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山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

海賤山賤

2006-02-23 06:46:24 | 独り言
ようやく春の息吹を感じる季節となりました。なぜかわくわくします。渓流も解禁間近、河原乞食達が出没し徘徊を始めます。あゝ私も早く河原乞食になって自由の風に吹かれたい。

西暦701年、藤原不比等(ふじわらふひと)によって大宝律令が制定された。その狙いはなんだったのか?完全な戸籍を作り、税を徴収することにあった。年貢課役の対象であった農民に関しては、その取りこぼしを防ぐため特にもれなく作成された筈である。歴代の朝廷や貴族は、ひとり農民が支えてきたわけですから。

しかしまた、いつの時代にもしたたかな人々がいるもので、この律令の枠から完全にはみ出た者達が存在したのである。流民やがそれである。

この人々は戸籍にも載らず人間としての扱いを受けることはなかったが、しかし自由であった。海の幸、山の幸を朝廷に届けること以外は年貢も課役もなく、農民のように生活の場を制限されることもなく全くの自由な生活が与えられた。いわゆる
海賤山賤である。

現代にもこんな人たちがいる。ホ-ムレス。でも全く違う。ホ-ムレスの人たちはやむを得ず今の生き方に甘んじているが、海賤山賤達は自ら選択してその生き方を
していたことに大きな違いを感じる。ネガティブとポジティブ。大きな大きな違いである。

私たちも、これを笑ってはいられない。思い当たる節はないだろうか?
人はなぜ生きているのだろうか?幸せになるためだと思う。幸せについての考え方は千差万別であるから断定はできない。

私の幸福観は、好きな人たちとだけおつきあいできること。そして、好きな事だけをやり続けられること。これに尽きる。逆ならどうだろうか。
いやな人と、やりたくもないことをやり続けることを想像してみてほしい。

幸いわたしは、皆さんのおかげでとても幸せな生き方ができています。本当に皆さんのおかげと感謝しています。

海賤山賤たちの生き方、厳しかったであろうが、何者にも束縛されぬ自由な生き方は一面ではとても幸せな人間本来の生き方ともいえる。

これから徘徊を始める河原乞食たちよ、いかに自由を求めたいからとはいえ、くれぐれも奥様を大切に。決してフィッシャ-マンズウイド-にさせてはならぬぞ。

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