スウェーデン・フィンランド視察旅行2

2008年02月28日 | 持続可能な社会

 スウェーデン・フィンランドの旅で、あまりにも予想外だったのは、ヘルシンキ、ヨーテボリ、ストックホルムなどで、まったく雪がなかったことです。

 ストックホルムで聞いたところでは、250年ぶりのことだそうです。

 バルト海も凍っておらず、砕氷船が暇そうでした。

 北極圏に行っても、雪はそこそこにしかありませんでした。

 寒がりの私が恐れていた寒さは、ほとんど感じることなく、帰ってきた成田のほうが寒いくらいでした。

 温暖化・気候変動はもうここまで来ているのだ、と深刻に実感しました。

 そして、もう一方、スウェーデンが「緑の福祉国家」に向かってみごとなまでに着実に歩みを進めていることも感じてきました(準備の勉強が不足していたので断定は避けますが、おそらくまちがいなくフィンランドも)。

 それを可能にする国民性の優秀さについての理解も深まりました。

 しかし、「日本はダメだ、北欧はいい」といった不健全な羨望は感じることなく、「いいなあ、私たちもぜひこんなふうにしたいなあ」という健全な羨望を、強く強く感じてきました(論理療法をやっていますからね)。

 こういう面でこそ、日本も一日も早く「追いつき追い越せ」といきたいですね。


 画像は、上からヨーテボリ、ストックホルム、ヘルシンキです。

 とても絵にはなっていると思う町並みですが、雪はこのとおりありませんでした。













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スウェーデン・フィンランド視察旅行1

2008年02月27日 | 持続可能な社会

 今日午前中、スウェーデン・フィンランドの視察旅行から帰ってきました。

 スウェーデンについて、文献で学び、いろいろ語っているうちに、やはり自分の目で見ておかなければならない、と思うようになっていたところ、幸いなことに提携先の株式会社はせがわの環境に関する視察旅行に講師として同行させていただくことになったのです。

 ただ、寒さにあまり強くない私としては、寒いさ中の北欧というのでかなりためらいがあったのですが、どうしても一度は行って見てきておかなければならないという思いで、あえて決心して行ったいわば「義務としての旅」でした。

 ところが行ってみると、幸か不幸か――個人的には幸、世界的にはきわめて不幸なことに――驚くほどの暖冬‐異常気象でした(北極圏は別にして、「東京のほうが寒い」という状態)。

 覚悟して防寒具を買い込んでいったので、その点に関しては拍子抜けでした。

 しかし、文献で知ったことを現地で見て確かめるという目的は十分に達成された実り多い旅でした。

 その実りについて、詳しいことは徐々に書いていこうと思いますが、今日はまずイメージ写真を数枚。

 スウェーデン・フィンランドの第一印象は、何よりも白樺、白樺、白樺……の美しい国でした。

 私のカメラと腕ではその美しさを撮り切れなかったのが残念です。













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コスモス・フォーラム報告

2008年02月13日 | 心の教育

 昨日書こうと思いつつ、いろいろ用事があって、書けなかった一昨日のコスモス・フォーラムの報告を。

 「もしかしたら歴史的事件」は、残念ながら起こりませんでした(最初、「怒りませんでした」と誤変換されました)。

事件は「起こりませんでした」が、私は「怒りませんでした」。

 当日、期待しすぎない範囲で期待しながら、まず2枚の画像を投影し、「星空は私たちの向こうにあるのでしょうか? 私がこちらにいて、向こうに銀河や宇宙があるのでしょうか? それとも、私たちは銀河の中にいる、宇宙の中にいるのでしょうか?」という問いかけをした後で、以下のレジュメのようなことを述べました。











   宇宙(Kosmos)には意志がある――宗教と科学の調和


 もっとも典型的には例えば道元の「尽十方世界一顆明珠(世界はすべて一つの光の玉である)」という言葉が示しているように、仏教哲学的な視点から言えば当然、人間と宇宙は一体であり、その人間の心と宇宙も一体であり、そういう意味で宇宙には心がある・意思があるということも自明のことです。

 それは内面的なアプローチ・瞑想的直観によって把握された命題ですが、外面的アプローチによって形成された現代科学のコスモロジーとほぼぴったりと対応しているのではないか、と私は見ており、今日はその点について科学の専門家の方々のご意見をうかがいたいと思っています。

 アインシュタインの相対性理論以降の物理学、ガモフのビッグバン仮説以降の宇宙論、プリゴジーヌの散逸構造理論、ワトソンとクリック以降の遺伝子の研究、ヘッケル以降のエコロジーの成果など、現代科学の標準的な理論を統合的に理解すると自然に、「137億年前、たった一つのエネルギーの玉(ないし塊)だった宇宙は、ビッグバン以来、エネルギーから物質、物質から生命、生命から心というふうに、自己組織化・自己複雑化という意味で進化し続け、多様なかたちに分化しているが、依然として私たち人間とその心は宇宙と一体である」というコスモロジーが導き出されるのではないでしょうか。そして、私たち人間の心は、宇宙の一部でありながら宇宙を認識しているという意味で「宇宙の自己認識器官」であり、またそういう意味で「宇宙には心がある」ということもできるのではないでしょうか。

 さらに、宇宙進化には自己組織化・自己複雑化という方向性・「指向性」があり、それが宇宙の自己認識器官としての人間の心を生み出したという現在の事実からいわば逆算して推測すると、宇宙には原初から心を生み出す潜在力(ポテンシャル)があり、心を生み出すような「志向性」があった、つまりある意味での意志があると解釈することも十分に可能なのではないでしょうか。

 もしそう解釈することが可能ならば、仏教や他の宗教の核にある神秘主義と現代科学の調和は可能になり、宗教と科学の調和が可能になれば宗教(有神論)と科学(無神論)の対立によってもたらされた近代のニヒリズムは克服されることになり、かつまたそうしたコスモロジーは、理性的・統合的にものを見ることのできるレベルに達した人間同士であれば、普遍的・世界的な合意を得る可能性もあるのではないでしょうか。

 もしそうしたコスモロジーの世界的な合意が可能になれば――あるいはそういう合意が形成されることによってのみ――人類の持続的な平和、人類と自然の持続的な調和のある未来の世界を構想することも可能になるのではないでしょうか。

 そうした大きな合意の先駆けとして、私は今回のシンポジウムに大きな期待を抱いています。


 こうした問いかけに対して、大まかに言えば全面的な賛同は得られませんでしたが、現代科学のコスモロジーを「宇宙の自己組織化・自己複雑化」というラインで理解することと、それをコスモス・セラピー=コスモロジー教育に応用することについては、全員ニュアンスの違いはあっても、承認ないし容認をしていただけたと思います。

 特に、「私たちは星の子」、「私たちは太陽の子」、「私たちは宇宙の子」という言い方をすることについては、全員ご異議はなかったようです。

 このことは、私にとってかなり大きな……70点くらいの成果です。

 現代宇宙論として「人間原理」についての議論が大きなポイントでした。

池内先生の要約をお借りすれば、「弱い人間原理」のポイントは「宇宙を認識していのは人間である」ことと、「この宇宙は人間が生まれる条件(宇宙定数の大きさ)を満たしている」ということであり、「強い人間原理」のポイントは「宇宙は人間を生み出すのを目的としている」ということだそうです。

 そして、池内先生は、「人間原理」には、宇宙は背景であり現場は地球であるという点、人間の生まれたのは偶然かもしれないという点、人間はたかだか600万年前に登場したのであって長い寿命ではないという点、戦争や飢餓や環境問題を考えると必ずしも高等生物とはいえないという点をあげて、欠落点がある、とされ、それに対して「バクテリア原理」――簡単に言えば宇宙の主人公は人間ではなくバクテリアである――というおもしろい説を出されました。

 私は、人間において「宇宙が自己認識」しているだけでなく、「自己感動」をしているし、例えばブッダなどにおいて「自己覚醒」しているという点をあげ、「バクテリアは感動しないと思いますが?」などと、少しだけ反論しましたが、時間が足りないこともあって、徹底討論には到りませんでした。

 このあたりは、宇宙の階層構造と4象限というコンセプトを導入すれば、明快に答えが出るところではないか、と思っていますので、今後、可能ならば議論を続けられるといいと思っています。

 なかでも、司会をしてくださった佐治先生とは、突っ込んでお話しできれば、かなりの大合意に達するのではないか、と予想しています。

 詳しくは、当日の議論の記録が文字起こしされて、たぶん公表もされると思いますので、その時、またお知らせしますし、今後の経過も折に触れご報告しようと思っています。

 当日参加してくださったみなさん、お疲れさまでした。「歴史的事件」は起こりませんでしたが、おもしろかったでしょう? 怒りませんよね?



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「命の重さを知ることができました」

2008年02月03日 | 心の教育

 一月は行く、二月は逃げる、三月は去る……という言葉があるように、あれよあれよという間に一月が終わりました。

 ずいぶん時間をかけて、3つの大学の採点をようやく終わらせました。

 それだけやっていたわけではありませんが、それにしても時間がかかります。

 以下のようにしっかりと心を込めて書いてくれているレポートなので、こちらもしっかりと読まなければならないからです。

 前の文章は学期の半ば、後の文章は学期の終わりに提出してもらった同じ女子学生の文章です(O大学1年。レポートを使わせてくれたY・Yさん、ありがとう! 読みやすくするために、若干改行を加えてあります)。



 宇宙カレンダーを見て、宇宙の進化史137億年を1年に縮尺したものだと言われても、今までの自分だったら、137億年も昔の地球や宇宙を実際に見たことがある人は、現在この地球には存在しないのだから、自分には全く関係のないことだと考えていたと思います。先生の授業を受ける前だったら、そう思い込んだまま、毎日を過ごしていたと思います。

 しかし、先生の話を聞いて、自分自身の考えが、大きく変わりました。今までは、137億年の歴史一つ一つが、今、生きている私たちに大きく影響しているだなんて、考えもしていなかったです。

 宇宙エネルギーは、宇宙が自己組織化し、一部が物質になり、複雑になって生命になり、心を持つ生命になり、認識をする心になります。

 137億年という長い間に起こった全ての出来事があったからこそ、私たちは今こうして生きているのです。もとは、全てが一つのエネルギーであり、エネルギーが物質→生命→心→魂・霊性という進化を遂げてきました。これは、宇宙進化には方向性があるということです。

 私はもともと一つの宇宙と一体で、その一部であり、その進化のプロセスの一部である、ということを聞いて、とても感動しました。

 私は花を見て「美しい」と思います。私は宇宙であり、花もまた宇宙です。つまり私が花を見て「美しい」と思うことは、宇宙が宇宙を見て「美しい」と思っていることになります。

 宇宙には意思があって、宇宙が自己認識しているということが分かり興奮しました。私が人を愛することは、宇宙が宇宙を愛してるということになります。素敵なことだと感じました。

 137億年という長い間に起こった出来事のうち、一つでも欠けていれば、私たちは今、生きていなくて、誰かと出会うことも無かった。今、生きている人と出会えたことは、137億年という月日をかけてやっと出会うことができたということです。137億年かけて出会えたことは本当にすごいことです。そして、生きているということは、それだけでどんなにすばらしいことなのかがよく分かりました。

 このことを全ての人々がしっかりと理解していれば、自分から命を無駄にするようなことをする人は、きっといなくなるはずです。反対に、生きていることがどんなにすばらしいことなのかということを知らないから、自分の命を大切に思えない人がいるのではないかと思いました。

 そして、なぜこのようなことを小学校から高校までの間に教えてもらえなかったのだろうと考えました。私は、このことを知らずに19年間生きてきたことがもったいないことだったと感じます。この授業で先生からの話を聞くことができて本当に良かったです。

 この科学で証明することができる、疑うことのできない事実を知ることができたことによって、生きていることのすばらしさ、出会うことができたよろこびが分かり、今までには無かった大きな感動を味わうことができました。

 宇宙はもともと一つ、今も一つ、だから宇宙と私が一つだということ知らない人の方が多いと思います。だから、もっと多くの人にこのことを知ってもらいたいです。そして、この大きな感動をもっとたくさんの人に伝えたいです。

 今まで当たり前のように生きていて、誰かと出会ってきて、宇宙と自分は関係の無いものだと思い込んでいて、感動の少なかった日常が、先生の話を聞いてからは輝いて見えます。

 日常にはこんなにも感動できることがたくさんあったことに気づかされました。もっと早くから知っていれば良かったと思います。今まで以上に、生きていることや、大切な人たちに出会えたことに感謝して過ごしていきたいです。



 私は、この授業を受けてから悩み事が少なくなりました。長い歴史の中で自分の抱えていた悩みはとても小さいことだと感じるようになったからです。

 先生の話はとても興味深いことばかりで、集中して授業を受けることができました。宇宙と人間-私は一体であるということ、そしてコスモスには自己組織化・自己複雑化という方向性があるということ、そして宇宙には意思があるということが分かった時にはとても驚きました。今まで知らないで過ごしてきて、もっと早く知る機会があれば良かったなあ、と思いました。自分自身の考え方にとても大きな影響を受けました。

 世の中には、全くの他人なんていないんだということが分かり、人に思いやりの心を持って接することは当たり前のことなんだと思いました。そう考えると、とても心があたたかくなった気がします。人だけではなく地球上にあるすべての物に優しくありたいです。そして、なによりも今、私たちがこうして「生きている」ということに感謝の気持ちが強くなりました。命の大切さを先生の授業から学ぶことができました。

 自分と宇宙なんて遠い存在だと思っていたのに、近い存在どころか一体なんだという事実を知ることができて良かったです。

 この授業を受けていなければ、こんなにも命のこと、宇宙のこと、地球のことなどについて真剣に考えることがなかったと思います。なぜ命が大切なのかということも、説明することもできなかったと思います。生きてて良かったと心から思いました。自分の命の重さを知ることができました。まず、自分の考えを宇宙レベルで考えるという発想が、先生の授業受ける以前の私にはありませんでした。

 私は一人なんかじゃないと知り、とてもうれしく感じました。これからも悩み事はあるかもしれないけれど、きっと乗り越えていくことができます。一人じゃないということは生きていく力になりました。

 生きることの意味をこんなにしっかりと教えてくれる人なんていないだろうと思っていました。しかし、先生の授業で、こんなにしっかりと教えていただけたことに本当に感謝しています。ありがとうございました。

 こんなにも自分の考えが大きく変わることになるとは思わなかったです。もっとたくさんの人が知るべきことだと感じました。



 理解度や感動度そして表現力の程度はいろいろであるにしても、ともかくこんなふうにメッセージを受け止めてくれる若者たちが何百人もいるのだから、この仕事は――かなり手間暇がかかって疲れもするのですが――当分止めるわけにはいかないだろうな、と感じています。

 しかし、このメッセージは私の個人的なものではありませんし、上記の学生が「なぜこのようなことを小学校から高校までの間に教えてもらえなかったのだろうと考えました。私は、このことを知らずに……生きてきたことがもったいないことだったと感じます」「もっとたくさんの人が知るべきことだと感じました」と言っているとおりだと思います。

 感想文を掲載するのも、自分の行なった教育の成果を自慢したいからではありません(ま、ちょっとはそういうマナ識的動機もあるかな)。

 そうではなく、できるかぎり多くの親御さんや教師の方たちに、コスモロジー教育を学んでいただいて、子どもたちに「生きることの意味をこんなにしっかりと教えてくれる人」になってほしい、そして、子どもたちに「生きていることのすばらしさ、出会うことができたよろこびが分かり、今までには無かった大きな感動を味わうことができ」、「感動の無かった…日常が輝いて見える」ようになり、「悩み事はあるかもしれないけれど、きっと乗り越えていくことができ」る「生きていく力」を付けさせてあげてほしい、と強く願っているからです。

 コスモロジー教育には子どもたち・若者たちに「生きる力」を与える顕著な効果があることは、これまでに書いてもらった何千もの感想文という証拠を提示することができます。

 といっても、現時点でのコスモロジー教育が、最高、唯一絶対であると思っているわけではありません。

 最近は特に、北欧とりわけフィンランドの教育などからも学びながら、さらにヴァージョンアップをしていきたいと思っているところです。



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だれでもできる坐禅入門

2008年02月02日 | メンタル・ヘルス

*残念ながら雪のため延期としました。改めて日程が決まり次第お知らせします。


 予告申し上げていました坐禅入門の講座、決定しました。

 痛い思いや恐い思いをしないで、気軽に坐禅の仕方を覚えていただけるようにサングラハ式のソフトトレーニングでご指導申し上げます。どうぞ、お出かけ下さい。


 日時:2月3日(日)13時~17時

 場所:サングラハ教育・心理研究所 藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢駅北口から徒歩3分)





 参加費:学生1000円、一般2000円……当日でけっこうです

 定員:10名   

 *坐禅のできるような緩やかな服装をご用意下さい(着替えスペースあり)。

 お申し込みは、メールでokano@smgrh.gr.jp か、ファックスで0466-86-1824 サングラハ教育・心理研究所宛で。



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KOSMOSフォーラム 「宇宙と心~宇宙に意思はあるか~」 案内

2008年02月01日 | 生きる意味

 *2月3日現在、すでに満席で締切りになったそうです。

 第14回KOSMOSフォーラムのポスターができましたので、改めてお知らせします。







 このフォーラムで、日本の一流の科学者のみなさんと、
「宇宙と人間・私は一体である」という点、
そしてその「コスモスには自己組織化・自己複雑化という方向性がある」という点では、
もうほとんど疑問の余地がなく、
そのことは「宇宙に意思がある」と解釈することも十分可能だ、ということ、
そしてそういう解釈は、人類がこれから持続可能な世界の構築に向けて大きな合意を獲得するためのコスモロジーとしての合意ラインになりうる、
ということを、まさに確認―合意できるといいと思っています。

 ちょっとだけ大げさに言うと、もしそういう合意ができたら、それはある種の文化的な「歴史的事件」といってもいい出来事になるのではないか、と期待しています。

 といっても、これまで繰り返し何度も、たくさんのシンポジウム、フォーラム、対談等で、期待したような合意ができない――人間にはマナ識というものがありますから、それはごくふつうのことなんですが――という体験をしてきましたので、今回も期待しすぎない範囲で期待することにしています。

 「もしかしたら歴史的事件」を目撃したい方、急いでお申込み下さい。



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