克服のポイント4――「心は脳の働きにすぎない」から「心は宇宙進化の最高段階」へ
これまで述べた3つのポイントは、特にニヒリズムのポイント①と③b、③cを克服するものですが、さらに現代科学の重要な五つの学説すべてを総合的に捉えると、③a「人生の絶対的な意味はない」という考え方も克服されます。
近代科学の視点からすると、「心は脳(という物質の複雑な組み合わせである器官)の働きにすぎない」ということになり、愛、感動、喜び、創造性……など人生に意味を感じさせてくれる心の働きも、きわめて複雑ではあるが所詮脳という物質の働きにすぎない、ということになります。
ところが、現代科学のコスモロジーを自分のこととして「主客融合的解釈」をすると、まったく違って見えてきます。
複雑度をものさしとして見ると、「脳は宇宙進化の最高段階」であり、しかも「宇宙は一三八億年かけて、脳をベースとしてより複雑な高次な心というものを創発させた」ということになるのです。
「物とは何か」、「宇宙とは何か」、「心とは何か」、「人間とは何か」、「私とは何か」といった反省的な思考は、コンピューターにたとえると、いわば「ソフト」の働きであって、脳という「ハード」には還元できません。
それは、名画がキャンバスや絵の具に還元できないのに似ています。作品は材料に還元できないより高次の創発的・創造的な存在です。
そして、心もまた宇宙の外に出来た宇宙以外のものではなく宇宙が生み出した宇宙の一部というほかありません。
では、私たち人間の意識的な心は何をやっているでしょうか。
心という宇宙の一部のもっとも基本的でもっとも重要な働きは、それ以外の自然・宇宙を対象として認識することです。
その場合、心も宇宙、心以外も宇宙なので、つづめて言えば「心において宇宙が宇宙を認識している」ということになります。
だとすれば、「脳-心は宇宙の自己認識器官である」ということになるのではないでしょうか。
しかも、人間の脳-心は、認識機能だけでなく、進化の過程ですでに感情機能を獲得していますから、大自然・宇宙のさまざまな創造を見た時、クールに認識するだけでなく、そのすばらしさに感動するのです。
その場合も、感動される対象も感動している心も宇宙の一部ですから、つづめると、「宇宙が宇宙に感動している」ということになります。
だとすれば、「脳-心は宇宙の自己感動器官である」ということにもなるのではないでしょうか。
しかも、宇宙には自己組織化・複雑化という進化の方向があるのですから、偶然そうなったというより、宇宙は自己認識と自己感動に向って進化してきた、と結果論から言ったほうが妥当だと思われます。
「宇宙はきわめて多様で複雑な組織を生み出し、その創造のすばらしさを認識し、それに感動することを目的として進化してきた」のではないかという推測も、ほとんどまちがいないくらいの確率で成り立つのではないか、と私は考えています。
以下は『コスモロジーの心理学』(青土社)などで詳しく述べてきたことですが、ここでも簡略に繰り返しておきます。
そもそも「意味」とは「意識的な心が肯定的に味わう体験」のことだと思われます。
つまり、宇宙は意識的な心を生み出すことによって、宇宙の一部・人間の心で意味体験が起こるということを生み出したのです。
それこそ、宇宙的・絶対的な意味(体験)の創発と言うことができるのではないでしょうか。
こう考えると、ニヒリズムのポイントの③c「人生には絶対的な意味はない」も克服されます。
宇宙の一部としての人間の心が認識し感動することにおいて、宇宙的・絶対的な意味が創発し続けているのですから。
さらに言うと、宇宙はその一部であるゴータマ・ブッダなどの覚者の心において、「私は宇宙と一体である」、「私は宇宙である」という、いわば「宇宙の自己覚醒」に到っている、と筆者は捉えています。
宇宙の一部であるブッダが宇宙と一体であると自覚したということは、つづめて言えば、「宇宙が自らが宇宙であることに目覚めた」ということです。
「自分という存在は、宇宙の自己認識―自己感動器官であり、自己覚醒器官になる可能性も秘めている」と自覚したら、そこにはもはや空しさ・無意味感・ニヒリズムは存在しえない、と筆者には思えます。