世界や人生についての根本的な疑問を英語でビッグ・クエスチョン(Big Qestions)といいます。
世界はどうなっているのか、その中で私はどういう存在なのか、なぜ生まれたのか、なぜ生きていなければならないのか、生きていく意味は何なのか、何に価値があり何に価値がないのか、何が正しくて何が悪いのか……などなどの問いです。
そうした問いへの答えの体系を「コスモロジー」(世界観、人生観、価値観、倫理観などを総合した言葉の体系)と呼ぶのですが、近代の合理科学主義的なコスモロジーにはそうしたビッグ・クエスチョンにうまく答えられないという根本的な欠陥があることは、これまで繰り返しお伝えしてきたとおりです。
それに関連して、4月30日朝日テレビ「徹子の部屋」にバイオリニスト高島ちさ子さんが出演していて、5年生の息子さんから「二つ、まだ答えてくれてないことがある」、「金持ちになる方法」、「どうせ死ぬのになぜ産んだ」と問われるが、「この質問がいちばん嫌いなんです」という話をしておられました。
それに対して徹子さんが「そうよね、誰だって答えようがないわよね」と言い、高島さんが「答えようがない」と答えていました。
「答えようがない」と言われていたのは、もちろん後のほうの「どうせ死ぬのになぜ産んだ」という問いのほうでしょう。
徹子さんの「誰だって」というのは、戦後、近代の合理科学主義のコスモロジーを絶対に正しいものであるかのように教えられ、それをまだ信じている大多数の日本人という意味でしょう。
しかし、現代科学のコスモロジーの主要な成果を主客合一的に――つまり自分のこととして――解釈するコスモロジー心理学には、答えようがある、少なくとも答えのヒントを提供できるのです。
そこで、一言コメントしておきたくなりました。
ただ、「どうせ死ぬのになぜ産んだ」という同じ言葉での問いの真意が、「死にたいほど苦しい、空しい」という訴えであるケースがあるので、その場合は、「それはね……」と直接答えようとするのではなく、まず「そうか、とてもつらいんだね」とセラピー的・共感的な対応をする必要があります。
しかし、この息子さんのケースはそうではなく、ほぼまちがいなく現代日本の多くのこどもがある時期直面する人生の意味に関する実存的・哲学的なビッグ・クエスチョンだろうと推測できます。
そして大部分のこどもは、大人からその答えを聞かせてもらえないまま、そのうち問いを忘れて、あるいは無意識的に抑圧して、当面の日々のことで生きていくようになるのですが。
それに対してコスモロジー心理学を学んだ人(ママでもパパでもセラピストでも)ならどう答えるかというと、まず「どうせ死ぬから産んだんだよ」と切り返すでしょう。
おそらくお子さんは「え?」という反応をするでしょうから、「私も最後は死ぬし、おばあちゃんもおじいちゃんも死ぬ(死んだ)し、ひいおじいちゃんもひいおばあちゃんも死んだし、その前のご先祖さまも、みんなみんな死んだんだよね。でもひとりひとりはみんな死んでも、いのちはずっとつながってきている。いのちというのは、つながるから、つなげるから、ずっといのちなんだよね。自分は死ぬけど、いのちはつなげればつながるから、いのちをつなげるために、次の世代を産むんだし、人間のこどもの場合、産みっぱなしだと死んじゃうから、一所懸命育てるんだよ」と伝えます。
近代の個人主義は、個々人のいのちという面だけに目を向けていて、いのちというものが個々人を超えてつながっているというより大きな事実に十分気づいていません。
そして、近代の物質還元主義は、分析的にいのちを物質の集まりの働きとしてだけ捉えているので、そういうものの見方を、学校でもメディアでも家庭でも教え込まれたこどもは、いのちを「どうせ死ぬ」つまり「死んだら物質に還元して終わり」というものとしか見ることができず、「いのちはつながってきた・つながっている・つながっていく」ということに気づくことができない・できていないのだと思われます。
コスモロジー心理学を学んだ人の話は、これで終わりではなく、長い長い――宇宙138億年と生命史40億年と私のつながりの話になるのですが、ここまでで興味を持ってくれたこどもには、長くなるから機会を改めてゆっくり話をするという約束をして、ここでは、「たしかにひとりひとりは死ぬけど、いのちはずっと――40億年の間ずっと――つながってきたし、つながっているし、これからもつながっていくんだよ」という言葉を伝えて、一区切りにするでしょう。
この先の長い話は本ブログでずっと書いてきていますから、興味を持ってくださった新しい読者には、ぜひ過去の記事を読んでいただきたいと思います。
ご自分自身の、そして次世代のこどもたちのビッグ・クエスチョンへのビッグ・アンサーのヒントを見つけていただけるでしょう。