山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

金魚鉢の中に真理が見える

2006-02-18 01:28:12 | 独り言
《Blue in Green》というホ-ムペ-ジがある。BOSSさんが運営する山岳渓流釣行のレポ-トが素晴らしい。『フライの雑誌』という月刊誌に世附川の管理釣場化に対する持論を展開したりと私たち自然回帰派の代弁者でもある。

そのBOSS氏が『丹沢大山総合調査』のセミナ-参加レポ-トをアップされた。
丹沢の森林劣化と森林整備、植生物などの現況調査に基づき再生基本構想を策定し実現に向けて活動していこうとする地道ではあるが、神奈川県環境農政部をあげてのプロジェクトに力強さを感じる。

私も『丹沢』を愛してやまないひとりである。小学3年生の頃から丹沢に足を踏み入れ、その奥深さに底知れぬ魅力を感じている。しかし近年、ブナの立ち枯れや植生物の絶滅を目の当たりにして絶望感さえ抱いていた。なんとかできないのか?

さてそこで問題です。『地球は金魚鉢である。地球と人間の関係は金魚鉢と金魚の関係に等しい。この前提条件から、人間はまさしく金魚に他ならない』
この一見難解そうな方程式をこれからあなたと解いてゆきたい。

あなたは5匹の金魚を飼っている。飽食に慣れきったあなたは必要以上にエサを与え、金魚も飽食を満喫し肥満してゆく。食べ残ったエサと金魚のフンは金魚鉢の底に沈み堆積してゆき水は少しずつ汚れてゆく。

あなたは金魚鉢の水を10年間放置する。やがて水の汚れは水草や酸素発生装置の浄化能力を遙かに超え、水草は腐り酸素発生装置は目詰まりして機能を失い加速度的に水質汚濁は進んでゆく。

そして10年後、水はヘドロ状に変質し金魚の生命を維持する能力を失う。
結局、金魚は自らが排泄したフンによって生活環境を破壊し子孫を残すこともできずに、もだえ苦しみながら死に絶えてしまうであろう。

人類は、気の遠くなるような地球の歴史の中で、現代のたった30年の間に愛すべき地球を汚染し尽くしてしまった。これからの30年間はどうなるだろうか?

私たちは、言葉だけで環境浄化を唱え、企業の経済活動を悪の権化のようにつるしあげるが、私たちが豊かな生活を求め続ける限り環境を語る資格はない。私たち自身が有毒な欲望のウンコや豊かさのウンコを毎日大量に排出しており、環境汚染の重大な共犯者であり下手人だからである。

くちばしの折れ曲がった鳥達や足のない猿、奇形の生じた魚たちは、彼らの身をもって私たち人類の未来の姿を示し警告を発してくれているのではないだろうか?

私たちには今、地球を劇的に変えるような力は残念ながら持ち合わせていない。
だからこそ『丹沢大山総合調査』の活動に期待したいし、自らも行動に変えるきっかけにしたいと思う。

人類の英知と人間の良心は、果たして地球を救えるのだろうか?
コメント (3)
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