昨夜、仕事からの帰路、国分寺からバスに乗った。席についてすぐ盲目の初老の紳士が目に入った。私はすぐに席を立ち乗車口で声を掛けて手をさしのべ席に導いた。
それを見ていた運転手さんは、運転席を立って盲目の紳士の席へ。『私は乗務員ですが、どちらで降りられますか?』と行き先を尋ねると『はい、わかりました』と応えて運転席へ。
盲目の紳士の告げた停留所でバスが留まると、当然のように運転手さんは彼の肩に手を掛けて降車口まで導き、声を掛けながらバスを降りるまで丁重に介助を続けた。
人として当たり前といえばそれまでだが、その一部終始を見ていた私は久しぶりに心温まる思いやりと優しさに触れ、とても心地よい感動を頂いた気分であった。
それに引き替えJRや私鉄の駅員達の何たる浅ましさ!
時々、駅員が数人がかりで車イスを抱えホ-ムへと階段を登る光景を目にすることがある。素敵な光景だ。と思っていた、、、、。
しかし!である。唖然!である。恥を知れ!である。
なんと、車イスの介助をした駅員には一人一回1000円~2000円の介助手当が支給されていた事実を知ってしまったのである。テレビで。
労働組合の要求なのか?経営者側の甘やかしなのか?そんなことはどうでも良い。
介助手当の支給も勝手にやればよい。しかし、鉄道の仕事に携わる者達が一人ひとりの利用者を大切なお客様ととらえ、お客様に『より心地よく利用して頂きたい』
という崇高な使命感があれば車イスの介助は当たり前の事である。
報酬は心からの『ありがとう』で充分である。『ありがとう』の一言でお客様のお役に立てた喜びが得られる。こんな心のご褒美が他にあるだろうか?
駅員達は介助手当がなければ車イスの介助をしないのだろうか。いっそのこと明日から『さあいらっしゃい、車イスのお客様、喜んで階段お運びしますよ-』『毎度
ありがとうござ-い』(やったね、今日も5000円稼いじゃったよ)などと客引きでもやったらどうか。
あゝ胸くそ悪い。酒じゃ酒じゃ。酒でも飲まなきゃ寝付かれぬ。しかし、これでまた血圧と血糖値が急上昇か?しかたない、かわいいモモちゃんに癒してもらいましょうかね!
それを見ていた運転手さんは、運転席を立って盲目の紳士の席へ。『私は乗務員ですが、どちらで降りられますか?』と行き先を尋ねると『はい、わかりました』と応えて運転席へ。
盲目の紳士の告げた停留所でバスが留まると、当然のように運転手さんは彼の肩に手を掛けて降車口まで導き、声を掛けながらバスを降りるまで丁重に介助を続けた。
人として当たり前といえばそれまでだが、その一部終始を見ていた私は久しぶりに心温まる思いやりと優しさに触れ、とても心地よい感動を頂いた気分であった。
それに引き替えJRや私鉄の駅員達の何たる浅ましさ!
時々、駅員が数人がかりで車イスを抱えホ-ムへと階段を登る光景を目にすることがある。素敵な光景だ。と思っていた、、、、。
しかし!である。唖然!である。恥を知れ!である。
なんと、車イスの介助をした駅員には一人一回1000円~2000円の介助手当が支給されていた事実を知ってしまったのである。テレビで。
労働組合の要求なのか?経営者側の甘やかしなのか?そんなことはどうでも良い。
介助手当の支給も勝手にやればよい。しかし、鉄道の仕事に携わる者達が一人ひとりの利用者を大切なお客様ととらえ、お客様に『より心地よく利用して頂きたい』
という崇高な使命感があれば車イスの介助は当たり前の事である。
報酬は心からの『ありがとう』で充分である。『ありがとう』の一言でお客様のお役に立てた喜びが得られる。こんな心のご褒美が他にあるだろうか?
駅員達は介助手当がなければ車イスの介助をしないのだろうか。いっそのこと明日から『さあいらっしゃい、車イスのお客様、喜んで階段お運びしますよ-』『毎度
ありがとうござ-い』(やったね、今日も5000円稼いじゃったよ)などと客引きでもやったらどうか。
あゝ胸くそ悪い。酒じゃ酒じゃ。酒でも飲まなきゃ寝付かれぬ。しかし、これでまた血圧と血糖値が急上昇か?しかたない、かわいいモモちゃんに癒してもらいましょうかね!
人としてあたりまえの親切を金に置き換えるとは!
子供の頃に習った当たり前の道徳心はどこにいってしまったのでしょうか?
お父さんお母さんを大切にしましょう。
お年寄りには親切にしましょう。
困った人には手を差し伸べ助けましょう。
川で酒を飲むのはやめましょう。
ん?
最後はちょっと違いますね!
最近では小学校の授業にPCを導入しているそうですが、
その前にたくさん教え得ねばならぬことがいっぱいあるのではないでしょうかねぇ~