錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『日本侠客伝』(その1)

2006-10-30 22:43:17 | 日本侠客伝・最後の博徒

 マキノ雅弘の手にかかると、やくざ映画も恋愛映画になってしまう。そこがマキノ作品の良さでもあるが、時代劇や任侠映画のファンの中にはそれを嫌う人も多い。カッコ良いヒーローは、硬派でなければならず、女に恋心を寄せたり、女に未練がましい態度をとることは好ましくないというわけだ。そこで、マキノ監督の思い入れたっぷりな男女の描写を長ったらしく感じるのだろう。アクションや立ち回りが好きな映画ファンは、どうも彼の映画を甘ったるく感じるようだ。その気持ちも私は分からないわけではない。マキノ雅弘は、良く言えば、フェミニスト、悪く言えば、軟派である。だからかどうかは知らないが、とりわけ女優の演技指導は熱心で、自ら実演し手取り足取り教えていたそうだ。確かにマキノ監督の映画は、女優の扱い方が巧みである。私は硬派のチャンバラ時代劇も好きだが、恋愛映画も大好きなので、マキノ監督が描く男と女のしっとりとした場面も好きで、いつも感心して観ている。錦之助の出演作で言えば『遠州森の石松』も『弥太郎笠』も本質的には恋愛映画で、錦之助と丘さとみの二人のシーンが(といってもキス一つない)実に印象的で目に焼きついている。この二作はどちらも明るい純愛ストーリーだった。
 『日本侠客伝』(1964年)は、時代劇ではなく、60年代後半に大流行する東映任侠路線のはしりとも言うべき作品で、後にシリーズ化するその第一作だった。が、やはりマキノ監督ならではの恋愛色の濃い映画だった。ただ、男と女の情愛がぐっと深まった作品で、錦之助と三田佳子が夫婦になって絶妙の共演をしている。
 ストーリーは、昔気質のやくざの木場政組と新興勢力のあこぎな沖山組との争いで、任侠映画のパターン通りの筋書きである。が、この映画には、男女のカップルが三組も出て来る。しかも、このカップルはどれも違った男女関係なのである。
 まず、木場政組の長吉(高倉健)とおふみ(藤純子)は許婚で相思相愛の仲。健さんが五年間の兵役を終えて帰ってくるまで、健気にずっと待っていたのが藤純子で、清純な二十歳そこそこの生娘役。
 次に、錦之助が扮する清治は木場政組の客分で、どこかの親分の女だったお咲(三田佳子)と駆け落ちして一緒になったという設定。逃げてきた二人をかくまい、丸くおさめたのが木場政の親分だった。それから木場政組の客分になっていたのだが、女房の三田佳子は、二人でタバコ屋でもやりながら平穏に暮らしたいと願っている。二人の間には五歳の娘がいる。しかし、親分が病死した後、錦之助は木場政組のため一肌脱いで命を懸けることになる。
 三組目が、木場政組の身内・赤電車の鉄(長門裕之)と辰巳芸者の粂次(南田洋子)である。長門と南田は日活時代大恋愛して、本当に夫婦になっただけあって、息もぴったり。監督が長門の叔父のマキノ雅弘と来れば、ツーカーの間柄でもある。(この映画には長門の弟の津川雅彦もチンピラ役で出演している。)芸者の南田は幼馴染の健さんにぞっこん惚れていて、最初は長門の片思いだったが、長門の男気と情にほだされて、南田が好きになるといった関係である。
 つまり、一つの映画の中に、三組の男女が現れ、それぞれの心の通い合いがストーリーの上で大きなウエイトを占めている。そんなやくざ映画も珍しいが、この映画を観て感心するのは、これらの男女の情愛の描き方が実にきめ細やかなことである。まさにマキノ雅弘一流の芸当だと言ってよい。

 私はこの映画を映画館で二度、ビデオでは10回以上観ているが、何度観ても、胸にじーんと来る。とくに、長門裕之が惚れた南田洋子のために尽くすだけ尽くして、南田の心を射止めた直後に闇討ちに合い、錦之助の腕の中で死んでいく場面は、可哀想で見ていられない。それと、錦之助が単身殴り込みをかける決意をして、うらぶれた家の部屋で恋女房の三田佳子と幼い娘と別れる場面は目頭が熱くなる。錦之助の憂いのある表情がなんとも言えず、胸がかきむしられる。錦之助と三田佳子の共演は他にもあるが(『鮫』と『冷飯とおさんとちゃん』)、この映画で錦之助の相手役を務めた三田佳子は素晴らしく、いちばん好きである。また、幼い娘役に、藤山寛美の娘で子役時代の藤山直美が出て名演をしているが、錦之助に強く抱きしめられて、「痛いよぉ」と言いながら、錦之助の涙を小さな手で拭う場面は、見ていてこっちまで涙が流れる。
 高倉健と藤純子のことにも触れておこう。この二人は『日本侠客伝』で初めて共演し、恋人役を演じることになったのだが、まったく違和感を覚えなかった。二人の共演はその後何作あったか数え切れないほど多いが、健さんの相手役にはやはり藤純子が最適だったと思う。藤純子もまだ東映映画でデヴューして(昭和38年6月)、一年余りにすぎなかったのに、マキノ雅弘の秘蔵っ子として鍛えられただけあって、演技もしっかりしていた。高倉健は当時33歳、まだ若いがきりっとしていて、役の上でも先輩スター錦之助を立てていた。錦之助が沖山組へ殴り込みに行ったことを知り、身柄を引き取りに乗り込むところは凄みがあって圧巻だった。(つづく)




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