錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『日本侠客伝』(その2)

2006-10-30 23:37:50 | 日本侠客伝・最後の博徒
 『日本侠客伝』は、監督のマキノ雅弘にとっても、主演の高倉健にとっても、特別出演の錦之助にとっても、ターニング・ポイントになった映画である。大袈裟に言えば、この映画によって三人のその後の映画人生が大きく変わってしまった。
 マキノ雅弘の著書『映画渡世・地の巻』を読まれた方はご存知かと思うが、この映画はもともと企画段階では錦之助が主演する予定だった。ところが、錦之助が主演していた前作『鮫』(田坂具隆監督)のクランクアップが大幅に遅れたために、『日本侠客伝』の撮影スケジュールがずれ、錦之助の歌舞伎座公演(中村時蔵追善公演)と重なることになってしまった。そこで急遽脚本を書き直し、主役には錦之助の推薦もあって高倉健を使い、錦之助は助演にまわることになった。錦之助の撮影日数はわずか4日で、公演が終わってからもう1日だけ撮影に付き合ってもらい、映画を完成したのだという。結局この映画の後、あれだけ仲の良かったマキノ雅弘と錦之助は喧嘩別れすることになってしまった。
 また、高倉健はこの映画で自分の進むべき道を見出したようである。マキノ監督も錦之助と袂を分かった後は、高倉健を主役に据え『日本侠客伝』や『昭和残侠伝』のシリーズ作を精力的に撮り続けていくことになる。そして、高倉健はその間『網走番外地』のヒットシリーズにも恵まれ、一躍東映映画の金看板にのし上がっていく。藤純子もその後東映の最後の女優スターに成長していくことはご承知の通りである。
 一方錦之助は、任侠路線よりも芸術的な時代劇にこだわったため、東映での居場所がなくなっていき、この映画の上映後二年も経たずしてついに東映を離れることになる。それからは苦難の道を歩むわけだが、やはり錦之助は東映の映画の方がぴったり来る。東宝なんかの時代劇より、東映の任侠映画の方に出演した方がずっとサマになっていたと思うのだが…、これも後の祭りだった。
 『日本侠客伝』を観て私はいつも思うのだが、錦之助の着流しのやくざ姿は本当にカッコ良い。もちろん、演技も最高である。カツラをかぶらない明治・大正期のやくざを演じた錦之助にも私はたまらない魅力を感じるのだ。だから、錦之助が東映を辞めずにもっと任侠映画にも出演していたらどんなに素晴らしい映画が生まれたことだろう、と残念に思わざるをえない。
 
 最後に、『日本侠客伝』の製作スタッフや助演者のことを付け加えおこう。プロデューサーは俊藤浩滋(藤純子の父親)と日下部五朗で、東映の任侠路線と実録やくざ映画を推進する立役者になった二人。脚本は、笠原和夫、野上龍雄、村尾昭。この三人もこの映画の後任侠やくざ映画の脚本を書きまくった作家たちである。撮影は大ベテラン三木滋人、美術が鈴木孝俊、音楽は斉藤一郎。助演者はすでに挙げた俳優のほかに、田村高廣、松方弘樹、大木実、ミヤコ蝶々、南都雄二、藤間紫、伊井友三郎、品川隆二、安部徹、天津敏だった。田村高廣は、『花と龍』の方が役柄も重要で、引き立っていたが、この映画でも印象に残る演技をしていた。松方弘樹も熱演していた。大木実は高倉健の弟分でこの映画では良い役だった。品川隆二は男気のある沖山組の代貸しで、組のあくどいやり方に悩む複雑な役柄だったが、好演していた。




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