東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府 上組薬師堂

2014年11月25日 | ふるさと

 麻里府の上組の巡礼ルートを調べるため、同地区に住むTさんの家を伺いました。すると、Iさんの方が詳しいとのことで、近くに住むIさんを紹介していただきました。元々Tさんを紹介していただいたのは、やはり上組に住むHさんでした。Hさん,Tさん,そしてI人さんと、人のつながりに感謝します。
 Iさんと一緒に上組地区の山に登りました。そこには、南平和八番札所の観音堂がありました。札所を一つ探し当てました。お堂の中には立派な薬師観音像が、またそのお堂の傍らにも立派なお地蔵様が安置されていました。

                    観音堂の傍に安置されたお地蔵様


 観音堂そばの広場は、かつて処刑場だったそうです。怖い話です。その広場の山上に、たくさんのこけしのような像が無数ありました。このこけし状の像と処刑は、何か関係があるのでしょうか。今その事実を知っている方はいないそうです。すぐ傍の観音堂との関係も気になります。

   観音堂内に安置された薬師観音像       山上にたくさんある、こけし状の像
 

 Iさんと観音堂を見学する道すがら、私が高校時代に亡くなったIくんの家跡を知りました。私が高校生の時、彼のお葬式に来たのです。樽に入った彼を焼場まで野辺送りしました。彼はスポーツマンで明るく誰にでも好かれるナイスガイでした。本当に惜しい男でした。彼が無くなった後、家が火事になったそうです。
 ところで上組ですが、田布施町と合併する前は、成川じょう,岩金じょう,横尾じょうの三つの地区から成っていたそうです。「じょう」は「荘」のなまりではないかとことでした。また、今は上組ですが、かつては上郷や奥郷とも言われていたそうです。私は高校生の頃には上郷と言っていたように思います。近くに人丸と呼ばれる古い祠があるそうです。できものに効くお地蔵様があるとのこと。今は山中の藪の中にあり、とても歩いては行けないとのこと。いつか行って調査したいと思います。

                麻里府の上組、いろいろな史跡が残る集落

コメント (5)
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