高松講座のお知らせ

2016年07月26日 | 心の教育

 高松水曜講座「ゼロからはじめる仏教入門 続――日本の心と仏教」

 4月からの講座の延長・続編です。
 どのような歴史的なプロセスを経て仏教が日本人の心を育んできたかを学びます。
 理解が進むにつれて、仏教が伝わったこと、仏教が伝わった日本に生きていることの意味がわかってきて、日本人であることに正当で適切な誇りをもつことができるようになるでしょう。

 8月3日、17日 計2回

 講師:研究所主幹・岡野守也
 テキスト:随時配布します。 
 時間:19時半―21時10分 
 会場:サンポートホール会議室
    7月20日(66会議室)、8月3日、17日(67会議室)
 参加費(一回あたり):一般=2500円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=2000円、 学生=1000円 (当日可)
 定員:30名


 高松水曜講座「大乗仏教とは何か――『般若心経』と『摩訶般若心髄経』から学ぶ」

 まず、お経のなかでももっとも有名でありながら実は中身はよく理解されているとは言えない『般若心経』の意味をしっかりと理解し、さらにそれに足りないところを補うべく新たに編集された『摩訶般若心髄経』を学ぶことによって、大乗仏教が私たちにもっとも伝えたかったこと・智慧と慈悲とは何かを学び・受け取っていく試みです。
 前回の「ゼロからはじめる仏教入門」はこれまでの日本にとって仏教がどういう役割・意味をもっていたのかを明らかにする試みであり、今回の講座はこれからの日本と世界にとって仏教がどういう役割・意味をもちうるかを把握する試みだと言ってもいいでしょう。

 9月7日、28日、10月5日、19日、11月2日、16日、12月7日 計7回

 講師:研究所主幹・岡野守也
 テキスト:随時配布します。
 時間:19時半―21時10分 
会 場:サンポートホール会議室
    9月7日、28日(67会議室)、10月5日(66会議室)、19日(67会議室)、11月2日、16日(52会議室)、12月7日(67会議室)
 参加費(一回あたり):一般=2500円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=2000円、学生=1000円 (当日可)
 定員:30名


 高松日曜講座「自己実現の心理学――マズローとフランクルから学ぶ」

 当研究所は、これまでも一貫して、人間の心理的成長の全サイクル、すなわち自我以前―自我確立―自己実現―自己超越にわたって、自己成長のヒントやツールになるような理論と方法をお伝えしてきました。今回は、自己実現レベルに焦点を当て、人間性心理学と「自己実現」理論の創始者マズローと、ナチスドイツの収容所を生き延びたことで知られる実存心理学・ロゴセラピーの創始者フランクルについて学んでいきます。

 8月7日、9月4日、10月2日、11且6日、12月11日 計5回

 講師:研究所主幹・岡野守也
 テキスト:岡野守也『トランスパーソナル心理学』(青土社)
 時間:13時半―16時半
 会場:8月7日(サンポートホール高松65会議室)、9月4日(レクザムホール第一会議室)、10月2日(サンポートホール55会議室)、11月6日(高松市生涯学習センター会議室)、12月11日(同じ)
 参加費(一回あたり):一般=2500円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=2000円、学生=1000円(当日可)
 定員:25名

 ●申し込みは、氏名、住所、性別、連絡用の電話番号、メールアドレスを明記して
  サングラハ教育・心理研究所宛 ファックス:087-899-8178
  または メール:okano@smgrh.gr.jp へ。




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高松講座:コスモロジー教育入門3 案内

2014年12月18日 | 心の教育

 ご案内がギリギリになってしまいましたが、来週日曜日21日(13:30-17:30) は、高松での集中講座です(あなぶきホール第1会議室にて)。

 「つながりにきづく・つながりをきづく――コスモロジー教育入門3」です。

 私たち(人間も他の生命もそして地球環境も含む)は、根本的に分かちがたくつながりあって存在しています。

 そのことに深く気づいていくことが、心を癒し、成長させてくれます。

 そして、その気づきは、さらに自分と他者との肯定的なつながりを積極的に築いていくことにつながり、他者との積極的なつながりは、人生の楽しさ、豊かさ、充実感、意味感をもたらしてくれます。

 そういう意味で、子どもはもちろんすべての人間の心を育むうえでのポイントは、「つながりにきづく・つながりをきづく」ことではありませんか、という提案的レクチャーと、実際につながりに気づき・つながりを築くワーク(体験学習)とを行なっていきます。

 まだ定員に達していませんので、今からでもお申し込みいただけます。

 どなたでも、お気軽におでかけください。


 MAil: okano@smgrh.gr.jp または Fax. 087-899-8178 へ、住所、氏名、年齢、性別、職業、連絡先(電話番号、メールアドレス等)を明記してお申し込みください。

 参加費は、一般2500円、年金・非正規雇用・専業主婦2000円、学生1000円、です。

 
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強い心を育むコスモロジー教育:高松集中講座第6回 案内

2014年04月05日 | 心の教育
 4月13日の高松集中講座は、実り豊かな学びで終了しました。

 回を重ねるごとに参加者の数も増えてきて、とても喜んでいます。




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岸見一郎『嫌われる自由』書評

2014年03月06日 | 心の教育

 先日、共同通信の文化部から依頼を受け、岸見一郎氏の『嫌われる自由』の書評記事を書きました。

 以下のものは2月23日の信濃毎日新聞に掲載されたもので、他にもいくつもの地方紙に掲載されているとのことでした。

 記事にも書いたとおり、アドラー解釈に関して岸見氏とは違うところもあるのですが、なかなか明快で一貫した解釈が語られていて、興味深く読みました。

 余談ですが、ここでも「仏教心理学者」という呼称をいただきました。私が指定したわけではありません。

 4象限にわたる統合的な仕事をしたと思っているので、特定象限の肩書き・呼称で限定されたくないのですが、社会的には必要なものなので、まあとりあえず「仏教心理学者」でもいいかなと思ったり、どちらかというと「在野の思想家」のほうがいいかな、と思ったりしています。

 関心のある方は、拙著『仏教とアドラー心理学』と比較して読んで、どこがどう違うかを読み分けていただくと面白いと思います。







嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社



仏教とアドラー心理学―自我から覚りへ
クリエーター情報なし
佼成出版社


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東京集中講座 2014年前期予定

2014年03月03日 | 心の教育
 *下記の日程のうち、5月14日(土)は誤植で、正しくは5月24日(土)でした。お詫びして訂正します。

 熱心な参加者のみなさんのおかげで、2014年度も非常に充実した学びが続いています。

 次回は、3月22、23日の土日です。

 土曜日は仏教、日曜日は心理学のプログラムです。

 仏教については、ここのところ数年にわたり般若経典の講義が多かったので、久しぶりに唯識に戻って、入門、初級、応用編と学びを進めていきます。

 心理学については、当研究所のオリジナル・プログラムであるコスモス・セラピー+他の心理学(アドラー、マズロー、フランクル、論理療法)や唯識との比較や統合可能性を併せて学んでいきます。

 持続的に関わってくださっているみなさん、これからサングラハで学びたいと思ってくださるみなさん、よろしければ下記の日程を今年のスケジュール表に入れてください。

 なお、それぞれ基本的にはシリーズですが、ご都合により単発受講も可能です。

 先までの予定の決められる方は、仮予約を入れておいてください。連絡だけいただければキャンセル料はかかりません。


 日時:

 「唯識を基本から学ぶ 全6回」

 1月18日(土)13時―17時
 2月15日(土)   〃
 3月22日(土)   〃
 5月24日(土)   〃
 6月21日(土)   〃
 7月26日(土)   〃

 「コスモス・セラピー+α 全6回」

 1月19日(日)13時―17時   
 2月16日(日)   〃
 3月23日(日)   〃
 5月25日(日)   〃
 6月22日(日)   〃
 7月27日(日)   〃

*4月はお休み

  会場:フォーラムミカサ・エコ
 (JR神田駅西口四分、内神田東誠ビル8F、千代田区内神田一‐一八‐一二)すべて同じ会場。
 参加費(一回あたり):一般7千円、会員6千円、年金生活・非正規雇用の方・専業主婦4千円、学生2千円
定員:それぞれ23名

◎各講座(東京・高松共通)申込み:氏名、住所、年齢、性別、連絡先(電話、メール等)を明記、サングラハ教育・心理研究所、Mail:okano@smgrh.gr.jp か FAX087‐899‐8178へ

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高松集中講座 2014年前期予定

2014年01月16日 | 心の教育

 高松集中講座の開始が近づいてきたのと、7月の日程変更がありましたので、改めてお知らせします。

 2月の講座の席は、まだ余裕がありますので、ご希望の方はお申し込みください。

 *7月は、会場の都合で前回お知らせした13日を20日に変更しました。おまちがいのないようご注意ください。

 内容は、東京と同じく高松でも心理学と仏教のプログラムを交互に行なっていきます。

 心理学については、コスモロジー教育=コスモス・セラピーの入門的プログラムを組みました。

 これまで大学等で教えて、非常にたくさんの若者から「これを高校生の時に知っておきたかった」「中学生の時に聞きたかった」「小学生の時に教えてほしかった」等々の感想の言葉がありました。

 私としても、日本の子どもたち全員に早くから伝えておきたいことです。

 しかし、それはもちろん私一人ではできないことなので、ぜひ多くの教師やご両親にお伝えして、なるべく早い時期にできるだけたくさんの子どもたちに伝えていただきたいと願っています。

 仏教については、原点としてのブッダの教え、般若経典・空の思想、大乗仏教の深層心理学・唯識について、単なる教養や知識にとどまらない、「人生の現場に役立つ仏教入門講座」にしたいと思っています。

 実際の役に立つと同時に、自分が日本に生まれたことの精神的な意味を発見することができる講座になるはずです。

 高松-香川-四国-西日本の、持続的に関わってくださっているみなさん、これからサングラハで学びたいと思ってくださるみなさん、よろしければまず下記の日程を来年のスケジュール表に入れてください。

 なお、それぞれ基本的にはシリーズですが、ご都合により単発受講も可能です。

 先までの予定の決められる方は、仮予約を入れておいてください。連絡だけいただければキャンセル料はかかりません。

 2月 2日(日)18:30-21:30(会場の都合でこの日だけ夜)
  「自信を育てるコスモロジー教育入門」

 3月 2日(日)13:30-16:30
  「ブッダは何を伝えたかったか?」

 4月13日(日)13:30-16:30
  「強い心を育むコスモロジー教育」

 5月11日(日)13:30-16:30
  「空とは何か? 大乗仏教入門」」

 6月 1日(日)13:30-16:30
  「感受性を育むコスモロジー教育」 

 7月20日(日)13:30-16:30
  「大乗仏教の心理学・唯識を学ぶ」

 講師:サングラハ教育・心理研究所主幹・岡野守也

 会場:アルファあなぶきホール(香川県県民ホール)五階第一会議室
 (JR高松駅徒歩8分、琴電高松築港駅徒歩8分、電話087-823-3131、高松市玉藻町9‐10)

 参加費:一般2,500円、年金・非正規雇用・専業主婦の方2,000円、学生1,000円(当日いただきます)

 定員:30名

 ◎申込み:氏名、住所、年齢、性別、連絡先(電話、メール等)を明記、サングラハ教育・心理研究所、FAX087‐899‐8178、E-mail:okano@smgrh.gr.jp へ。
 
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大学での授業はひとまず完了

2013年01月18日 | 心の教育

 今日は、読者にとってどうでもいいかもしれない私事の記事です。

 先週、法政大学、一昨日、武蔵野大学、昨日、桜美林大学の授業が終わり、これでそれぞれ12年、9年、7年間の大学での仕事が完了しました。

 ブログのタイトルと同じく「伝えたい! いのちの意味」という気持ちでやってきましたが、これまで何度も感想文などをご紹介したとおり、かなりの数の若者につながりコスモロジーの視点から見えてくるいのちの意味についてしっかり伝えることができた、と感じています。

 私は、税法上は民間の「著述業者」であり(呼称としてはかつて東京新聞の書評で「在野の思想家」と書いてもらったのがとても気に入っていますが)、第一作の『トランスパーソナル心理学』(青土社)以降、いろいろ書いてきました。

 しかし、書いても書いてもどうも届けたい読者(特に若い世代)に届いていないという感じがして――後に学生に聞いたら「だって俺ら本屋に行かないもん」とのことでしたが――誘ってくださる方があり、「しょうがない、こちらから出前出張だ」という気持ちもあって、大学で教えるようになりました。

 教えてみると、メディアでの印象と違って、大学をレジャーランドと心得ちがいしている若者ばかりではなく、真剣に人生の意味を求めている若者も相当数?あるいは一定数いることがわかり、手ごたえを感じ面白くて、四国学院大や青森公立大学での集中講義も含めると、気づいたらいつの間にか15年、大学で教えてきたことになります。

 きわめて本気で取り組んできたつもりなので、終わったら「感無量」という感じになるかと予想していましたが、昨日の帰り道、意外にすっきり、さっぱりした感じでした。

 なぜだろうと考えてみると、年相応の疲れのために「肩の荷を下ろした」という感じでほっとしているということもあるでしょうが、それよりは気持ちが次のことに向かっているからだと気づきました。

 これまではアウトプットにそうとう時間を取られていたので、これからはインプットのほうに時間を使えるようになる、ということもあります。

 ゲーテが「時よ止まれ、おまえはあまりに美しい」という名セリフを吐いていますが、私にとってこの世には知りたい・調べたい・解明したいことが――もちろん体験したい・感じたい・感動したいことも――まだ山ほど残っているという感じで、時間が足りません。

 「時間よ、もう少しゆっくり流れてくれ」という感じです。

 それから、サングラハ教育・心理研究所と持続可能な国づくりの会の両方を通じて続けてきたメッセージの発信は、これまでとかたちを変えてしかししっかり続けていくつもりなので、それをどうしようかとあれこれ考えている、ということもあります。

 もちろん、本職の著述の時間もこれまでよりは多く取れるようになるので、出版状況さえゆるせば、これまでよりも多めに書いて出版していくつもりです。

 (若者よ、本屋に行け! 一時的に楽しいだけで消費・浪費されてしまう情報よりも、もっと魂の栄養になる情報を包んでいる書物を買って読みなさい! 市場社会では残念ながらどんなに本質的価値があっても、売れないものは流通しない。価値あるものを流通させるのは価値を理解できる「賢い購買者」の存在なのです。)

 私が人生にとってきわめて基本的で重要だと考えていて、君たちに伝えたかったことを、受けて止め学んでくれた、これまでの学生諸君、有難う!

 よかったら、これからも、ブログや本や講座・学習会などで、さらに一緒に学びを続けて下さい。

 ネット学生のみなさんも、ぜひこれからも学びを続けましょう。

 「いったん始まったら、学びに終わりはないのだよ」(クリシュナムルティのクリシュナムルティ・スクールの生徒たちへの言葉)。

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年越しのレポート採点

2012年12月31日 | 心の教育

 七十歳まで続けようと思っていた大学への出講を、考えるところがあって、今年度いっぱいで終わりにすることにしました。

 非常勤講師で毎週一コマという形ではいちばん長い法政大学での講義は、数えてみるとちょうど一回り十二年になりました。

 最初の年十八歳だった若者が、もう三十歳になっているという長さです。

 一〇七名から始まり最多の年には七七〇名に達し、学生たちの反応にやりがいや面白さを感じると同時に、膨大なレポートの採点にはかなりまいるなという感じでした。

 今年度後期は、なんとか五五〇名ほどまでに減りましたが、それでもレポートが多くて、年末最後の最後まで読み切れず、年を越してしまうことになりそうです。

 しかし大変だなと思う一方、下のような感想を読むと(すべて社会学部の一年生)、「やはり教えてよかった。このやりがいと大変さのアンビバレンツな感じも、今年度で終りなんだなあ」という感慨があります。

 これ以外にもとてもたくさんの学生が「ありがとうございました」「さみしいです」という言葉を書いてくれたのは、こちらも本当にありがたく、そしてさみしくもあります。

 しかし、惜しまれているうちに去るのがいいのかもしれません。

 年が明けて最初の授業一回ですべて終了です。実際に終わってしまったあとで、多分もっと深い感慨が湧いてくるのでしょう。

 何かが終わり、何かが始まる、そしてそれぞれに人間・凡夫らしい感慨が伴う。そのすべてが無常の時のなかの自然なことなのだな、と思います。


 前期の授業を受けて、私たちは他のすべてのものとつながっていて一つである、ということを学び、私はずいぶんと生きやすくなり、心のつかえもとれたような気がしていましたが、具体的に何をしたらよいのかわからなく、もどかしく思った時期もありました。
 しかし、後期のこれまでの講義を受けて、これから自分が何をすべきなのか、方向性が見えてきた気がします。私にできる道筋を示してくれたこの講義は本当に有意義なものであったし、先生には本当に感謝しています。来年度、ぜひとも後輩たちにも先生の講義を薦めたいと思っていましたが、今年度で退職なさると知り、寂しく思っています。
 私はまだまだ未熟で、煩悩から抜け出して覚りの境地には程遠く、長い時間がかかると思いますが、少しでも覚りに近づけるよう、努力してきたいと思います。
そして、いつの日かまた先生にお目にかかることができればと思っています。
 一年間、お世話になりました。本当にありがとうございました。


 中学3年の合唱コンクールで他クラスが歌った曲で広く感銘を受けたものがある。「cosmos」という曲である。星空の下で、私たちは皆宇宙の一部であり、皆一つなのだと語る、といった歌詞であった。一方、自分のクラスが歌った曲は国を追われた流浪の民が安住の地を求めさすらう内容であった。これこそ、仏教そしてこの唯識の煩悩から覚りの図式なのではないのだろうか。煩悩に苦しみ、さまよう中で自己と宇宙との一体感に気づき、救われる。この体験がこの唯識の理解の手助けにつながったのではないだろうか。5年ほど前の出来事であるが、このレポート作成にあたり、授業以来あらためて唯識について整理し直して思い出した。そして当時の感動が脳裏によみがえった。苦しみの先にある宇宙との一体感という光がこんなにもすばらしいものなのだと。こんなにも身近なところに宇宙との一体感に気づくチャンスがあったのに、なぜ今まで気づかなかったのだろう。春先から前期・後期を通じて先生から教わってきたが、このようなすばらしいことに気づかせていただいた先生には感謝の言葉も見つからない。そんな先生が今期で法政大学から去ってしまうのはたいへん寂しいことだが、先生にはぜひともこの世界観を新たな地でも広められることを切に願うばかりである。また私自身も唯識の歩みを実践していきたいと思った。


 私は前期も後期もこの授業を受けました。初めの頃、先生はこの授業を真面目に受ければ、絶対に変わるとおっしゃっていましたが、やはり最初は私も半信半疑でこの授業を受けていました。しかし、一年間この授業を受けて、私はすごく変われた気がします。周りから見たら本当に変わったかなんてわからないかも知れませんが、自分の考え方は確実に前向きに変わっています。全てのものは宇宙レベルでみなつながっていて、私もそのつながりの中で生まれました。それを考えると、自分とつながっているすべてのものへの感謝の気持ちと、今、自分がここに存在している意味を見出せる気がします。今まで私も、自分が幸せで充実していればいいやという自己中心的な考え持っていました。でもこの授業で、自分という存在と改めて向い合い、そのような考え方がどれだけ恥ずかしいものだったか気づくことができました。唯識という考えを学んで、生きることが今よりもっと楽しみになりました。先生の授業を一年間受けることができて本当に良かったです。『「日本再生」の指針』も買ったので、ぜひ読みたいと思います。一年間ありがとうございました。この授業で学んだことを大事にしてこれからもがんばっていきたいです。


 「現代社会と宗教」の講義、前後期の二冊のテキストを通して、私の考えは、入学したときとは大きく変わったものになりました。入学したころ、私たち人間は、親から先祖、太陽、食べ物、水、空気など私ではない他のものとのつながりの中で生きていて、自分一人で生きることはできないという考えなど微塵もなくて、「俺はもう大人なんだから誰の世話にもならない。自分一人で生きていける」という風に考えていました。しかしその考えは、「現代社会と宗教」という講義によって大きく変わりました。
 「世界は、一つであり、全てがつながっている」、こういう風な考え方が世界中に広まっていけば、戦争や犯罪などは全ておかしいものだと考えてなくなるのではないのかと、私は本気で思います。
つながりというのは、あるのが当たり前すぎて、その存在になかなか気づくことができないものだと思います。私は、この講義、二冊の本によってその存在に気づくことができ、考えを変えることができました。
これからの人生は「一つから世界を見る」という見方で生きていきたいと感じました。


 なお、大学での授業は今年度ですべて終わりですが、このネット授業+αは続けますので、よろしければ続けてお読みいただけると幸いです。

 では、読者のみなさん、よいお年を。




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我に返ったような気持、心が明るくなった

2012年09月01日 | 心の教育

 コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、繰り返し述べてきたように現代科学が明らかにした事実や理論に基づいていて、ちゃんと聞いていればごく自然に納得がいくものなので、最初はまったく期待していなかった場合でも、むしろ疑ったり反発していたりした場合でも、ある段階まではスケールが大きすぎてついていけないと感じていたりした場合でも、どこかの段階で大きな変化をもたらすことがしばしばあります(もちろん少数――平均的に10%以下――最後まで理解できない、ついていけない、理解できても変わりたくないというケースもあります)。

 以下の2つは、最初はついていけなかったというケースとまったく期待していなかったというケースです。



 H大学社会学部1年女子

 私は今までどちらかというと、近代科学のコスモロジーよりだった。

 生きることに何の意味もないと思っていたのだ。

 しかし、先生の授業、コスモロジーの心理学を読み、現代科学のコスモロジーを知って、私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ちである。

 特に感動した点が2つある。

 1つは、私は、生まれることは選べないが、それを贈り物として捉えることができるということ。

 このことに気づけたおかげで、今まであまり関係が上手くいっていなかった両親に感謝の気持ちを表せるようになった。

 2つ目は、私達自身が宇宙であること。

 スケールが大きすぎて、授業や本を読んでも最初はついていけなかったのだが、身近なものがすべて私たちの家族であるという事実を受け入れて、改めて実感し、感動した。

 先生の言った通り、本当に自分の人生観が変わったので、驚きとうれしい気持ちでいっぱいである。



 上の女子学生の「私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ち」というという言葉は自分の肯定的な変化の感じをとてもよく表現していて、印象的です。

 「宇宙とつながった私・宇宙と一体の私」という事実に気づくということは、「本当の自己に目覚める」という仏教の覚りの入り口のようなもので、気づくと、まさに「我に返ったような気持ち」になるのですね。



 H大学社会学部1年男子

 私は、この授業を受けて、自分のもどかしく何とも言えない感情に対して一蹴してくれたと思う。

 私がこのニヒリズムやシラケといったそのものの考えだったからである。

 しかし、私はこんな状態の自分や毎日に不安のようなものを持っていた。

 だが、既存の宗教や考えではどこか他人の話のように思えてならず、結局自分のこのどうしようもない感情には応えてくれなかったのである。

 だからこそ、この授業ですらたいした期待を持っていなかった。

 けれども、授業内でおっしゃられた「地球も宇宙なんだよ」という言葉から考えが一変した。

 今まで宗教は、現代の科学が発達した社会においてどこか矛盾点をはらんでいた。

 しかし、この現代科学のコスモロジーはそんなところが一切なく、むしろ科学と宗教の一体となった考え方で、従来のそれとは一線を引くものでした。

 私は人に納得させられるのがあまり好きではないので、ここまで納得させられたのはとても悔しいのですが、生きていく上でとても心が明るくなったので、岡野先生には大変感謝したいです。



 最初は大した期待を持っていなかった上記の学生は、話の流れの中の1つの言葉をきっかけに世界観が変化したことを報告してくれています。

 「既存の宗教や考え」では答えられなかった人生の根本的な問い=ビッグ・クエスチョンへの答えが現代科学のコスモロジーにあることにはっと気づいたわけです。

 現代科学のコスモロジー(のコスモス・セラピー的解釈)は、宗教のエッセンスと科学の妥当性を統合しうるものだと私は考えていますが、それについてこの学生とも合意を獲得することができました。

 時々あるケースですが、この学生も、「他人に説得された」という感じがあったのでしょう、「ここまで納得させられたのはとても悔しい」と感想を述べています。

 本当は私の伝えた事実と理論によって「自己納得」し「自己変容」したのですから、自分の自己変革力をほめてあげればいいので、悔しがる必要はないと思うのですが。

 論理療法、認知療法、認知行動療法などの臨床的・実証的研究が明らかにしているとおり、その人のものの考え方・認知の枠組みが変わると驚くほどものの感じ方・感情が変わり、行動も変わります。

 コスモロジーはものの受け取り方のもっとも大きな枠組みですから、それが変わると人生や世界の見え方も根本的にといっていいくらい変わります。

 最初の女子学生の場合は、「生きることに何の意味もない」という人生感覚から、「我に返ったような気持ち」、「感謝の気持ちを表せるようになった」、「驚きと喜びでいっぱい」という変化を遂げていますし、後の男子学生の場合は、「もどかしく何とも言えない感情」、「ニヒリズムとシラケ」、「不安」といった感情から、「生きていく上でとても心が明るくなった」という変化を遂げています。

 実は、こうした変化が一時の感動にとどまらずどのようにパーソナリティ構造にまで定着していくかという次の課題はあるのですが、彼らは(そして数百人の学生たちも)、ともかくニヒリズムからの脱出口はまちがいなく見つけたと考えていいと思います。



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コスモス・セラピーというメソッドの確立

2012年08月24日 | 心の教育

 これまでは、学生の感想だけを紹介してきましたが、授業やテキストをどういうふうに理解した結果そういう感想を持ったのかをわかっていただくために、ここで1つ女子学生の授業内容のまとめと感想を全文紹介したいと思います(読みやすくするための改行とごくわずか誤字などの訂正を加えています)。



 社会学部1年女子

 既存であった、人々の人生を支えていたコスモロシーの形態が崩壊した最初の段階は、近代化の推進である。

そしてこの近代主義も、様々な段階を踏み現在へと至ったのである。

 最初に、近代科学の確立があげられる。

 天動説が指定され地動説が主流となっていき、デカルトにより方法論が確立され、原子説・分子説・細胞説と近代化の基本が固められていった。

 そこでおのずと浮上するのは、「人間も原子でできている、物質にすぎない。」という説だ。

 そして続く近代化の流れは、ダーウィンによる進化論の確立に見られる。

 このことにより、従来の「人間は神の手によって作られた神の愛・対話の相手だ」という信仰は消し去られて人間も動物の一種なのだという事実が科学的根拠とともに証明された。

 この出来事は人々にダーウィニズムをもたらし、より激しい生存競争を伸張し、弱肉強食という考えを深く刻ませた。

 そして最終的な近代化の段階として、今まで実証されてきた理性・科学主義、物質還元主義、無神論、ヒューマニズム、進歩主義がひとまとまりなった、「近代主義」が主流となる。

 ニーチェの「神の死」がそれをよりいっそう深める。

 これらの流れを経て、今現在常識的な考えとなっている「近代主義」が確立されたのである。

 「近代主義」には大きなメリットがあり、もはや失うことのできない産物であるが、また同時に多くのデメリットも生んでしまった。

 その一つに、コスモロジーの崩壊があげられる。

 もはや人類は、失われたコスモロジーに代わる生きる拠所は見つけることができないのであろうか?

 答えは、否である。

 岡野先生が新たなコスモロジーの形を提案する。それは、「みんなつながっている」ということだ。

 それはまず、自分で作ったのではなく、「与えられた」いのちに感謝し、「無条件・無償で与えられた贈り物」だと認識し、現在生きているのも、「生かされている」からだ、という事実を知ることから始まる。

 ぼう大な数のご先祖さまがいて、自分がいる。

 当たり前の事実だが、皆意識せず見逃している事実である。

 そしてこのぼう大な数の先祖をたどれば、人類は皆どこかでつながりを持っている、ということが分かる。

 さらにさかのぼれば、いま吸っている空気からはじまり、その空気を生む植物、さらには動物、そして大地・地球、太陽、惑星、太陽系――つきつめれば、宇宙である。

 私たちは宇宙とつながっていて、それらすべて、どれか1つでも欠けていたら今私たちはいない。

 考えてみたら納得の事実である。

 このようなシンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる。

 宇宙137億年の歴史が込められた私たちの体は、まちがいなく価値あるものなのである。

 私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。

 シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。

 しかし衝撃的であり色濃い出来事だった。

 「宇宙とつながっている」「自分の命は先祖様たちの愛の結晶である」ということを知って少し心強くなった。

 そして「自殺」であるが、私はあんまり考えたことはないが、つらい時一瞬「もしも…」と想像してみたことがある。

 だが先生の「自殺はある種のエゴイズムである」という言葉で、自殺はしてはいけない、残される人のことも考えて生きなければいけない、という考えが確固たるものとして私の中にできあがった。

 これだけ人々が見逃している事実を、もう一度すくい上げて確認するというメソッドを確立した先生はやはり偉大であり、尊敬すべき恩師であるのだなと実感した。

 後期のご講義も楽しみにしています。



 彼女は、文章はややたどたどしいところもあるのですが、授業内容をきちんと理解した上で、コスモス・セラピーの基本的方法が「シンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる」ということであることをしっかり把握しています。

 そして、「私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。しかし衝撃的であり色濃い出来事だった」という自分の実感を述べています。

 そう実感したからこそ、「メソッドを確立した」という評価をしてくれたのでしょう。

 「わかってくれてありがとう」と言いたくなるような、とてもうれしい評価です。

 主客分離の近代主義が常識になっている社会の中では、シンプルな事実でありながらそれに気づくことができないような「空気」・文化的なムードが出来上がってしまっています。

 ですから、そういうムードの中で生活し、教育を受けてきた圧倒的多数の学生が、こうした気づきについて「私の人生で初めてのこと」といった感想を持つのは当然といえば当然です。

 しかし、その当然が多くの若者をニヒリズム・エゴイズム・快楽主義に陥らせてしまっているのですから、あまりにも残念な当然です。

 そういうはなはだ困った当然を変えるためのメソッドとしてコスモス・セラピーは、幸いなことにこの女子学生に対してもかなり有効だったようです。

 その実感を、「恩師」という言葉を使って表現してくれたのだと、少し面映いのですが受け止めました。


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みんな星の子・宇宙の子

2012年08月23日 | 心の教育

 H大学社会学部1年男子

 この考えをはじめて聞いたときは、とてもぶっ飛んだことを仰っているなと思いましたが、宇宙の歩みのプロセスを辿っていくとなるほど。

 自分の存在は奇跡的であり、もしかしたら必然的であり、宇宙の一部として恥のないように自分の役割をまっとうしていきたいと思いました。

 人生をまっとうし、たとえ死んだとしても、身体はまた微生物たちによって分解され、還元されていくので、ずっとこの宇宙の中に自分が生きつづけ、巡回しつづけるんだと思うと胸が熱くなりました。

 講義を通じて、私の世界観は大きく変わり、4月とは違う世界が今、目の前に広がっています。

 とても新鮮で生きていくのがとても楽しい世界です。



 かつてトランスパーソナル心理学の日本への導入に力を入れ、朝日カルチャーセンターなどでレクチャーをしていた頃、聴講者から「トランスパーソナル心理学って、頭がトランスしてパーになる心理学かと思っていたんですが、ちょっと違うんですね」と言われたことがあり、思わず笑ってしまいました。

 確かに、「宇宙と私は一体」などと事実や理論を説明する手順抜きで言ったら、まさに「ぶっ飛んでいる」と言われても当然でしょう。

 また実際、日米共に「トランスパーソナル」を自称する人の中には理論抜きにぶっ飛んでしまっている方もいますので、そういう方たちとは少し一線を画したいと思うようになり、現代科学の標準理論をベースにしたコスモス・セラピーや仏教の深層心理学・唯識などを語ることに重心を移してきました。

 それでも、上の学生のように手順を踏む前には「ぶっ飛んでいる」という印象を持たれることもしばしばあります。

 それだけ近代における人間と大自然=宇宙との分離感はあまりにも一般化しているということなのでしょう。

 しかし手順を踏んで伝えると、「なるほど」という納得に至ります。

 下の学生も、最初は「この先端技術産業などが発達してる時代に…」と感じたようですが、やがてちゃんとわかり、すごく感動したと報告してくれています。



 H大学社会学部1年女子

 この先端技術産業などが発達している時代に、自分たち人間が「星の子である」などとまじめに大学の講義で言われるとは思っていなかった。

 そしてそれを言っているのが今の世の中をつくったともいえる科学者だとは思わなかった。

 始めに先生が言い出したときに、あまりにもスケールの大きい話でよく分からなかったけれど、ちゃんと自分がもともとは夜空に輝く星からできているのだと分かったとき、すごく感動した。

 ただの物語が実話になったみたいだった。

 もちろん生物がすべて共通の祖先をもつ家族なのだと知った時も感動したけど、それ以上に自分が星の子であるというのは感動した。

 人間は勉強して頭を良くして、良い大学に行って、就職してしっかりお金を稼いで、結婚して家族を作って、子どもを産んで、子どもを育てて社会に送り出して…と世間の人々に認められるような人生を送らないと価値がある人間として認められないのだろうなと思っていたし、そうならなければ本当にまだこの世に生まれただけで自分になんて価値がないのだろうなと思っていたけど、自分が星の子なのだと思うだけで自分は価値ある存在なのだと思える気がした。

 だからこそもっと自分を高めていかなきゃならないとも思えた。

 前期の授業を終えて、一週間に一度しかないからあまり数多くない授業だったけれど、どの授業よりも新しく得るものが多かった授業だった。

 おかげで今までよりずっと有意義な夏休みが過ごせそうな気がする。

 後期の授業が楽しみだ。



 自主キャンペーンとして言えば、コスモス・セラピーにはいくつもの利点がありますが、その大きな一つは「人間には生まれてきただけで価値がある」「人生にはちゃんと生きていくだけの価値や理由や責任がある」ことをきわめて強い事実的・科学的根拠をあげて子どもに伝えることができるというところです。

 学生の感想に「ただの物語が実話になったみたいだった」とありましたが、実際、
根拠のない神話・物語によってでなく、事実と科学的根拠に裏づけられた実話で、「あなたの人生には無条件に絶対的・宇宙的価値がある」と語ってあげることができるようになったのです。
 
 言うまでもなく夏休みも生きることを許された有限な人生の時であり、こうしたことを自覚した若者たちは夏休み・人生の時を有意義に過ごすことができる・過ごさなければならないという気持ちになってくれるようです。

 そして、上の学生や下の学生のように、本来の学びというのは、単に社会的適応のためではなく、むしろよりよく生きるための学びであり、そういう学びはとても楽しいのだ、という実感を持つようになります。



 H大学社会学部1年女子

 私は、先生の本を読み、授業を受け、ものの見方、考え方ががらりと変わり、私の人生そのものが、良い方向へと変わったのではないかと感じるようになった。

 毎回、授業を受け感動し、これから後期の授業もとても楽しみである。

 前期、私がこんなに生き方が変わった、感動したと思えたので、後期は次はどんな感動、発見があるのかと思うと早く受けたいという気持ちがあり、今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった。

 ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義について深く考えることが今までなかったので、このようなことを考える機会ができたことも私にとってはプラス面だった。

 これからの授業も楽しみなので、がんばって受講していきたいです。



 毎年、「後期の授業が楽しみだ」というふうなことを書いてくれる学生がたくさんいますが、中でも上の学生のように「今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった」などとうれしいことを書いてくれると、私まで、「夏休みが早めに終わってもかまわない。授業を早く始めたい」という気分になってきます。

 かつて長年人気のあるシリーズの物語を書き続けてきたある児童文学作家が、「その話、次はどうなるの、次はどうなるの…」と子どもたちから次作を次々と期待されてきたのは、児童文学作家としてこの上ない幸せだった、と語っているのを読んだことがあります。

 私も教師として、ちょっとそういう気分にさせてもらっています。

 ただ、後期は仏教、聖徳太子「十七条憲法」、スウェーデン・緑の福祉国家というやや渋いテーマの話なので、前期ほど直接的に感動してもらえるかどうか、若干心配ではありますが、例年どおりであれば、また別の種類の発見-納得-感動というプロセスを体験してもらえることでしょう。

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私たちが生きるこの場所も宇宙、私たちも宇宙

2012年08月22日 | 心の教育

 近代のデカルト的な主客分離の認識方法に基づいた宇宙論・コスモロジーでは、当然、「主体・私はこちら、客体・宇宙はあちら」という宇宙認識をします。

 そうした近代的な宇宙の見方は恐ろしいほど世の中に蔓延していて、テレビの報道などで宇宙の話があるといつも、「(地球から)宇宙へ行く」「宇宙から帰ってくる」といった言葉が使われます。

 しかし、現代科学は私たちが宇宙の中に存在しており、宇宙の一部であることを、科学的に明らかにしていますし、よく考えれば事実としてもそういうほかありません。

 「私がこちら、宇宙はこちら」というものの見方は、近代科学の方法としては有効性があり、日常的な言い方としては問題ありませんが、事実としても現代科学的にも本質的にはまちがっているというほかありません。

 授業でそのことを指摘すると、学生たちははっと気づいてくれます。

 以下の2つの感想文は、そのことへの気づきと気づきから生きることへの責任感が生まれたことを報告してくれています。



 H大学社会学部1年男子

 前回、この本の第1章を読んで自分の中で人生観が少し変わったのですが、今回の範囲を読み終わった時、さらに大きな衝撃をうけました。

 まさか、この私がこの世界を生み出した宇宙の一部分であるということなど考えたこともなかったからです。

 それ以前に、私は先生もこの本で指摘されていたように、「宇宙とは地球の外側である」という誤った認識をしていました。

 初めて、私は宇宙の一部であるということに気づいて、私は何か言葉では言い表せないような大きな力を感じ、強い自信がわいてきました。

 それと同時に私は、この世界をつくった宇宙の一部なのだから次の進化のために立派に生きなければならないといった、強い責任感を感じました。

 これは、私が生まれるために、さまざまな種が一生懸命に進化してきてくれたということを知ったことも1つの原因になっていると思います。

 今まで、私はニヒリズム的・快楽主義的考え方をしており、なぜ私が存在するんだろうと本気で思っていました。

 しかし、この本を読んで私にはやらなければいけないことがたくさんあることが分かり、もう二度とこんな愚かな考え方をするのはやめようという考えに至ることができました。

 これからは、自分が宇宙の一部であるということを自覚しながら、立派に生きていきたいと思いました。



 H大学経済学部1年女子

 文中の引用部分で多くの科学者がいう、私たち皆が「天で作られた」「星のかけら」という言葉を聞いて、心が不思議なかんじがしたのと同時に、高校生の時のある校長先生の話を思い浮かべました。

 私の高校は一応県トップの進学校だったので、その校長は元教育委員長だったり、その後そういった地位につく人が多く、どこか堅くるしい感じがしていました。

 その中で異彩を放っていた校長先生が一人居らっしゃったのですが、その先生は頻繁に私たち生徒を「光のつぶつぶ」という表現をしていました。

 校長先生は演劇に通じていたようで、話すこともどこか小説っぽくて当時私は「またか…」くらいにしか話を聞いていなかったし、周りのみんなも「光のつぶつぶ」という言葉に笑いが起きていました。

 でも、今は私たち皆が無条件に大切な存在であるということを伝えたかったのだ、ということがよくわかりました。

 私たちの体を構成する成分が宇宙の歴史の初めに創発されたことから理論的にも私も皆も宇宙の歴史を担っていて、生命を受けついでいる。

 このことを知ると、私の“生” が本当に尊いものに思え、無性に両親に感謝したくなります。私をこの世に存在させてくれていることに。

 実際、恥ずかしくてそんなことはできないのですが、来年、私もとうとう20歳になります。成人します。この期に何か恩返しできたらと考えています。

 最近、テレビの「宇宙」という言葉に敏感になってきました。

 先日もある番組で「宇宙に個人的に行く」費用などについての特集をしていたのですが、私はその製作者に「今、まさに私たちが生きるこの場所も宇宙であり、私もあなたも宇宙です!!」と伝えたくなりました。

 やはり、少し前の私がそうだったように、多くの人が宇宙の認識に間違いがあるようです。

 このことに多くの人が気づけたら、人間同士の血なまぐさい争いなどを起こす気などわかないだろうし、政治家が原発で世の中が混乱する中、自分だけの身を守るために血まなこになっておろかに逃げまどうことなどなくなるだろうし、何より、自分の生命を、祖先の生命を、次の世代につなげたいと願うはずです。

 私は地球の創発は必然だったと思います。

 そして私が、何度読んでも感慨深く思うのが、地球の胎動期の話です。

 宇宙の自己組織化によって誕生した地球に、また多くの生命が生まれ、そして人間が生まれました。

 考えることができて、意志を持って行動することができ、伝達することのできる人間は宇宙の自己認識器官であるのなら、私たちの役割は何なのか。

 今の人間は明らかに、宇宙が望んだ世界とは異なるものを創ったのではないかと思います。

 もっと多くの人が本来の自分の存在を知って、自分の担う役割を努められればと思います。

 私はもっと自分の生に自信と感謝の気持ちを持ち、これから生きる人間として不足している知識、まず日本についてから学びたいと思いました。



 確かに、私たちは宇宙の中に宇宙の一部として生まれてきた以上、それにふさわしく生きる責任がある、と私も思っています。

 そういう思いを次世代の若者たちと共有できて、とても幸せな気分です。


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変化への不安や抵抗

2012年08月20日 | 心の教育

 人間はコスモロジーなしには生きられない生き物であり、そういう意味でコスモロジーは人間の根本的なアイデンティティだと言ってもいいでしょう。

 しかもそれは、幼児からの教育・環境・自分自身の解釈などによって埋め込まれてきた深層のアイデンティティですから、変化することにはしばしば不安や抵抗が伴います。

 かつて、かなり深刻な心理的問題を抱えていて本人自身悩んでいるにもかかわらず、変化のプロセスで「自分が自分でなくなるみたいな気がして、変わりたくない」と報告してくれた学生がいました。

 心の歪みや病いはしばしば当人の強固なアイデンティティにまで固着しており、だからこそたとえ肯定的変化であっても不安や抵抗が伴い、治癒が困難なのです。

 しかしその不安や抵抗が乗り越えられると、程度はさまざまですがパーソナリティの肯定的な変化が生まれます。

 以下のいくつかの感想は、そうした不安や抵抗が乗り越えられていくさまざまなパターンを示していて、とても興味深く参考になります。


 H大学社会学部1年女子

 先生の話を聞き、本を読むことで、私は、なんともいえない気持ちになった。

 言葉ではうまく表現できないが、声に出すと「うわあー」といった感じだ。

 これが、まさに世界観が変わるということなのかと思った。

 最初の授業で世界観が変わるの意味がよくわからず、これからどうなるのか不安と期待をもって前期の授業に参加した。

 私は、言葉で表現するのがとても苦手で「すごい」の一言しか、見つからない。

 私は今まで生きている意味がわからず、とまどっていた時もあった。

 だが、私は、宇宙と一体で周りのもの全て、すなわち宇宙によって生かされていて、私が生きているのには宇宙的な意味があるんだとわかった。

 この講義をうけて本当によかった。


 H大学社会学部1年男子

 「死んだらおしまい、だから今を楽しくしよう。けど結果、死んだらおしまいなのは変わらない。」

 このようなことを小学生から中学生の間、少しだが毎日のように考えていました。

 高校生になると、考えるのを(『コスモロジーの心理学』内にあったように)やめろと友人から言われ、今まで快楽主義のみを自分の生きている目的・原動力としていました。

 しかし快楽主義だけではもう持つことはできませんでした。

 当面の生きている目的が受験であったため、だましだましやっていましたが、入試が終わると自分に自信が持てなくなっていました。

 しかし現代科学のエッセンスを内包したこの考え方を知り、少しずつですが、ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義からの脱出をすることができています。


 H大学社会学部1年男子

 自分は前回のレポートの感想に、「先生の授業を聞いていてもまだ自分の中には劇的な変化は起きていないし、これからも起きない気がする。起こせるものなら起こしてみろ」といった挑戦的な主旨の感想を書いたと思います。

 ですが、今回の第2、第3章を読んで、自分の価値観にとても大きな変化がありました。

 そのなかで特に新しい考え方であると思ったのが、宇宙の中で銀河などがまったく新しいものとして生まれたのではなく、宇宙の自己組織化の一環だということです。

 これは「コペルニクス的」と言ってもいいほどの発想の転換だと思います。

 貴重な体験をありがとうございました。後期もよろしくお願いします。


 H大学社会学部1年男子

 私は最初、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義がどういったものかの本質を理解しようとしなかった。

 なぜなら知ってなにが変わるのか、と思っていたからである。

 なので本書を読むのも抵抗があったが、読み進めていくうちになるほど! そういうことか! といった発見、納得があった。

 特に「人間は宇宙の自己認識器官だ」という考え方は今までになく本当にすばらしいと思った。

 このなんとも言えない心地よさを後輩にも味わってほしいと思う。

 素晴らしい世界観をありがとうございました。


 H大学社会学部1年男子

 この本を読み始めた当初は正直「人生観が変わるわけがない」と思っていました。

 でも本を読んでいくうちに少しずつですが自分の目の前に見える風景が変わってきたような気がします。

 電車に乗っている人も街で通りすがる人もみんなもともとは1つのエネルギーであり、いわば親せきのようなものだと考えるとなんだかほっとしてうれしくなります。

 私が純粋に感動したのは宇宙で最初に創発された原子である水素が137億年経った今の自分の体の多くの部分を構成しているということでした。

 私がこの部分を読んで思わず鳥肌が立ちました。

 自分には宇宙137億年の歴史が込められていると考えると本当に驚愕します。

 私がこの本に対する前回のレポート提出の際にもっと自分に自信を持ちたい、持てるような人になりたいと書きました。

 この本を読んでいてその解決の糸口をつかんだような気がします。

 後期の授業も楽しみです。


 生まれてからずっと20年近く教えこまれてきた深層のばらばらコスモロジーをつながりコスモロジーに完全に変換することは、必ずしも容易ではありません。

 彼ら彼女らが体験した変化をどう維持し深めていくか、彼ら彼女らにとっても私にとっても大きな課題です。

 始まるのはまだ少し先ですが、私も後期の授業を楽しみにしているところです。


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心のガンを取る薬

2012年08月19日 | 心の教育

 H大学経済学部2年男子

 ここからは感想ですが、我々の世代とは意図せず、ニヒリズムが染みついてしまっているのだと思います。

 自分のこれまでの頭の中にあったものがニヒリズムだとも知らずに生きてきたような感じがします。

 今回この本を読むことで少なからず、生きることへのイメージが変わった気がします。

 染みついたもの全て取り除くのは難しいが、それでもかわるきっかけはつかめたと思います。


 H、大学経済学部1年男子

 私は、レポートを書いていて、現代科学のコスモロジーは、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義などの心に住みついたガンを取る薬のように思いました。

 私自身も教科書を読んでいて、心が洗われるのが実感できました。

 あと、先生の本は非常に読みやすく、すごく面白いんだなとすごく思いました。

 このレポートを書く前に日本の税金についてのレポートの本を読んでいたんですが、1時間で20ページも読めないでしかも分からなかったのに対して、先生の本は100ページくらい一気に読めて、しかも、心がスーッとした気持ちになったので、よりそう思いました。

 なので、夏休みに先生の他の本も読んでみたいと思っています。


 H大学経済学部1年男子

 僕ら人間は宇宙とつながっていて、どれ1つが欠けてしまっても生きていくことができない。

 窓の外に見える木が酸素を出し、それを僕ら人間が吸って生きている。

 そんな大切な木々は海から蒸発して出来た雲がもたらす雨によって、そして木々を支える地球という大地によって生かされている。

 地球だって元をたどれば、46億年前にできた宇宙の一部。

 全てはつながっている。僕も。かわいいあのこも。この紙も。

 今まで考えもしなかったことだけど、授業を受けていてなるほどと納得せざるを得ないぐらいにすっと頭に入っていった。

 21世紀の現代において、この考えを広めることはそんなに難しくないのではないかと思う。

 グローバル社会となり、インターネットに接続すればメール、ブログ、skype, twitter, facebook など様々なコミュニケーションツールがあり、これらを利用した考えの共有は実に有効な手段だと思う。

 ニーチェほどの天才がもがき苦しんだニヒリズムを、僕のような凡人が陥ることなく生きているのは、果たしてつきつめてないからなのか、それともこの宇宙とのつながりを簡単にではあるが感じることができたからなのか、実際よくわかりません。

 ただ、先生の授業を受けてこの宇宙とのつながりを考えるようになったことは間違いなく、非常にこの授業を選択してよかったなと思っています。

 先生の言っていたとおり、前期前半はちょっと暗い話がありましたが、後期から明るい話になるというので、さらに楽しみです。

 夏休みの中に4章、5章も読んでしまいたいと思います。



 H大学の授業タイトルは「現代社会と宗教」なのですが、実質的にはコスモロジー教育=コスモス・セラピーです。

 現代というよりは近代社会の標準的な思想は啓蒙主義的なヒューマニズムであり、物質還元主義的な科学主義であり、基本的には反宗教・無神論です。

 にもかかわらず、いわゆる先進国の社会からも宗教がまったく消えてしまう気配はありません。

 「それはなぜなのか。啓蒙が進んでいないからだ」というのが、かつて左翼大学と呼ばれたH大学の標準的な思想でもあるのでしょうが、私の考えはこのブログでも著者でも繰り返してきた通りやや異なっています。

 そして「思想の自由」を重んじる大学では、私のような考えも排除されることなく、自由な発言・講義が許されているのは幸いなことです。

 さて、私の考えでは、人間は言葉を使う動物であり、世界とは何か、人間とは何か、したがって人間は何をすべきなのか・何をしてはいけないのか等々を、言葉によって体系的に語っている「コスモロジー(世界観)」なしには生きられない存在です。

 そしてそのコスモロジーは、人間の人生に関する根本的な問い(ビッグ・クエスチョン)に答えてくれるものでなければなりません。

 例えば、人間は何のために生きているのか、なぜ自殺していはいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、死んだらどうなるのかなどなどの問いの答えが必要なのです。

 過去の宗教は、近代から見ると確かに神話的・理性以前ですが、人間のそうした根源的な問いに答えるための本質的な試みであり、その時代の人々には納得できる答えであり心の支えでありえたのです。

 ところが近代科学のコスモロジーは、コスモロジーでありながら、人間の生きる意味や死についてきわめてドライというかクールというかニヒルというか、実に否定的な答えしか出すことができません。

 つまり、近代科学をつきつめるとニヒリズムに陥らざるをえないのです。

 近代社会でも宗教が消滅しない最大の理由は、啓蒙つまり近代主義的な教育が足りないからというより、近代的な思想では人間の根源的な問いに肯定的な答えを与えることができないからだ、と考えてまちがいないでしょう。

 しかし、まだ素直な幼い頃からずっとそういう近代主義的なパラダイムのもとに教育を受けさせられて・受けてきた若者たちの心には、当然のことながら近代的な考えが染みつけられ、その結果、半ば無意識的なニヒリズムも染みついてしまうのです。

 私の授業を受け、テキストの『コスモロジーの心理学』を読んだ学生たちは、そのことに気づき、さらにそこからの脱出の手がかりやきっかけを得てくれます。

 そしてさらに、そういう現代科学のコスモロジーを広く同世代と共有したいという気持ちを持ってくれるようです。

 私としては、ぜひ、若い世代だけでなくすべての世代が、科学的であり、現代的であり、そして何より人生に対して肯定的な答えを示してくれるコスモロジーを広く共有できるようになってほしいと願わずにはいられません。

 学生の評価によれば、このコスモロジーは「〔ニヒリズムという〕心のガンを取る薬」なのですから。

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つながりの気づきと肯定的変化

2012年08月18日 | 心の教育

 コスモス・セラピーの方法の基礎は、自分と他のすべてのもののつながりという事実への気づきを促すことにあります(そういう方法論の点で、唯識、アドラー心理学、論理療法、認知療法などと根本的に共通するものがあります)。

 しかし、たとえつながりは事実であっても、残念ながらそれへの気づきはいつでも起こるとはかぎりません。 

 促される側の準備状態(レディネス、readiness ) が熟している必要があります。

 準備状態がない場合は、聞いたとしても、「ふーん…だからどうした」といった無視や反発といった反応が起こったりします。

 多人数を対象とした授業としてのコスモロジー教育の場合、受講生たちの準備状態はさまざまですから、当然ながら反応もさまざまです。

 そういう意味でもコスモロジー教育=コスモス・セラピーは、万人にいつでも有効ではなく、万能ではありません。

 しかし、準備状態が熟している対象には、ある種、劇的といってもいい気づきと変化をもたらすことがあります。

 下の女子学生は、授業内容のまとめは一切なしで、自分の気づきと変化を報告してくれました。

 まさにレポートではありますが、授業の評価としてはどうしたものかとやや困りました。しばし考えて、ともかく授業で伝えたかったことは受け取ってくれたのだから、と合格にしました。

 彼女の心の深いところで、「このままでは自分はダメだ。大人になれない。変わりたい、変わらなければ」という変化への準備状態が熟していたところへ、ちょうどタイミングよくメッセージが届いたのだと思われます。

 あえて、ここまで自分をさらけ出して報告してくれた彼女に心から感謝しています。

 きっと、他の「変わりたい、変わらなければ」と思っている人への非常にいいヒントになるでしょう。

 

 この数ヶ月で、私は少し変わったと思います。授業を受けている中で、「自分の存在価値」を考えさせられたためかと思われます。

 私の中で、最も印象に残っている言葉は、「物事に、つながっていない部分はない」という言葉です。一字一句違えずに覚えているわけではありません。しかし、先生の話の内容は、とても強く私の心中に響きました。

 先生は、カエルの話をして下さいました。今まで、一度も自分とカエルがつながっているだなんて考えたことが無かっただけに、「空気を共有している」というものの見方には驚かせられました。

 その話をお聞きしてから、私は何度も考えました。帰りの電車の中を見回し、周囲の人の顔を見ながら…あるいは、アルバイト中に会うお客さんの顔を見ながら…「今、私はここにいるすべての人たちと同じ空気で呼吸をしている。全ての人たちとつながっている。」

 そう考えると、なぜだかとても満たされた気持ちになりました。とても、不思議に思いました。今まで自分とは関係のない、他人と思っていた人にまで、なぜだか愛情にも近い感情が湧いてきたのです。

 きっかけは、その授業だったのだと思います。それから私は、今までよりほんの少しかもしれませんが、生きていることに感謝できるようになったと思います。

 恥じるべきことだと思いますが、私は以前、自分が大嫌いで、自傷行為を繰り返していた時期がありました。そんな大げさなものではありませんが、今も傷跡が残っている部分もあります。それは見て、こんなにも悔いたのは初めてでした。

 自分には親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて…何人もの人間の関わりの元に、私の命があるということを、当然のように考えていたのが、恥ずかしくなりました。

 どこか1人でもかけていたら、私は生まれていなかったのだと考えると、今、私がここに生きているのが奇跡のように思えてきました。親への感謝の気持ちも、持つことができるようになったと思います。

 数ヶ月前までの私は、週に何度も外泊をし、親に迷惑をかけていました。その上、「遊びすぎだ」と助言をしてくれる親に対し、「面倒」という感情さえ抱いていたのです。とても悔いています。

 今までは私と親との間には、距離が無さすぎて(悪い意味で)お互いの全体を見通すことが出来ていなかったように思います。

 授業という、家庭とは少し違った場で、このような話を聞いたのも、良かったと思います。先生という、いわゆる自分とあまり関わりがなかった人に話をして頂けたおかげで、落ちついて、素直に話を聞くことができたのだと思います。

 今は、親と私の間に、ちょうど良い距離があります。それは、先生のお話してくれたことから得た、考え方のクッションのようなものだと思います。そのクッションのおかげで、今は親の意見、考え方、私を心配してくれている気持ち等々、広い視野を持つことができました。今までは近すぎて見えていなかったものが、見えるようになりました。これは、私にとって大きな変化です。

 今は、外泊は月に一度程度になりました。親に許可を取っての外泊です。親からの助言も、(たまには頭に来ることも、もちろんありますが)素直に受け入れる努力をできるようにはなりました。また、その助言に対して感謝することもできるようになりました。

 私は今年、20歳になります。あと10年程の間に、おそらく仕事に就き、結婚もし、もしかしたら子どもを生むかもしれません。そうなったとき、私は何ができるのでしょうか。私は、社会に貢献のできる大人になれるのでしょうか。

 数ヶ月前の自分では、無理であったと思います。生きていることに感謝をできない人間が、新たな生命を育てたり、他人との関わりが大切な社会での仕事をこなしていくことができるだなんて思えません。本当に、今までの私はひどいものだったように思います。

 社会に出る前の段階で、この授業受講することができ、本当に良かったと思います。

 「自分は自分。他人とは関係ない。だから、何をしても良い。私に存在価値などない。」という考えも、だいぶ薄れました。

今は、私自身がこの時間を生きていることに感謝をし、また私も、後世に残る生命を生みたいと考えています。むしろ私の存在価値と、後世を残すことなのでは、とも思います。

 誰とも、何とも、つながらずに一人で生きていくことなどできないということを、授業で学びました。数時間前に食べたおにぎりだけでも、お米とつながり、お米を作っている人とつながり、サケとつながり、サケが育った川や海とつながり…と、最終的には宇宙へとつながっていくのだと思うと、その壮大さに驚きます。

 これからの生活の中でも、生命のつながりや、自分が存在していることのありがたさなど、考えていこうと思います。

 そして、そのすべての事象に感謝の気持ちを抱き続けていきたいです。



 あまりにも近すぎる関係の親に言われても聞けないことも、やや距離のある教師やセラピストから言われると聞きやすいということがあります。

 そういう意味で、「しつけは親の責任だ」「倫理感を育てる責任は家庭にある」といった言い方で、責任逃れをすることなく、教師やセラピストが生きていることの意味感や倫理感も含めて「子どもを育む」「子どもを癒す」という社会的役割・責任を果たすことが強く望まれていると思います。


 
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