東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

西田布施方面史跡巡りウォーキングの下見(2/2)

2018年07月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまでのウォーキングで、田布施町の神社仏閣のほとんどを訪問しました。この浄泉寺が最後に訪れた仏閣です。浄泉寺の江戸時代の記録を見ると、当時すでに一番多くの門徒を擁していたことが分かります。浄泉寺は、約400年前に国木の西迫から今の納所に移転しました。1年前、かつて浄泉寺があった場所に行ったことがあります。その場所は、杉が何本も生えた山際の林です。移転は400年以上も前のことです。言われないと浄泉寺があったとは思えません。

  納所集会所前の道を浄泉寺へ          浄泉寺の石階段と門
 

 浄泉寺は元々は真言宗のようでした。それが移転を契機に浄土真宗に変わったようです。しかし、それは400年以上も前のことですので、真言宗の痕跡はほとんどありません。本堂を改築するたびに痕跡が無くなっていったのでしょう。歴史をさかのぼると、真言宗から他の宗派に変わったお寺が少なくありません。激しい修行をする真言宗より、お祈りするだけで成仏できる浄土真宗など方が大衆受けしたのではないかと思います。

 浄泉寺本堂内        納所池に到着       八尋石八幡宮への山道
  

 また、真言宗は国家や組織の安寧を祈るのに対して、浄土真宗などは個人の安寧を祈るように思います。鎌倉時代の仏教宗教改革によって、親鸞聖人などがとなえる庶民を救う仏教が広まったように思います。それが、極貧だった百姓に受け入れられやすかったのではないかと思います。明日香、奈良、平安時代までの仏教は主に国家が保護しましたので、庶民には縁遠かったのではないかと思います。

            曇り空の八尋石八幡宮


 さて、浄泉寺ではご住職さんにいろいろとお話を伺いました。また、本堂内でお昼休憩をさせていただきました。また、本番ウォーキングでも本堂で休憩させていただくとの了解をいただきました。ありがとうございます。昼食休憩後、浄泉寺を出て西に向かって歩き、しばらくして納所池に着きました。納所池から山裾の山道を登り八尋石八幡宮を参拝しました。

  元宰相佐藤栄作墓所    才賀川沿い堤防道    スイートメモリで休憩
  

 八尋石八幡宮を参拝すると、元宰相佐藤栄作墓所を訪れました。以前来た時よりも綺麗に草や雑木が刈られていました。地元の方々が整備したのではないかと思います。続いて、才賀川に沿う堤防を歩きながら交流館に戻りました。その途中喫茶スイートメモリに寄って反省会を兼ねて休憩しました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

          西田布施を中心に歩いた今回のコース

コメント
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