お盆でかみさんの実家に帰省し、お墓参りをし、迎え火を焚いて、ご先祖さまを迎え、朝に夕に仏壇にお線香をあげて手を合わせて、般若心経も心を込めて唱えてきました。
迎え火を焚きながら、親戚の子供たちと花火を楽しみ、日本人にとってお盆はたんなる長期夏季休暇ではないことを、改めて感じてきました。
お盆明け、終戦(正確には敗戦)記念日です。
自由課題に取り組んだ人はいますか? 後の質問、日本人はかつて「人間は死んだらご先祖さま・祖霊になる」と信じていた、とはっきり答えることのできた人は何人くらいいるでしょう?
日本は敗戦を境に、人生観、価値観、世界観について、180度といってもいいくらいの大変革をしました(正確にはさせられてせざるをえなくてしたのです)。
「死んだら先祖になる」と「死んだら〔意味上は〕無になる」、「死んだら〔物質的には〕灰になる」という死生観が、まるで正反対であることはおわかりになりますね?
敗戦前、そうとう多数の日本人(特に庶民)は、霊魂を信じており、死んだ後の世界があると思っており、死んだらすべて終わりではなく、「先祖になる」と考えていたのです。
どのような歴史的なプロセスで、日本人は変わったのか、次回から少しずつ講義を進めていきますが、ここで一言学生にいうのと同じコメントをさせてください。
これから話していくことには、途中で「この人、右翼なんじゃないの」とか、逆に「左翼なんじゃないの」と思われるような点があると思います。
しかし本人は、右・保守派・伝統主義者でも、左・革新・進歩主義者でも、さらにいわゆる中道でもないと思っています。そしてそれらの妥当なところはすべて含みながら、その限界を超えたいというのが意図であり、本人の主観では超えているつもりなのです。
できれば、途中で反応しないで、最後まで話を聞いていただけると幸いです。
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