太陽からやってきた光の中の青から紫にかけての短い波長の光は、大気中の光の波長よりも小さい微粒子にぶつかると大きく屈折して、散乱するのです。

 その小さな微粒子とは、小さなホコリや水滴だという説もあるようですが、青い散乱光をだす粒子は光の波長より小さくなければならないので、むしろ空気中の酸素分子や窒素分子だと考えたほうがいいらしいのです。

 酸素や窒素の分子が、青い光を空いっぱいに散乱させてくれるから、空が青く見える、ということのようです。

 そして、中でも特に酸素があるから、私たち酸素を吸って生きている動物が生きることができるのですね。

 さらに、酸素はふつう原子2個が結合したO₂という酸素分子のかたちで存在しているのですが、私たちの頭上20~30キロメートルの上空で太陽の紫外線によって分解されていったん酸素原子1個Oになり、それらがまた結合することでO₃、つまりオゾンができるのだそうです。

 このオゾンが太陽から降り注ぐ強烈な有害紫外線を吸収してくれていることは、よく知られているとおりです。

 きわめて波長の短い――紫よりも短いので紫外線というわけですが――紫外線は、細胞膜を壊し、その結果生命体を殺します。

 オゾン層に守られているから、私たち生命――すべての生命は細胞から成っています――が地上で生きることができるのです。

 O₂があるから、息をすることができる、生きることができる。

 O₃があるから、生命が守られる。

 その酸素を発生させ、かつて分子酸素のほとんど存在しなかった地球大気に15億年以上もかかって徐々に増やしてくれたのが、私たちのはるか遠い祖先の親戚である光合成微生物とそれが進化した植物であることは、すでにお話ししました。1) 2) 3)

 そうした光合成微生物や植物のおかげで、酸素のたくさんある現在の地球大気ができたのです。

 そして、その地球大気のおかげで、私たちは生きていることができるのですね。

 空の青さは、空にたくさんの酸素がある証拠です(もちろん窒素もです)。

 だからそれはつまり、生命が地上で安全に生きることができる、生きていていいという印だといってもいいでしょう。

 ちょっとロマンティックに表現すると、「空の青さは、きみは生きていていいんだよ、という空からのメッセージなのだ」ともいえるでしょう。

 空の青さは、生命への青信号です。

 だから、私たちは、青空を見上げるとすがすがしい、生き生きとした気持ちになるのだ、と私は解釈しています。

 ちなみに、最初に「空がなぜ青いか」を明らかにした科学者は、イギリスのジョン・ウィリアム・ストラット、第三代レイリー男爵(1842―1919) で、光の散乱の研究から空が青くなる理由を示した「レイリー散乱」 などの業績があり、1904年、ノーベル物理学賞を受けています。

 (大学でここまで話した後で、今日記事を書きながら気づいたのですが、空中窒素はバクテリアによって固定されて植物の栄養になり、その植物を私たち動物が食べて生きることができているのですから、たくさんの窒素大気があることも、私たち動物が生きることのできる条件になっているわけですね。おどろき! ふしぎ! すばらしい! )


                         *

 そういう話をしたら、学生たちが、こんな感想を書いてくれました。


 「空の青さは地上に生命が暮らせるという信号だ」というお話が好きでした。

 今までも空を見るのは好きだったけど、↑この話を聞いてからはもっと愛しい気持ちで空が見れそうです。

 きれいな空を見て気持ちいいなあと思わない人がいない理由が分りました。」


 「青空が青信号だという言葉がすごく印象的でした。

 青空みたいに広くて大きなものに、君は生きていていいんだよ、って見守られていると思うと、頑張ろうって気持ちになる気がします。

 立ち止まらず、前を見て進んで行こうって気持ちになりました。

 また、先週、コスモスとジュピターをききました。

 コスモスは高校3年生のときにクラス合唱で歌った曲だったので、懐かしく思いました。

 コスモスの歌詞がすごく好きで、クラスのみんなで、気持ちを込めて歌った曲だったので、今回あらためてきいて、本当にいい曲だなぁと思いました。

 私はひとりじゃないんだって思いました。




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『サングラハ』第99号が出ました

2008年06月23日 | 心の教育




 『サングラハ』第99号が出て、昨日はボランティアのみなさんと一緒に藤沢のミーティング・ルームで発送をしました。

 いつの間にか創刊から16年半経ち、あと1号で100号というところまでこぎつけました。

 ここまで持続することができたのは、ほんとうに読者や協力執筆者のみなさんのおかげです。

 一人ではできないことでも、力を合わせればできる、ということを実感しています。

 内容もますます充実していて、うれしいことです。

 目次を見て関心を持っていただけた方、表紙にあるアドレスにメールで氏名、住所をお知らせいただければ、見本を差し上げます。どうぞ、お申込み下さい。


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知ったかぶりへの自戒

2008年06月16日 | 心の教育

 教師、講師という、人にお教えすることを仕事としていると、しばしばそれが固まったアイデンティティになり、知らないことがあっても、なかなか素直に知らないと認めにくく、「知ったかぶり」――典型的な〈マナ識反応〉の一つ――をしてしまいがちです。

 恥ずかしながら、私も若い頃はかなりその傾向がありました。

 さすがに最近、それなりに知っていることも増えてくればくるほど、知らないことのほうが山ほどある……どころか宇宙大にあることが身に沁みてきて、ようやく癖が直ってきたような気が――自分では――しています。

 それでも、知ったかぶりをする危険はゼロではないので、次の『論語』の言葉を自戒の言葉にしています。


 子曰く、由(ゆう)よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。


 知らないことを知らないと自覚することが、本当の知ること・学びの基本だというのです。

 確かに、知らないことを自覚するからこそ、知りたい・学びたいという気持ちになれるわけです。

 基本を忘れないようにしたいと思います。



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聖徳太子の寺

2008年06月14日 | 歴史教育

昨日は、姫路で天台宗の布教師研修会で「縁起の心を現代に伝える」という講演をしました。

奇遇にも、もう一人の講師が聖徳太子ゆかりの鶴林寺のご住職でした。

ご挨拶をし、『聖徳太子「十七条憲法」を読む』を差し上げました。

後でわかったのですが、もう一つのゆかりの寺、斑鳩寺のご住職も来ておられました。

残念ながらすれ違いで、ご挨拶、名刺交換はできませんでしたが、今日、お寺にお参りして名刺を置いてきました。

本を書く時点では、お参りできなかった2つのお寺にお参りすることができ、ご住職とのご縁もいただけて、有難いことでした。

どちらにも、聖徳太子のお寺らしい雰囲気があって、いいお寺でした。

機会があれば、また来たいと思いました。

薄く曇った夕焼け空を見ながら、新幹線で帰路です。

(写真は斑鳩寺の三重の塔)
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北欧福祉国家とキェルケゴール

2008年06月09日 | 持続可能な社会

 スウェーデンについての学び、尾崎和彦氏の『スウェーデン・ウプサラ学派の宗教哲学』(東海大学出版会、2002)は大著すぎて、電車の中で読むことができないので、後回しにして、それよりは薄い(でも大著ですが)『北欧思想の水脈』(世界書院、1994)を先に読みました。

 北欧の福祉思想の基本線ともいうべき「自立と連帯」は、キェルケゴール――確かに気づいてみれば、「実存哲学の祖」であると同時に「デンマークのキリスト教思想家」でした――の「単独者」と「隣人愛」の思想をある意味で源流としている、という指摘に驚きとともに納得しています。

 詳述はできませんが、北欧知識人たちの大変な苦闘を経た神話的キリスト教からヒューマニズムへという発展・飛躍が、北欧福祉思想そして福祉国家を生み出していることがはっきりしてきました。

 スウェーデンー北欧が「福祉国家」を超えてさらに「緑の福祉国家」に接近できるには、大変な歴史的な積み重ねがあるのですね

 すでにいちおう目を通した宮本太郎『福祉国家という戦略――スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社、1999)に加えて、『…ウプサラ学派…』も読み、できれば石原俊時氏の『市民社会と労働者文化――スウェーデン福祉国家の社会的起源』(木鐸社、1996)、K・ハストロプ編『北欧のアイデンティティ』(東海大学出版会、1996)なども読んでから、まとめて報告したいと思っています。

 とりあえずの途中経過報告でした。

 それにしても、学びたい、学ぶに価する、学ばなければならないものが多い、多すぎる。時間が足りない。



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政治が面白くなる?

2008年06月07日 | 持続可能な社会






 昨夜は、大阪の盛和塾(稲盛和夫氏が主宰している経営者塾)で唯識の講義をしてきました。

 主に経営者のみなさんの30名ほどの参加者ですが、その熱心なことに驚きと期待を感じています。

 こういうところから日本が変わるかもしれない、と。

 「持続可能な社会」というテーマにも本気の関心を持った方がたくさんおられるようです。


 新幹線の中で、同世代の社会学者橋爪大三郎氏――彼とはかつて『自己から世界へ』(春秋社、残念ながら品切絶版)というシンポジウムで議論しました――の『政治の教室』(PHP新書)を読みました。

 帯に「民主主義についての正しい知識と理解身につけ、私たち一人一人が政治の主人公として行動するのをサポートする、待望の教科書」とありましたが、読んでみて、なるほどとうなづきました。

 2001年に出たものですが、今でも、今こそ役に立つ(特に私にとって)本だ、と感じました。

 いつもどおり論旨明快な文章で、読後感が爽快でした。

 教えている学生が言うように教えている私自身も、もちろん他者の意見をすぐに「鵜呑み」にするつもりはありませんし、「民主主義」理解については他にいろいろな意見がありうると思いますが、現代日本の政治をどうするかについて考えるためのとてもいい参考・刺激になりました。



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コスモロジーへの反応-途中経過

2008年06月06日 | 心の教育



                   女子学生に人気のばら星雲




 昨日は、M大の授業でした。H大よりも話が先に進んでいて、星の創発、さまざまな元素の創発、天の川銀河の創発、太陽系の創発、地球の創発のあたりまで行きました。

 学生たちは、いろいろなとても興味深い感想を述べてくれています(すべて、人間関係学部の女子学生)。以下、いくつかご紹介しておきます。



 まだよく理解できていません。講義の内容はすごく前向きになれるし、現代科学からの知見なので、今までとは違ったプロセスから自分を捉えていくことが出来て、とても楽しいです。
 けれど、現実の社会を見ると、この講義で感じた(まだ理解できていないので感覚だけですが)前向きな気持ちを維持して生きることは難しいです……けれども、本当にこの講義を受講してよかったと思っています。なぜかというと、今までの当たり前に思っていたニヒリズムによるむなしさに問題提起が出来たからです。
 まだ自分の中に完全に入ってきていないので、結論が出せる段階ではないけれど、授業を理解して自分なりのコスモロジーを得たいです。


 典型的な文系人間です。物理や化学の授業は、心の中で「こんなもんが何の役に立つんだ」と思いながら受けていました。習ったことは事実に違いないのに、頭からすっぽり抜け落ちています、知識が。
 それから数年、仏教心理論で理科的な話を聞いて、ぽかーんとなるくらいなら、もっとやっておくんだったと後悔。まさか、自分に関係あることだとは思いもしなかったので。
 宇宙と星とかって言うと、なんだか自分とは遠いもので、離れた所から客観的に眺めるものだと思っていたけど、「みんな星のカケラ」と言われると、50%の疑いと50%の素直な感動に満たされます。うーん、深い。
 今まで漠然ととらえていた生と死を科学的にもとらえられるのなら、まずは自分と関係づけて考えようと思います。


 宇宙のはなしは前々から興味があったので、とても面白かったです。みんな親戚だという先生の考えは、最初は信じられなかったのですが、だんだん、そうだったら面白いなあと思います。そう考えるとなんだかウキウキしてきます。みんな血のつながりがあると思うと、孤独なんてことはないんだなあって。嬉しいことです。
 あと、星が死んで爆発することで新しい元素が生まれるという事実にはおどろきました。星が爆発したことで私が生まれた。“星の子”という表現は星好きな私にとってうれしいです。


 宇宙の話が始まってから、私とつながっている事を抜きにして考えても単純に興味深いお話でした。私が今地球上で、太陽系、銀河の中で、宇宙の中でこうやって生きているのに、自分のいる宇宙の歴史を詳しく知らなかったので、まるで井の中の蛙だと感じました。
 特に、エネルギーレベルで宇宙と私達は一体だというお話に感動しました。
 しかし私は、先生の仰る通り先生のお話を鵜呑みにはしていないので、宇宙の発生が私たちの誕生への準備だというお話はまだ納得できていません。これからの授業で、もっと深めて頂いた上で、判断したいと考えています。


 はかることができないほどの大きな宇宙に銀河系が星くずの集まりができ、惑星ができて私たち人間が誕生した、という先生の話を聞いたとき、とても感動しました。
 私はいつも人と自分を比べてしまい、自分にはこんなこともできないんだとマイナスに考えるくせがあります。
 みんな親戚(遠い)でみんな同じ星の子です、と言われ、心がスーッと楽になり自信が持てました。
 人が夜空の星を見て、キレイだなと思ったり、落ちついたりするのは、みんなが星の子だからかもしれませんね!そう考えると、夜空が恋しくなりました。


 宇宙の話に入ってからはや数回…私の中の全てがひっくり返されたような、自分の中身が新しいものと交換されたような…とにかく驚きと感動の連続です!!
 「感動して鳥肌が立つことって本当にあるんですよ!!」と色々な人に言いたいくらいです。ここ数回の授業中は口が開いたまま受けていました……。
 コスモス・セラピーは超現代的な癒しを私にもたらしてくれました。最近、ささいなことで落ち込んだり、イライラしたり、悲しくなったりしていません。それは頑張ってそう耐えているのではなく、そう思わなくなったのです。宇宙の137億年の中に今、私がいるという奇跡に気付くことができた奇跡をもたらしてくれてありがとうございます。
 初めは180度考えが変わるとは思っていなかったのに、今では180度どころか変わりすぎて計測不能…という状態になりました。
 この世界は楽しいですね。



 それぞれの反応がそれぞれに楽しく、しみじみ今年も教えてよかったなあ――まだ一年の四分の一を過ぎたくらいのところですが――と感じています。

 今年は、このまま順調に行けば、もしかすると2大学あわせて700人くらいのコスモス・ジェネレーション(コスモロジーが自明化して身についた世代という意味)が創発するかもしれません。楽しみです。



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コスモロジーの順序:わかる→腹に収まる→実感する

2008年06月04日 | 心の教育





 昨日、H大の受講者名簿がやっと出来てきました。

 数えてみて驚いてしまいました。なんと、1300名を超えています……と思ったら、これは前後期合わせた名簿だったのですが、でも半分でも660名強です。

 毎年、「これは選択教科で、必修ではないのだから、やる気のない=本気で選択する気のない者は受けないでほしい」とか、「これを受講したら、半年か一年、毎週親父の説教を聞かされっぱなしになるから、説教を聞きたくない人は受講しないように」と、何とか受講者数を減らす努力をしていて、おととしの550名から去年は360名くらいに減らすことができたのですが、今年は逆効果だったのか、この数です。

 (もちろん一人でも多くの若者を元気にしてあげたいのですが、時間と体力の関係で引き受けることのできる人数には限度があるのです、残念。)

 しかも、例年ならそろそろ連休明けの五月病で、出席者が減ってくる頃なのですが、減る様子がありません。

 日本も世界も行く先に希望が見えにくくなってきていて、ますますコスモロジー・メッセージが必要とされる時代になってきたということなのだろうと思います。

 昨日からいよいよ本格的に現代科学のコスモロジーの話に入っています。

 「宇宙が137億年前に始まったから、今日ここに私・きみたちがいる。つまり、私・きみたちの存在には宇宙137億年の歴史が込められているんだよ」と語りました

 そして、ペットボトルのお茶を飲んで見せて、「私じゃなかったものが私になる」という話と、「水はH2Oで、つまり水素原子が2つ、炭水化物にも水素が入っていて、私の体は水素だらけ。その水素は、宇宙ができてから10~30万年の間にできたものが、そのまま私の体になっている。まぎれもなく、宇宙137億年の歴史が私の体に入っている」という話のところまでいきました**

 この段階で、すでに驚きと感動の表情を見せてくれる学生もたくさんいます。

 「実感湧かない」という感じの顔をしている学生諸君もかなりいるので、「わかる→実感するというふうに人間の心はできてないんだよね。わかる→腹に収まる→実感するという順序なんだよ。だから、今は実感がないのが当たり前で、それでいいんだよ。これから、しっかりわかって、それが腹に収まってくるにつれて、だんだん実感が湧いてくる……人が多くなるからね」とコメントをしておきました。



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持続可能な国づくりへの次の一歩

2008年06月02日 | 持続可能な社会

 昨日は、「持続可能な国づくりの会」のシンポジウム反省会でした。

 シンポジウムの参加者の方から、「具体的にはどうしたらいいんですか」とか、「ビジョンはすばらしいが、これを実行するには、戦略と具体的施策が必要だと思う」という意見をいただいているのを、どう受け止めるかということが、大きなテーマでした。

 私は、「持続可能な国づくり」をするには、言うまでもなく「持続可能な国をつくる能力のある政党が主権を掌握する必要があること」、そのためにはその前にまず「持続可能な国づくりを目指す政党が必要であること」、しかし状況はそこまで熟していないので、そういう政党の準備、人材に結集してもらう場として「オピニオン・グループをつくる」ことが戦略目標だろう、という話をしました。

 そして、「そういう戦略目標を立てても、漠然と『みんなでやろう』というのでは、責任主体がはっきりしない。誰が責任をもって担うかが問題だ」と問題提起をすると、代表を含め3名の若者が、「担うつもりがある」と決意表明をしてくれました。

 これで大きく次の一歩が踏み出されたと感じています。

 次は、方向性を共有できる人材をできるだけたくさん見つけ、結集してもらうための呼び掛けをしていくというのが主な具体的な施策・行動の一つになるでしょう。

 また、機が熟してからでいいと思っていたので勉強していなかった「政党の作り方」も調べる必要があると思い、早速、ネット情報から検索をしてみると、「任意団体としての政党はまさに任意に作れる」ことがわかりました。「だれでも、いつでも、すぐにでも作れる」のです。

 しかし、法人としての政党を作るには、「国会議員が5名以上いること、国会議員が5名未満の場合、直近の国政選挙で2%以上の得票をしていること」というややきびしい条件があるそうです。

 その条件が満たされれば、中央選挙管理委員会に申請するのです。

 そして、さらに政党交付金を受けるには、法人登記ができてから、総務大臣に申請する、という手順を踏めばいいということでした。

 あわてることなく、しかしなるべく迅速に、着実に歩を進めたいと思っています。



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持続可能な滋賀社会ビジョンを読みました

2008年06月01日 | 持続可能な社会

 5月11日のシンポジウム「持続可能な国家のビジョン」の時に、西岡先生から「滋賀県はここまでやってますよ」とお知らせをいただきながら、風邪をひいたり、当面の仕事でとても忙しかったりで、なかなか滋賀県のHPを見ることができませんでしたが、ようやく少し時間を見つけて読みました。

 これは、なかなかすばらしいビジョンです。みなさんも、まだでしたら、ぜひご覧下さい。

 県政レベルでここまでのビジョンを描くのは大変なことだったでしょう。

 これが本格的に実行されることを願わずにはいられません。

 私の住む神奈川県のビジョンは、残念ながらかなり違うようです。

 しかし、先週のH大の授業の後、講師室で小澤先生にコメントを求めたら、「こうした地方、県政レベルの努力は、ほかにもいろいろあって、すばらしいのですが、どうしても法律、予算、税制などのところで限界にぶつかってしまいがちなので、やはり国政レベル-政治主導で行かないと」と言っておられました。

 確かにそうだと思います。

 こうしたいろいろある努力-勢力が、地方レベルにとどまるのでなくなんとか国政レベルまでまとまるといいのだが……まとめ上げていきたいものだ、と改めて思いました。



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コメント (1)
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