東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 奈良の大岩をお祓い

2015年06月03日 | ふるさと



 これまで、田布施町の奈良地区と竹重地区の境近くにある、通称:奈良の大岩を調査をしてきました。今回この大岩のお祓いをするとのことで、多少なりとも大岩に関わってきたこともありお祓いに参加しました。
 先日のひっかり観音は龍泉寺のご住職にお勤めしていただきましたが、今回は高松八幡宮の宮司様がお祓いをされます。両者共に大きな岩が信仰対象です。仏式のお勤めと神式のお祓いの両方を見ることができました。お祓いの前に、宮司様よりお話がありました。神道において岩に対する信仰を岩倉(いわくら)と呼ぶそうです。

     大岩前の神棚     宮司様より大岩信仰のお話  桜の苗木とお祓い中の大岩
  

 この奈良の大岩のような巨岩は、古より信仰対象になってきました。例えば、田布施町にある八尋石八幡宮です。今のお社には、巨岩を思わせるような石はありません。八尋石八幡宮の歴史を遡ると、3度の引っ越しを経て今の場所に落ち着いています。貞観元年(859年)に善福時峠に鎮座したのが最初で、承徳元年(1097年)に宗山に移り、文明2年(1470年)に西迫に移り、さらに元禄3年(1690年)に現在の地に移ったそうです。

                 奈良の大岩のお祓いをしておられる宮司様


 八尋石八幡宮が最初に鎮座していた善福寺峠は、今の場所より100m奥にあたるそうです。その場所にあった「八尋の大石」と呼ばれたらしい岩、1年ほど前に探してみましたがありません。藪のどこかに、今でもひっそりとあるのかも知れません。もう一度探してみたいと思っています。

                               宮司さんの祓詞奏上後、玉串を奉納


 お祓いが終わると、お神酒が皆さんに注がれました。私も少量いただきました。ところで、田布施町の俳人、江良碧松が奈良の大岩前で写っている写真(昭和49年)には「奈良天王大巖」と記載されています。この大岩は天王社信仰と関わりがあったのでしょうか。今、この大岩に関わるお話や由来を知っている人はいません。わずかに、奈良部落史に「石城山にあった石がけっとばされて今の場所にきた。」との民話があるくらいです。
 とはいえ、私は信仰の不思議よりも、地質学的に何故この巨岩がここにあるのか(または、この巨岩だけが残っているのか)知りたいです。 

  お神酒や塩を大岩に     みなさんお神酒をいただく    大岩の下に紙垂付き榊
  

コメント (2)
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