錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(6)

2013-11-21 21:39:31 | 2013年錦之助映画祭り
21日(木)。11時半、新文芸坐到着。きのう、売店にあった「錦之助伝」を若葉さんと岸田さんに差し上げたので、2冊補充するため、3階へ行くと、新文芸坐元支配人の永田稔さんがいた。永田さんには第一回目の錦之助映画祭りを企画した時に大変お世話になった。現在は顧問をされていて、新文芸坐へは週3日ほど来ているということだが、今回の上映会ではお会いするのは初めて。
「また病気になられたのかと思って、心配してたんですよ」と私が尋ねると、
「病気じゃなくて、いろんな用事が重なっちゃって、来られなかったんだよ」と永田さん。
 永田さんは、以前の文芸坐時代からの名支配人で、新文芸坐になってからも数年間支配人を務めていたが、5年前に病気で倒れてから顧問になった。やはり、永田さんが受付に立っておられると安心する。また、ゲストの接待も永田さんがいると心強い。
 12時過ぎに、トークゲストの三島ゆり子さんから入口に到着したと電話がある。すぐに1階へお迎えに行く。三島さんは尼崎から洋服を着て新幹線でいらしたが、こちらで着物に着替えられるので、付き人の方をわざわざ連れて来ている。4階の事務室へご案内。三島さんに永田さんを紹介し、すぐに5階のマルハンの応接室で着替えていただく。その間、私は屋上で一服。抜けるような青空で気分爽快。
 30分ほどで、シックな着物に身を包んだ三島さんが現れる。先ほどとは違い、女優三島ゆり子に変身している。三島さんにお会いするのは今度が二度目だが、三島さんには貫禄がある。さばさばしていて、はっきりと言いたいことをおっしゃり、姐御肌で、大きな人間的な魅力を感じる。
 1時20分、トーク開始。今日の聞き手は円尾さん。私は客席で拝聴。
 三島さんのお話は大変面白く、話し方も抜群にうまかった。私もいろいろな女優さんのトークを聞いているが、強烈な個性で聞き手を引きつけ、圧倒されるほどの印象を受けたのは三島さんのほかにあまりいない。今日のトークを聞い人は、得をしたと思う。
 サイン会もスムーズに終了。3時ごろ、東京にいる三島さんの東映時代の友人が三人見えるとおっしゃるので、受付のスタッフに案内を頼む。
 また応接室で洋服に着替えていただき、三島さんと事務室へ下りていくと、すでに三人の友人が見えていた。元東映女優の立川さゆりさん、紫ひづるさん、暁冴子さんである。私は三島さんからトークの前にお名前を聞いていたが、円尾さんは驚いたようだ。目がぎらぎら輝いている。事務室が女優部屋になってしまった。
 三島さんに、贈呈本の「錦之助伝」にサインをしていただき、お礼をお渡しする。
 三島さん、立川さん、紫さん、暁さんを近くの喫茶店ルノワールへ案内する。円尾さん、大川さん、私が加わって、1時間半ほど歓談。いろいろ興味深い裏話が聞けた。女優陣の飲み物とサンドイッチ代はもちろん私が持つ。
 4時半、池袋駅へみなさんを送っていき、解散。三島さんは5時半ごろの新幹線で大阪へ帰られるとのこと。
 新文芸坐へ戻り、『花と龍』の後半だけ見る。お客さんはまばら。寂しい気分。
 ロビーで売店で売れ残ったピリ辛チャーハンを食べて、帰る。
 夜、成澤昌茂さんのお宅へ電話。奥様と打ち合わせ。土曜日は、表参道の成澤邸へ私が車で迎えに行くことになっている。池袋と表参道は近いので、車での往復は楽だ。
 10時に就寝。


   

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(5)

2013-11-21 06:46:19 | 2013年錦之助映画祭り
 20日(水)。今日は錦之助さんの誕生日。生きていれば、81歳だった。昨夜は早く寝たので、5時起床。ブログを書き、たまっていた雑用を済ます。「錦之助伝」の発送作業。東映本社へ5冊、宅急便で送る。ファンの会の会員でどうしても上映会へ来られず、お祝いを送ってくれた方に「錦之助伝」をゆうメールで送る。スイスのバーゼル在住の山口さん、福岡県の永竿さん、能塚さん、愛知県の新美さん。
 それと、本の中で登場するマキノ光雄の京都弁をチェックをしてくれた山崎照子さんへ一冊送る。山崎さんは元・大映の女優で、芸名を舞京子といい、溝口健二の映画にも出ている。現在82歳で、5年前に京都でお目にかかり、それ以来、親しくさせていただいているのだが、お会いするたびに、私にお祝いをくださったり、ご馳走をしてくれる方なのだ。若尾文子が『祇園囃子』に出演する時に、京都弁の指導をしたことがご自慢。山崎さんは、早くに女優をやめ、木暮実千代の付き人をなさっていたそうだ。いつも山崎さんといっしょにいるご主人の達男さんは、大映の元・撮影助手で、とても穏健ないい方だ。達男さんは、照子さんより一歳年下で、彼はなんと錦ちゃんと誕生日がまったく同じ。昭和7年11月20日生まれで、今日81歳になられたわけだ。

 10時半に家を出る。いつもは明大前から新宿経由で池袋へ行くが、今日は永福町から渋谷経由で行く。11時半に新文芸坐に着く。スタッフに尋ねると、今日は昨日よりお客さんが入っているという。上映作品は『宮本武蔵 第二部』と『一心太助 男の中の男一匹』であるが、タイトルがよく知られているので、一般のお客さんが来たのだろう。
 『一心太助 男の中の男一匹』を最初から見る。1時15分ごろまで見て、今日のトークゲストの二代目錦之助さんを出迎えるため、ロビーで待つ。ケイタイに留守電が三件入っていたので聞く。マガジンハウスの著作権担当の石渡さんから本が届いたとのこと。申請書を送り忘れていたので、折り返し電話する。
 
 1時半、薄いねずみ色の着物の正装で二代目が見える。錦之助映画祭りでのトークは今度が三度目。ご自分で車を運転して来られたそうで、すぐ近くのパーキングへ停められたとのこと。
 4階の事務室で一休みして、2時少し前にトーク開始。聞き手は私。
 二代目を紹介する前に、今日は錦之助さんの誕生日なので、挨拶をいつもより長めにする。
 トークでは、初代錦之助さんの人柄や役者としての素晴らしさについて、二代目にお話していただく。途中からは私がずいぶんしゃべってしまった。二代目にかける期待や励ましも錦ちゃんファンの気持ちを代弁して私から話した。今日は二代目に突っ込んだ質問もしたと思う。
 サイン会は、盛況。円尾さんにアシスタントを頼む。30名以上の方にサインをしたのではなかろうか。二代目のファンも会場には何人か見えていた。
 事務室で、贈呈本にサインしていただき、お礼、「錦之助伝」7冊、新文芸坐の招待券(二代目は今度上映する洋画を見に来たいと言っていた)を差し上げ、円尾さんと駐車場までお見送りする。
 また事務室へ戻り、新文芸坐のチーフの矢田さんとお金の清算、来年1月18日から催す予定の有馬稲子特集(10日間)の上映作品について、円尾さんも交え、相談。
 午後5時半、ファンの会の加藤きくよちゃんが見えたので、誘って近くのソバ屋へ夕食を食べに行く。彼女はファンの会では若い女性の一人で、可愛くて明るい方である。しかも、気遣いが実に細やかで、私の秘書にしたいような女性なのだ。彼女は平日は働いているし、震災後、土日は福島でボランティア活動をしているので、残念ながら今のところは無理である。これまで彼女にはいろいろなものをいただいてきた。CD(錦ちゃんの歌の入った歌謡全集)、お菓子、缶コーヒー、青汁など。今回の上映会の初日には大きな紙袋にいろいろな飲食物を詰め込んだ差し入れをもらった。鯛焼き、チョコレート、パック入りスープ、缶コーヒー、青汁。その前にはご祝儀もいただいている。今日は、錦ちゃんの誕生日だからといって、わざわざ大きなショートケーキを買って持ってきてくれた。ファンの会には、ありがたいことに私を応援してくれる親衛隊のような方が何人かいるが、きくよちゃんはその隊長である。しかし、私は彼女とは今までも一度も二人だけでゆっくり話したことがない。今日が初めてだった。きくよちゃんが「錦之助伝」に私のサインをねだるので、仕方なく、下手な字で感謝の言葉も書き添えて、サインしてあげる。40分間ほどだったが、ソバを食べながらプライベートなことを話す。彼女には一番高い天ザルをご馳走したが、彼女からいただいたたくさんの好意からすれば、そのお返しの百分の一にも届かないだろう。

 6時半、きくよちゃんと別れる。ロビーに入江若葉さんが見えていたので、お相手をする。今日は若葉さんがお招きしたお客様がこれから『宮本武蔵 第二部』を見にいらっしゃるというので、若葉さんご自身がわざわざ接待にいらしたのだ。そのお客様というのが、実は私も知っている方で、まったく世の中は狭いものなんだなあと思うが、私の教え子(二十数年前の進学塾の生徒)のお母さんであった。イラストレーターで作家の安西水丸さんの奥様で、画家の岸田ますみさん。塾の父母面談で二、三度お話したことがあったと思うが、お母さんも画家だったとは、この前、若葉さんから聞いて初めて知った。
 6時40分ごろ、岸田さんが見えたので、ちょっとだけお話してから、館内にご案内する。私は若葉さんと最後列の関係者席で『宮本武蔵 第二部』を見る。今度の上映会で、最初から最後までじっくり鑑賞できたのは、これが三本目。(ほかは『弥太郎笠』と『ゆうれい船 後篇』)
 映画を見終わって、岸田さん、若葉さんを誘って、近くの喫茶室「椿屋」へ行く。1時間半ほど歓談。岸田さんは『宮本武蔵 第二部』を初めてご覧になったらしく、とても良かったと言っていた。とくに錦ちゃんの武蔵が奈良の宝蔵院へ乗り込んでいき、阿厳坊と勝負をするまでをハラハラして観たそうだ。若葉さんも、「今日見たら、とってもいい映画で、あたし、今までなに見てたのかしら」なんて言う。お二人は、ここの名物であるビーフカレーセットを試食。おなかが空いていたらしく、おいしいと言って食べていた。私はシフォンケーキとコーヒー。
 池袋駅で若葉さんと別れ、新宿まで岸田さんとごいっしょする。
 10時半帰宅。きくよちゃんにもらったフルサイズのショートケーキを三分の一食べる。
 長いが、充実した一日だった。睡魔に襲われ、すぐに就寝。


「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(4)

2013-11-20 06:00:55 | 2013年錦之助映画祭り
 19日(水)。11時起床。2時間ほど雑用。
 マガジンハウスとひばりプロダクションへ「錦之助伝」を送る。印刷物専用のゆうメールだと1冊送って、340円。
 11時半ごろ、エ・ネストの名塚社長から電話。今、新文芸坐へ来ているという。私は2時ごろ行くと言うと、名塚さんはこれからほかに回るところがあるので、また今度ということに。今日のトークゲストの松風はる美(利栄子)さん、木曜日に予定していた宮園純子さんなどが所属する芸能事務所の社長が名塚さんで、宮園さんが来られなくなったお詫びと松風さんをよろしくということを私に言いに、新文芸坐へ立ち寄ったのだそうだ。
 昼過ぎ、内田千鶴子さんから電話。千鶴子さんは内田有作さん(吐夢監督の次男)の奥さんで、写楽と北斎の研究者である。本も書かれ、大江戸博物館などで講演もしている。不思議なもので、有作さんが二年前に亡くなってから、親しくさせていただいている。有作さんがお元気な頃は、千鶴子さんとは一度もお目にかかったことがなかったのだが、偲ぶ会と一周忌に私が出席しているうちにお付き合いが始まった。きっとあの世で有作さんも笑っているにちがいない。千鶴子さんは、今日、新文芸坐へ私を励ましに見えるとのこと。
 1時ごろ家を出る。2時、新文芸坐に着く。スタッフに訊くと、200人くらいの入り。この時間、初日から3日間は満員だったが、4日目にお客さんが減った。ちょっとがっかり。ロビーで内田千鶴子さんと編集者の女性に会い、10分ほど話す。お二人とも「錦之助伝」を買ってくださった。映画も見て、帰られるという。
 円山さんから電話があり、電器店ラビの前へ迎えに行く。京都からお着物(薄紫色)を着て、いらした。
 事務室で円山さんに色紙と贈呈本にサインをしてもらっていると、驚いたことに北沢典子さんが事務室に現れる。「円山さんと松風さんにお会いしたくなって……それから、ちょっと様子を見に伺ったの」とおっしゃる。北沢さんは横浜在住で、池袋まで1時間以上かかるのにトークとは別の日にわざわざいらしてくれたのだ。
 北沢さんに「錦之助伝」をさしあげ、円山さんがお化粧直しをしている間、10分ほど話す。
 2時45分ごろ、ロービーに松風さんが見えたので下へ行く。黄色い枯葉色のお着物姿で、お知り合いの方といっしょだった。ご挨拶だけして、トークの打ち合わせはなし。松風さんとは今月4日に明大前の円尾さんの上映会でお会いして、打ち合わせは済ませている。
 『ゆうれい船』が終る。ロビーで早くも円山さんがお客さんにつかまり、写真撮影に応じる。
 3時5分、トークショー開始。聞き手は私。円山さんと松風さんに不公平なく、お話していただく。東映入社のきっかけ、東映時代のこと、錦之助さんとの話、役柄のことなど。最後に円山さんが、子どもたちに夢を与えるような時代劇を作ってほしいと力説。
 サイン会もスムーズに進行。北沢さん、円山さんが映画を見たいとおっしゃるので、客席へ案内する。松風さんに事務室へ来ていただき、色紙と贈呈本にサインをいただく。お礼もお渡しする。
 今日は久しぶりに映画を見る。『殿さま弥次喜多怪談道中』の三分の二と『ゆうれい船 後篇』全部。ただし、『ゆうれい船 前篇』は見られなかった。
 北沢さんは、途中でお帰りになる。夕方、新文芸坐を出て、円山さんと「寿し常」で夕食。円尾さんも同席。また新文芸坐へ戻って、関係者席で円山さんと『ゆうれい船 後篇』を見る。円山さんは今夜、立川のホテルへ一泊することになっているので、帰りは池袋から吉祥寺までお供する。電車の中で、円山さんといろいろなことを話す。
 10時半帰宅。疲れたのですぐに就寝。 


 

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(3)

2013-11-19 00:58:05 | 2013年錦之助映画祭り
 18日(月)。昼過ぎまでゆっくり寝る。2時前に新文芸坐へ行く。
 入口のエレベーターの前に、「ただいま満員のため、ご入場できません」と書いた掲示板が出ている。
 『笛吹童子』の一回目、満員札止めだったと知って、驚く。やっぱり読売の記事の効果があったんだな。良かった。
 4階の事務室へ行き、映写技師のMさんと話す。『冷飯とおさんとちゃん』の途中休憩の件。『おさん』のあとに休憩がとれるかどうかという話。フィルムセンターから借りたフィルムはいろいろと制約があり、巻の途中で止められるどうかが問題。
 『笛吹童子』の第二部が終って休憩に入ったので、階下へ下りる。関係者席に高岡さんがいたので、少し話す。ホールの中を一回りし、見かけたファンの会の人たちに、打ち上げの宴会の日時を伝える。
22日(金)の夕方6時から、「すし常」の奥の座敷にて。2回目の『丹下左膳』が終ったら、会員はロビーに集合のこと。会費2000円(寿司セットと飲み物一杯分)。

 2時45分ごろ、トークゲストの島英津夫さんが「よろきん一座」の座員を5人率いて、やって来る。女性は一人。目の大きな美人。みんな若い。20代後半。主役級の木村くんだけが確か30歳を超えている。島さんと簡単に打ち合わせをする。あとから、もう一人、ぽっちゃりとした丸顔の可愛い女性の座員が来る。
 3時前に、下へ降りる。喫煙室で島さんとタバコを一服。
 『笛吹童子』が終わり、高岡さんと円尾さんが来る。高岡さんが島さんに会うのは40数年ぶり。高岡さんは鵠沼の錦之助邸に住み込みで働いていた時代があり、その時、島さんは小学生だった。高岡さんが野球場とかあちこちへ島さんを連れて行ったとのこと。二人は抱きつかんばかりに、再会を喜び合っていた。
 3時15分。トークショー開始。ほぼ満席。トークの前に帰ったお客さんが少しいたようだ。
 私の簡単な挨拶のあと、島さんを舞台へ呼び、続いて高岡さんを呼ぶ。
 今日は、錦之助さんのプライベートな話がメイン。おやじ錦之助と旦那錦之助について。
 なかなか面白い話が次から次へと飛び出す。一部だけ紹介しよう。
「前の父親のことは、英語でパパとかダディとか呼んでいたんですけど、新しい父親が家に現れると、父上とかお父さんに変わったんですよ」(島さん)
「おやじは歌手ではひばりさんより都はるみさんが好きで、『涙の連絡船』ばかり歌っていました」(島さん)
「おやじは海が好きで、山はヘビが大嫌いだったんでダメだったんですね」(島さん)
「ヘビがいるなんて言うと、撮影中止で、旦那はさっさと帰ってしまいました」(高岡さん)
「旦那はジャイアンツの大ファンで、負けるとテレビを壊したほどなんです。私は2台壊したのを目撃しています」(高岡さん)
「江川問題があってからは、阪神ファンになりましたけどね」(島さん)
「お酒はジョニ黒を二日か三日で一本空けてました」(島さん)
「サウナが大好きで、10分いて、水風呂に入り、また10分というのを繰り返すんです」(島さん)
「セリフも紙に書いてサウナの中で覚えていました」(島さん)
「私もサウナに入って、相手役のセリフを言わされました」(高岡さん)
 今日のトークはお客さんの反応も良く、いい感じで進んでいく。
 途中で、よろきん一座の正月公演のことに話題を変え、6人を壇上に上げる。一人一人自己紹介してもらう。そのあと、客席に下りて、仮チラシを配布。
 ラスト5分は、真面目な話。これから錦之助さんをどう若い人たちに伝えていくかについて。
 トークは40分ほどで終了。サイン会、記念写真。
 また事務室へ上がり、20分ほど休んで、解散。
 高岡さんが7時に池袋を出て、京都へ帰るので、それまで円尾さんと私の三人で寿司屋で夕食をとりながら歓談。鉄火丼とビール少々。
 高岡さんを見送って、8時に帰宅。
  入江若葉さんに電話。30分ほど話す。若葉さんはご主人とお嬢様を連れて見えるそうだ。22日の打ち上げの会には、お一人で出席してくださるとのこと。
 今日は映画を見なかった。もう無理に映画を見ようとしないで、体調を整え、裏方に徹しようと決める。自分の責任を果たし、みんなが映画を見て、トークを聞いて楽しんでくれればそれで良いし、新文芸坐へ来られなかった人のためにはレポートを書き続けよう。そのほうが大切だから。

 

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(2)

2013-11-18 02:26:06 | 2013年錦之助映画祭り
 17日(日)。昨夜は10時半ごろに寝たら、夜中の3時に起きてしまい、朝までこのブログを書いたり、本の注文の整理をしていた。7時ごろにまた寝て、10時にアラームもかけたのだが、つい寝過ごしてしまい、目を覚ましたのが10時半。顔だけ洗って、あわてて家を飛び出す。
 11時半、新文芸坐到着。3階のエレベーターの前で、円尾さんと会う。トークゲストの井上泰治さんも山内鉄也夫人もすでに見えていて、事務室で待っておられるという。
 『祇園祭』の開始が11時40分からで、映画を見にいらっしゃることは井上さんから聞いていた。山内夫人も井上さんも京都在住で、夫人は昨夜東京のホテルで一泊し、井上さんも東京に来ていて、朝、夫人をホテルに迎えに行って、いっしょに新文芸坐へ来られると、昨日連絡があった。出迎えるつもりでいたのだが、主催者の私の方が遅刻をしてしまった。
 でも、今日の聞き手の円尾さんがちゃんと迎えてくれたので、ほっとする。ロビーには尾形伸之介さんもすでにいらしていて、ファンの会の町田さんと歓談していたので、尾形さんにご挨拶してから、今度は高岡正昭さんを探す。高岡さんは、明日のゲストだが、今朝京都を発ち、11時半ごろ新文芸坐へ見えることになっている。ケイタイで連絡をとると、早く着いたので近くの喫茶店でお茶を飲んでいて、すぐこちらに向かうとのこと。
 事務室から、井上さんと山内鉄也夫人、もう一人、女性の方が降りて来たので、エレベーター前で、ご挨拶。
 映画監督の井上さんとは、この上映会の企画中に新宿で会って、酒を酌み交わしている。私とほぼ同世代(確か一歳下)。山内鉄也監督(平成22年4月逝去)のお弟子さんで、現在、テレビ時代劇の「水戸黄門」や「大岡越前」の監督をしている。時代劇俳優の育成にも努めていて、時代劇の復興を常に考えている真面目な方である。
 山内夫人とは初対面で、円尾さんが私を紹介してくれる。上品な貴婦人のような方で、井上さんから聞いた話では以前宝塚歌劇団にいらしたことがあるそうだ。私は山内鉄也監督とまったく面識がなかったのだが、4年前に記念本「一心錦之助」を作った時に、円尾さんが山内監督に原稿を依頼してくれた。そして、書いていただいた文章が熱のこもった素晴らしいものだったので、私が本の冒頭に置いたところ、あとで山内監督が大変喜んでいたと円尾さんから聞いた。しかし、残念なことに、これが山内さんの遺文の一つになってしまった。
 もう一人の女性は、井上さんが紹介してくれる。河治和香さんといい、日本映画監督協会の事務局に勤めていらしたそうで、東映ビデオ宣伝部の河治信夫氏(平成20年7月に62歳で逝去)の奥様とのこと。「あっ」とすぐに思い当たる。河治氏は錦之助映画をはじめ東映時代劇のビデオ化を推進した功労者で、それをDVD化していく企画半ばで亡くなってしまったのだ。私は7年前にこの「錦之助ざんまい」を書き始めた時、一度電話でお話したことがある。東映ビデオのカバーの画像を使わせてくださいとお願いしたところ、快く承諾してくださり、錦之助映画の普及に大変協力的で、なんと話の分かる人なのだろうと感心した。そんな縁があって、河治氏の奥様と今頃になってお会いするとは思いもかけなかった。ちょっと話してみると、とても気さくで感じの良い方である。しかも、美人(お年の方は分からないが、私より数歳下だと思う)。
「これ、主人のことを書いた本です」と言って、和香さんが文庫本の入った茶封筒を差し出す。 その時は中を見る暇がなかったのだが、あとで出してみると、新潮文庫でタイトルは「未亡人読本」(河治和香)。経歴をざっと見ると、彼女は時代小説を書いている作家ではないか。びっくりした。
 『祇園祭』が始まるので、皆さんを関係者席に案内する。館内は満員。立ち見客も数人いる。関係者席を8席取っておいたが、2席空いたので、お客さんに座ってもらう。私も関係者席に座って、今日はじっくりと鑑賞するつもりだ。『祇園祭』のニュープリントは、東京ではフィルムセンターで確か二度上映されたが、東京の映画館で上映されるのは今回が初めて。新文芸坐のお客さんもそれを知っていて、こんなにたくさん詰め掛けたにちがいない。
 私が『祇園祭』を見るのは今度が四度目。高校1年の時に渋谷パンテオンで封切りを見て、その約40年後の8年前に京都文博で褪色したフィルムを見て、ニュープリントになった時にまた京都文博で見た。作品的にはいろいろ言いたいこともあるが今回は詳しくは書かない。ただ、錦之助が主人公の新吉を演じるにはちょっと老けているように感じる。前半がダラダラと長く、残虐なシーンが多すぎる(あの頃の風潮だったが…)。侍の描き方があまりに類型的で、支配者階級への憎悪が出過ぎる、相手役の岩下志麻が今ひとつなどなど。前半を40分くらいカットして短縮すれば、ラストの祇園祭復興がもっと盛り上がったように思う。
 午後3時よりトークショー。山内鉄也夫人、尾形伸之介さん、井上泰治さんという順番に円尾さんが紹介し、三人の方それぞれにお話をしていただきながら、進行する。円尾さんが手際よく話を振り、ゲストの皆さんも不公平なく、おっしゃりたいことが話せたようで、大変良かった。





 ただ、尾形さんがちょっと話し足りなかったようだが、仕方がない。
 サイン会は尾形さんと井上さんにしてもらい、時間内に終了。昨日の丘さんに比べて、サインを求めるお客さんの数は少なかったが、これも仕方がない。
 事務室で、ゲストの皆さんと少しだけ雑談して、山内夫人、井上さん、河治さんをお見送りする。「錦之助伝」は皆さんに進呈。
 そのあと、「若き日の次郎長 東海の顔役」を見るのを私は諦め、尾形さん、高岡さんを誘って、寿司屋で小宴会。円尾さん、高橋かおるさんほか、総勢11名。2時間ほど。尾形さんが飲み過ぎたので(焼酎のお湯割り5,6杯)、高島平のご自宅までタクシーで帰っていただく。尾形さんは、元気だが、もう83歳。やはり心配だ。カーナビに尾形さんの住所を入れてもらい、運転手さんにお金も渡しておく。途中で寝てしまったら、着いてから起こして、お釣をあげて下ろしてくださいと頼む。
 夜8時帰宅。円山榮子さんへ電話し、30分ほど話す。10時就寝。
 しかし、夜中の3時に目が覚めてしまう。
 メールボックスを開くと、錦ちゃんファンのSさんから、「錦之助伝」の読後感を届いている。お褒めの言葉をいただき、嬉しくなって、「よっしゃ、今日のレポートを書こうか」と思う。
 今、レポートを書き終えたが、もう明け方である。
 困ったなあ! まったく変な生活パターンになってしまった。