東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町長島の史跡巡りウォーキング(5/5)

2023年06月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 阿弥陀寺を出ると、石階段を下って海沿いに歩き右に回り込む小道に入りました。そして、坂を登ると広場が見えてきます。この広場は、かつてあった熊毛南高校の上関分校跡地です。広場前にそれを示す石碑が建っています。
 私はその高校の本校に通っていたのですが、上関町から通学する同級生がいました。上関町から、遠く本校に通う生徒と地元の同上関分校に通う生徒がいました。

          上関大橋から、真下の白い航跡を見下ろす


 熊毛南高校の跡地を見渡した後、広場の奥に建っている旧番所跡に行きました。この番所は江戸時代上関宰判の番所跡です。江戸時代初めは上関の四代に置かれていましたが、上関に移り、その後麻郷の米出に移りました。御茶屋などを含めて朝鮮通信使の接待場所としても使われたのではないでしょうか。

 熊毛南高校上関分校跡      旧上関番所跡    海峡傍の住吉神社
   

 上関宰判の番所跡を出ると、下見時には上関物産センターに寄りました。しかし、日曜日は閉まっています。そのため、物産センターを通りすぎて海峡が見渡せる住吉神社に向かいました。住吉神社から上関大橋や海峡を通る船が良く見えます。住吉神社の奥には竜宮社の祠と鳥居があります。海峡の真向かいには上関海峡温泉「鳩子の湯」が見えます。

時々海を見下ろしつつ上関大橋を渡る      室積側の砲台跡東屋
 

  竜宮社を見学すると、上関大橋を渡って室積側に渡りました。渡った直後、砲台跡に建つ東屋に行って休憩しました。今から150年位前の幕末、ここからは幕府側の軍艦が見えたそうです。しかし、砲撃されることはなかったようです。東屋で少し休憩後道の駅に戻りました。参加された方々、お疲れ様でした。

            上関町長島の史跡巡りをしたコース

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする