滝宮天満宮の梅

2014年01月31日 | Weblog

 家の近所に滝宮天満宮があって、一昨昨日、梅が1,2輪ほころびはじめていた。

 高松の栗林公園の梅よりは何日か開花が遅く、ようやくという感じである。

 うまく撮れたつもりの写真がぼけていたので、取り直そうと思って、今日また行って見ると、もう何輪も開いていた。

 今日はぽかぽかと暖かかった。

 三寒四温で、足踏みをしながらも春が近づいている。

 毎年、この季節になると道元禅師の言葉を思い出す。


  老梅樹の忽開華のとき、華開世界起なり。華開世界起の時節、すなはち春到なり。(『正法眼蔵』「梅華巻」)

  (ろうばいじゅのたちまちかいかのとき、かかいせかいきなり。かかいせかいきのじせつ、すなはちしゅんとうなり。)

  (私訳:老いた梅の樹がたちまち華ひらくとき、「華開いて世界が起る」のである。「華開いて世界起る」という時節が、すなわち春の到来ということなのである。)


 老いた梅の樹と花と宇宙・世界とは一体であるから、花が咲くということはそこで宇宙・世界が生起するということでもある。花が咲いて世界が生起する時というのが、すなわち春の到来ということなのである。

 宇宙と一体であるから、そもそも梅の樹は宇宙と同じ年齢であり(現代宇宙論で言えば138億歳)、つまりきわめて老いている。

 しかし、その老いた梅の樹‐宇宙は常に新たな現象を創発するのであり、花は宇宙の創発であり、花がひらくのはそこで宇宙が花しているということである。

 宇宙が花しているという季節こそ春の到来であり、それは如来― 一如の世界からやって来たもの―でもある。

 家に帰ってきてから、寒さの中でももう伸び始めている庭の草を取った。もちろん、草も宇宙がそこで草しているのであり、私という小宇宙がそこで草という小宇宙に働きかけたということにほかならない。









 そんな講釈はともかくとして、のどかな一日が暮れようとしている。「日日是好日(にちにちこれこうにち)」。




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霜の造形

2014年01月28日 | コスモロジー

 土地の方にうかがったら、「滝宮は盆地なので、京都と同じで夏は暑く冬は寒い」のだそうだ。

 移転するにあたって、かなりいろいろなことを調べて選んだのだが、そのことには気づかなかった。

 瀬戸内海-四国なのだから、気候は温暖なのだと思い込んでいた。

 山寄りだから、海沿いよりは少し寒いとしても、それほどではないだろうと思ったのだ。

 ところが、香川県でいちばん暑く、いちばん寒いところなのだそうだ。

 これは、誤算といえば誤算なのだが、まさに京都と同じで、その分、四季の変化がはっきりしていて、去年の秋は、思いがけず鮮やかな紅葉を見ることができた。

 そして、この冬は、毎朝のようにみごとに真っ白な霜である。

 これも予想外だったが、神奈川では見られなかった霜の景色を見ることができて、寒いけれど美しい、悪くないな、と感じている。

 もっと年齢がいったら、この寒さが若干つらくなるのかもしれないが、今のところはむしろ爽快な感じである。

 家の前の草地の雑草も、美しい霜の造形になっている。

 寒い地方に住んでいる人には笑われそうだが、とても新鮮だ。

 道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」という歌のように、霜の寒さと美しさを楽しんでいる。

 冬霜冴えて涼しかりけり、というところである。






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高松集中講座 2014年前期予定

2014年01月16日 | 心の教育

 高松集中講座の開始が近づいてきたのと、7月の日程変更がありましたので、改めてお知らせします。

 2月の講座の席は、まだ余裕がありますので、ご希望の方はお申し込みください。

 *7月は、会場の都合で前回お知らせした13日を20日に変更しました。おまちがいのないようご注意ください。

 内容は、東京と同じく高松でも心理学と仏教のプログラムを交互に行なっていきます。

 心理学については、コスモロジー教育=コスモス・セラピーの入門的プログラムを組みました。

 これまで大学等で教えて、非常にたくさんの若者から「これを高校生の時に知っておきたかった」「中学生の時に聞きたかった」「小学生の時に教えてほしかった」等々の感想の言葉がありました。

 私としても、日本の子どもたち全員に早くから伝えておきたいことです。

 しかし、それはもちろん私一人ではできないことなので、ぜひ多くの教師やご両親にお伝えして、なるべく早い時期にできるだけたくさんの子どもたちに伝えていただきたいと願っています。

 仏教については、原点としてのブッダの教え、般若経典・空の思想、大乗仏教の深層心理学・唯識について、単なる教養や知識にとどまらない、「人生の現場に役立つ仏教入門講座」にしたいと思っています。

 実際の役に立つと同時に、自分が日本に生まれたことの精神的な意味を発見することができる講座になるはずです。

 高松-香川-四国-西日本の、持続的に関わってくださっているみなさん、これからサングラハで学びたいと思ってくださるみなさん、よろしければまず下記の日程を来年のスケジュール表に入れてください。

 なお、それぞれ基本的にはシリーズですが、ご都合により単発受講も可能です。

 先までの予定の決められる方は、仮予約を入れておいてください。連絡だけいただければキャンセル料はかかりません。

 2月 2日(日)18:30-21:30(会場の都合でこの日だけ夜)
  「自信を育てるコスモロジー教育入門」

 3月 2日(日)13:30-16:30
  「ブッダは何を伝えたかったか?」

 4月13日(日)13:30-16:30
  「強い心を育むコスモロジー教育」

 5月11日(日)13:30-16:30
  「空とは何か? 大乗仏教入門」」

 6月 1日(日)13:30-16:30
  「感受性を育むコスモロジー教育」 

 7月20日(日)13:30-16:30
  「大乗仏教の心理学・唯識を学ぶ」

 講師:サングラハ教育・心理研究所主幹・岡野守也

 会場:アルファあなぶきホール(香川県県民ホール)五階第一会議室
 (JR高松駅徒歩8分、琴電高松築港駅徒歩8分、電話087-823-3131、高松市玉藻町9‐10)

 参加費:一般2,500円、年金・非正規雇用・専業主婦の方2,000円、学生1,000円(当日いただきます)

 定員:30名

 ◎申込み:氏名、住所、年齢、性別、連絡先(電話、メール等)を明記、サングラハ教育・心理研究所、FAX087‐899‐8178、E-mail:okano@smgrh.gr.jp へ。
 
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冬の散策

2014年01月12日 | Weblog


 我が家の東側は、元は家が建っていたのだが住んでいた方が亡くなってから壊されたそうで、空き地になっている。

 二十メートルくらいだろうか、山茶花の生垣がそのまま残っており、冬に入ってからずっと咲いていて、とても美しい。

 おなじ種類の花でも、花のかたちが微妙に違っていて、さほどでないのときれいなのとがあるが、お隣りの山茶花は花びらが薄めでとても可憐である。

 隣家の花が美しいというのは、とても有り難いことだ。





 山茶花の生垣の脇の小道を通って散策に出ると、家の近所の田んぼは冬景色である。

 少しさみしいが、まさにわび・さびの感じがあって嫌いではない。





 道端の野仏も、寒々としていてしかも風情がある。





 枯れた畦道を通って、町の名前の元になっている綾川の辺りまで歩いた。

 綾川も冬景色である。





 綾川は、西行も訪れたことがあって、川の見えるところの石で昼寝し、以下のような一首を残したという言い伝えがあって石碑が建てられている。


  自ら岩にせかれて諸人にもの思はする綾川の水


 史実かどうかはわからないけれど、岩の多い綾川の様子をよく捉えていて、西行らしいいい歌だと私は思う。確かに、綾川の流れには、ものを思わせるところがある。





 あたりはみな冬景色だが、川の近くのお宅では、もう蝋梅がみごとに満開だった。寒さのなか、それでも確実に春が近づいてきていることを感じる。




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朝日も美しい

2014年01月11日 | Weblog

 先日、「朝日よりも美しい夕日」という記事を書いた。

 ところが、今朝、起きて窓を開けようとしたら、窓ガラスに美しい朝日の輝きが映っていた。





 窓を開けて東を見ると、夕日だけでなく、やはり朝日も美しかった。





 我が家の東側は空き地、南側は休耕田だが、どちらにも真っ白に霜が降りていた。

 寒いけれど、美しい冬の朝である。

 午前中、妻と近所の生涯学習センターに行って、「中世の讃岐武士」という郷土史の講演を聞いて、平安時代から羽床富士=堤山の近くに城を構えていた羽床氏が藤原氏の流れであり、滝宮あたりの領主であったことなどを知り、なるほどと興味深かった。

 春になったら、堤山だけでなく、城跡にも行ってみよう。

 どうせ住むならちゃんと土地に根を下ろそうと思っていることが、徐々に実現しつつあると感じている。

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朝日よりも美しい夕日

2014年01月07日 | 生きる意味




 今日、毎日新聞に「元気に年を取り活動的な生活を――サクセスフル・エイジング」という鳥越俊太郎氏と山野学苑総長の山野正義氏の対談が掲載されているのを、先に読んだ妻が教えてくれた。

 その中で山野氏が、アメリカのとてもいい言葉を紹介していた。

  Sunset is as beautiful as sunrise.

 直訳するとこういう感じだろうか。

  夕日は朝日とおなじくらい美しい。

 暮から今日まで滝宮はわりに好天に恵まれ、毎夕、私の書斎から羽床富士・堤山の右側に沈んでいく美しい夕日が見える。

 我が家の場合、朝日は他のお宅の屋根から昇るので、夕日のほうが朝日よりも美しい。

 私は、お年を召された方にお話しする機会があるとよく「日本には〈老熟〉といういい言葉があります。私もそれを目標にしています。もしいつまでも変わらないで若いままだったら、老熟はないんです。老熟していけるんですから、変化していくこと・無常はいいことなんです」とお話ししている。

 先の言葉を山野氏は「生きるほど美しく」と訳しておられ、実にいい訳だと思った。

 年を重ねるにつれ、朝日よりも美しい夕日のようになっていきたい、と思う。

 それには、もちろん日々の精進が必要なことは言うまでもない。精進波羅蜜多!
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可能な最大限の努力を持続する

2014年01月03日 | 持続可能な社会

 読者のみなさんに向けて、何か「年頭の所感」風のことを書いたほうがいいかなと思いながら、三箇日が暮れようとしている。

 いろいろ考えてみたが、ほぼ『サングラハ』第132号の「近況と所感」で書いたことに尽きそうなので、少しだけ修正して掲載することにした。

 去年の夏、香川に移転してきて、大げさに言えば生き延びるのが精一杯という感じの猛暑に見舞われた後、期待した爽やかな秋のいい季節は短く、急に冬になってしまったかと思ううちに暮になり、そして年が明けた。

 好むと好まざるとにかかわらず、時は流れていき、「光陰矢の如し」、「無常迅速」を実感させられる。

 振り返ると、去年の秋も、大型台風や記録的豪雨が続き、国内でもたくさんの被害が出た。それだけでなく、フィリピンも台風で厖大な数の方が被災されたと報道された。

 異常気象は気候変動がどんどん進んでいることの兆候だが、ここまで顕著になっても、日本では全体としてそれほど危機感がないように見えるのが不思議でならない。

 世論調査などを見ると、一言で言えば「不安感はあるが、それが危機感にはなっていない」ということのようである。

 そういう状況は、日本人論として、自然災害も政治の不都合も同じように「なるようにしかならない」ものと捉えて「仕方ない(つまりコントロールできない)」と一方ではあきらめ忍従しながら、それでも「なんとかなるさ」と楽天的に日々を暮らしていくのが日本の「常民」であり、かたちは「市民」社会になった現代でも日本人の大多数は依然変わっていない、「常民」のままである、というふうに分析すれば、別に不思議ではないと理論としては割り切れるのだが、心情的には、それにしても不思議だという思いが拭えない。

 日本も含む世界の主流は、あまりに無自覚的なままひたすらエコロジカルな危機・「茹で蛙」状態に向っているように見える。

 報道によれば、それでもとりあえず景気はゆるやかに回復しているようだが、庶民には実感がない。

 とはいっても、例えば若い世代の貧困は大きな問題であり、失業率‐有効求人倍率が少しでも改善しているのは、ないよりましの状況ではあるし、景気の回復が必要ないとはもちろん思わない。

 けれども、現在の景気回復政策はエコロジカルな持続性をまったくと言っていいほど考慮していないので、筆者は根本的に疑問、というより否定的である。

 目指すのならば、当面の景気回復にとどまらず、知識産業の発展につながる教育・福祉・環境への投資によって、資源やエネルギーの使用は少なく付加価値は高い商品を産み出すような知識産業を成長させ、その結果として雇用と財政の改善をもたらし、それによってさらに教育・福祉・環境政策を充実・成長させる……という好循環の社会システム=持続可能な社会システムでなければならない、と筆者は考えているからである。

 そうしたヴィジョンを一日も早く多くの人が理解‐共有し実行‐実現できる日が望まれる。

 その他、外交、防衛などまさに「内憂外患」の状況ではあるが、日本には『十七条憲法』や唯識‐大乗仏教といった英知の遺産が遺されているし、制度としてはほとんどトラブルなしに「政権交代」できる「代議制民主主義」があるのだから、やがて「常民・庶民」のレベルを超えて真の「市民としての国民」レベルに成長する人々も、そういう市民‐国民の代表としての政治家も徐々に登場してくるだろうし、そういう政治家たちが理念とヴィジョンの一致に基づいて結集した新しい政治潮流も創発するはずである。

 今年が、そういう方向転換-創発の兆しがはっきり見えてくる一年であることを強く願うし、今年も個の内面と社会の内面、個の外面と社会の外面という4つの象限全体にわたって、自分に可能な最大限の努力を持続する所存である。

 今年も、読者のみなさんのいっそうの理解・共感・支援・参加をお願いしたい。
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