東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 佐賀地区ウォーキングの下見(3/3)

2015年06月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 はくとり稲荷大社ではいろいろな建物を見ました。踊殿とおもわれる舞台のようなものがありました。踊りか何かが披露されるのでしょうか、又は何かの儀式が行われるのでしょうか。お正月は賑やかとのことですので、来年の元旦にお詣りしてみたいと思います。他にもいろいろな稲荷がありキツネの像がありました。この神社がある山続きで、私が見た本物のキツネは何だったのでしょか。

  踊殿らしい建物          朱色の数々の鳥居       白鳥神社隣りの心光寺
  

 建物群の東側下には教祖様の墓地がありました。また、その反対の西側には教祖殿がありました。なお、教祖様の娘さんは私の同級生らしいことが分かりました。高校時代、教祖様である父親が佐賀の海で修行していたとその同級生が話をしていたとのことです。その同級生をおぼろげながら覚えているため、はくとり稲荷大社に少し興味がわいてきました。

            巨大な前方後円墳の円墳部に建てられた白鳥神社


 はくとり稲荷大社を見終わると、広い舗装道を歩いて心光寺に向かいました。このお寺は古式ゆかしいお寺のように見えました。境内に珍しい木を発見しました。なぎの木です。普通の樹木は、葉脈が複雑に走っています。しかし、なぎは葉の根元から葉先に向かって筋になっているのです。お寺の境内などに、神木して植えられていることが多いそうです。

  白鳥古墳の周辺を散策      お地蔵様(露光童子)      白鳥神社の参道
  

 心光寺を見学し終わると、隣りにある白鳥神社に行きました。この神社は、白鳥古墳とよばれる巨大な前方後円墳の円墳部に建てられた神社です。この古墳は全長120mで山口県で一番大きい古墳です。5世紀(古墳中期)に作られました。同じ頃、柳井にも茶臼山古墳(全長90m)で作られています。これらの巨大な古墳から推測すると、5世紀頃に、田布施,平生,柳井地区に、巨大古墳を作ることができるほどの大豪族がいたことが分かります。当時この巨大古墳を作るため、たくさんの人が借り出されたのでしょう。

   岩田遺跡に向かう        岩田遺跡の石碑        岩田遺跡出土品
  

 白鳥古墳の大きさを実感するため周りを歩いてみました。お社から北側に降りたところが前方部です。その前方部からぐるりと縁を回って後円部に向かって歩きました。古墳と言うよりも山と言った方がよいほどの大きさであることが実感できます。
 白鳥神社を見終わると、最後の訪問地である岩田遺跡に向かいました。遺跡と言っても石碑があるだけです。佐賀公民館に発掘されたものが展示されています。佐賀公民館に入って発掘された石斧,石棒,土器などを見学しました。今回下見ウェーキングに参加された方々、お疲れさまでした。

             ウォーキングの下見をした平生町佐賀地区のコース

コメント
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