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山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

傍観者の罪

2008-04-11 20:22:40 | 独り言
北京オリンピックの聖火リレ-を観ていて、私は強い衝撃を受けた。

各国に住むチベットの人たちと、それを支援する人たちが、チベット自治区を弾圧する中国政府に対して、
一斉に糾弾の意思を示したからだ。しかも、体を張っての強い抗議行動である。

米国やヨ-ロッパ諸国に比べれば、遙かに身近で関係の深い我ら日本人は
この問題に対してどんな意思表示をするのだろうか?
多分、ほとんどの日本人は感心を示す素振りをしながらも傍観者であり続けることであろう。

自分たちに直接影響の及ぶ社会保険庁の情けない体たらくを知ってさえも、
自分たちが、なけなしの金をかき集めて納めた税金の無節操な使われ方を知ってさえも、
なんの抗議行動も起さず、ましてや怒りの声さえ発しない国民である。

理不尽な中国に虐げられるチベット民族のために、体を張ってまで行動を起す正義感など、ある筈がない。
悲しいかな、私もその情けない日本人の一人に成り下がってしまった。

一昔前の日本ならば、例えば社保庁の問題にどう対処したであろうか?
社会党や共産党、労働組合や学生運動家などは即座にデモ隊を組織して
連日デモ行進し、一般市民も大挙参加して強烈な抗議行動へと盛り上げて行った筈である。

デモ隊は社会保険事務所へ乗り込み、怒りのシュプレヒコ-ルを浴びせ、職員全員を引きずり出して糾弾し、
更には職員一人ひとりから反省の弁と責任のとり方を引き出した筈である。

今の日本はどうだろうか?
民主党が役人の不正を暴き、マスコミがそれを報道し、我ら国民は『そうだそうだ、許せん』と
身近な人間と憂さを晴らしているだけではないのか。

堕落した役人への怒りも、不正を正そうとする正義感も長続きせず泡と消える。
そんなものは怒りでもなければ正義でもない。

声も発せず、抗議行動という意思表示もしないということは、不正を許すと言う意思表示でもある。

だからこそ、腐りきってしまった役所も役人も、何の責任も取らず反省すらせずに
のうのうと生きながらえているではないか。
これこそ正に、我ら国民の体たらくの証左ではないのか?

様々な抑圧のクサリを外されたとき
我ら日本人は、それをはね返す怒りも正義感も反抗心もメルトダウンしてしまったのだろうか?

もしあなたが今、横田めぐみさんのご両親と同じ境遇に陥ったら?
一体どれだけの人が、同じ日本人として、同胞として、同じ民族として、
絶望の淵にいるあなたに、支援の手をさしのべてくれるのだろうか?

我ら日本人は今、日本人としての正義や誇り、悪に対する怒りを忘れてしまったのだろうか?
体を張って意思表示する勇気を、立ち上がり行動に変えるパワ-をどこかに置き忘れてしまったのだろうか?
聖火リレ-を見ていて、そんなことを考えさせられた。

日本の国は壊れはじめている。
その罪のすべては、我ら一人ひとりの傍観者的な姿勢にある。

恥ずかしながら、私もまたそのひとりであることに今はっきりと気づかされた。












コメント (6)
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