山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

老いの楽しみ

2006-02-19 12:28:49 | 書籍
この季節になると、普段お会いしない年1回のお客様120人ほどがお出でになる。資料を届けながらの陣中見舞いが心にしみる。今週は声楽家の先生がおいしいチョコレ-トケ-キを、工務店の奥様が忙しいかろうとご飯とお総菜を、マンションオ-ナ-が『越の寒梅』を届けてくださった。皆、母親のような存在である。

おかげで昨夜は久しぶりに酔い、ぐっすり眠った。これでまた頑張れる。人は皆、沢山の人の心に支えられて生かされている。いつも心の中で掌を合わせています。

50代男性の約4割が農村や山村に住みたいと思っている。今朝の日経新聞の記事である。都会暮らしに疲れた定年間近の団塊の世代の心境が伺えると記事にあるが、本当にそうだろうか?彼らのほとんどは地方の出身者だと思う。私もそうだが40代、50代になると、自分が生まれ、父と母と暮らした原風景の中でもう一度生き直したい。そんな心境になる。

私は何かにつけて田舎に帰る。父母の姿のない家に入る寂しさはたまらない。でも帰りたい。25軒の小さな集落の人たちはみな家族そのものである。今でも同年配の幼なじみは、私を『せいヤ-』と呼ぶ。年上の人は53歳の私に『せい坊』である。年下の者は『せいあ兄い』。これからもずっと変わらないだろう。

1月には集落の『おんじい』が二人、眠りについた。寂しい。おんじいたちは頑固者ではあったが、しかし、みな優しかった。集落の人たちは『おんじい』たちの思い出話をしながら楽しそうに酒を酌み交わし、尊い命を黄泉の国へと送り出した。都会の厳かな葬儀とは全く違う暖かい心がある。

『老いの楽しみ』。今はなき沢村貞子さんの著書である。夫83歳、妻85歳の老夫婦。この長生きの幸運が明日もあさっても、来年も再来年もずっと続く筈はない。やがてどちらかが欠けると思うと、今の毎日がもったいないような気がして何かにつけて言葉を交わす。

『おはよう』には(さあ今日も元気で)という心。『おやすみ』には(明日も楽しく)という願いを込めて。そして何より感心させられるのは、沢村さんにみずみずしい感性が色あせていないこと。夫の前ではいつもこぎれいにしていたいというお洒落心。

子育てに追われて女を捨ててしまった妻たち、仕事に疲れて男を捨ててしまった夫たち、そして、いつしか言葉を交わさなくなってしまった現代の夫婦たちが、もう一度、男と女に立ち返ることを気づかせてくれる一冊である。

私たち団塊の世代もいずれ老境に入る。老いてなおワクワクドキドキの日々を送りたい。そのためには何よりも健康であること。そして、みずみずしい感性とライフワ-クを持ち続けること。老いの楽しみ。今から楽しみである。
コメント (1)
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