東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 佐賀 大田大師堂のお大師講を調査

2014年11月20日 | ふるさと



 江戸時代後期に始まったであろう防陽八十八ヶ所霊場を調査しています。そして、第十九番札所である佐賀の大田大師堂(兼 大田生活改善センター)を探し当てることができました。田布施では、消えてしまったた大師堂や観音堂などが少なくありません。この大田大師堂が残っていることと、地元の方が大切に守っているのを見て、とても嬉しい気持ちになりました。

         防陽八十八霊場の第十九番札所大田大師堂


 19日午後1時頃に大田地区を訪れ、農作業されている方に大師堂のことを知っている方をお聞きしました。すると、Kさんを紹介していただきました。すぐに、Kさんの家を訪問しました。そして、私が田布施郷土館に勤めている傍ら、古い巡礼地を調べていることなどの自己紹介をしました。そして、たまたま持ってきた「おつとめ」お見せしました。
 偶然ですが、数分後にお大師講のおつとめがあるとのことで快く見学をさせていただくことになりました。Kさん、見学させていただき、また写真撮影を快く受け入れていただき、感謝の念に堪えません。ありがとうございます。

  大田大師堂に安置された像        お大師講のおつとめをされる方々
 

 お大師講のおつとめを見学する前、般若心経などが書かれた「おつとめ」の、読む順番,回数などを丁寧に教えていただきました。その過程で、「おつとめ」に書かれていない文があることが分かりました。地域によって「おつとめ」の読み方の違いや、地域独自の文があるのではないかと思います、その違いも今後調べてみたいと思います。

   読経中の「おつとめ」文面     時に手持ち鐘をならしておつとめ
 

 おつとめの後、少しお話を伺いました。その昔、病が流行って数多くの幼い命が亡くなったそうです。それを供養するためこのお大師堂が建立されたと言い伝えられているとのことです。
 ところで、この大師堂が十九番札所であることはどなたもご存じありませんでした。さらにお聞きすると、自分たちのお爺さんの世代では巡礼をしていたとのこと。その頃、この大師堂でささげむすびを出すなどのお接待をしていたそうです。お話しを総合すると、おそらくその巡礼は昭和初期のことではないかと思われます。そして、戦後巡礼が絶えたのではないでしょうか。そのお接待、今は地区内で出しあうお接待として残っているそうです。各地で消えつつあるお大師講に、ここで出会えたことはありがたいことです。

       大田大師堂から見下ろした、おだやかな周防灘の海

コメント
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