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錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『悲恋 おかる勘平』(その1)

2006-10-23 06:04:13 | 悲恋物
 歌舞伎や文楽の『仮名手本忠臣蔵』は、ご存知のように、史実の赤穂事件をモデルにしているが、時代設定もストーリーも登場人物も変更している。時代は足利期に変え、浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)、吉良上野介は高師直(こうのもろのお)、大石内蔵助は大星由良之助に改名するといった具合である。だから、講談や小説や映画の『忠臣蔵』や『赤穂浪士』とは似て非なる話だと言ってよい。お軽と勘平が登場するのは、もちろん歌舞伎や文楽の方で、この二人はフィクションのヒーロー・ヒロインである。
 私は、映画やテレビの『忠臣蔵』は昔から最近に至るまでいろいろな作品を観ているが、歌舞伎や文楽の『仮名手本忠臣蔵』の舞台は若い頃に二、三度観たきりで、記憶もあいまいである。とくに、勘平やお軽が登場するくだりはうろ覚えに近い。(私が観たお軽は坂東玉三郎だったような気がするが…。勘平は誰だったか?)そこで、今回は歌舞伎のガイドブックを調べ、そこから得た知識を参考にしながら書かせていただく。


<お軽(中村福助)と勘平(中村勘九郎)>
 歌舞伎の話でいうと、早野勘平は判官の近習であり、お軽は腰元だったが、刃傷事件が起こった際、城外で逢瀬を楽しんでいたため、不忠不義の罪に問われ、追放の身になってしまう。そこで二人は京都郊外山崎にあるお軽の実家へ落ち延びて、人目を忍ぶ暮らしをする。ここから先が、『仮名手本忠臣蔵』では有名な五段目「山崎街道」と六段目「勘平住家」である。
 五段目は、勘平が同輩の千崎弥五郎に偶然出会い、仇討の仲間に入れてもらうため、資金調達を約束するところから始まる。お軽の父・与市兵衛が娘を祇園に身売りした金を持ち帰り夜道を歩いていると、山賊まがいの斧定九郎に襲われ、殺されて金を奪われる。すると、今度は、勘平がイノシシと間違えて撃った鉄砲玉が定九郎に命中し、彼を殺してしまう。暗くて誰だか分からないが、懐を探ると、大金の入った財布がある。勘平はそれを黙って奪い取り、逃げて行く。
 六段目は、勘平が家に帰ってからの話で、お軽が祇園に連れて行かれた後、与市兵衛の死骸が運ばれて来る。血の付いている財布を勘平が持っていたため、お軽の母・おかやに疑われ口論している最中に、原郷右衛門と弥五郎が訪ねに来る。おかやから話を聞いて、彼らは勘平をなじる。勘平はてっきり自分が舅を殺したものと思い込み、悩んだ末に切腹する。やがて、遺体の傷から真相がわかり、改めて仇討の仲間に加わることを許されて、勘平は死んでいく。

 映画の『悲恋 おかる勘平』(昭和31年)は、この五段目と六段目をストーリーの中心に据え、それを赤穂義士の物語に組み込んで、裏に起こった悲話のように仕立てたものだった。だから、映画の中では、勘平、お軽、与市兵衛(お軽の父)、おかや(お軽の母)などは歌舞伎の役名を用い、一方浅野家の人々は、実名と同じにしている。浅野内匠頭、御台の阿久里(瑤泉院)、大石内蔵助、片岡源五右衛門、神崎弥五郎などはホンモノが登場するわけだ。この映画の原作は邦枝完二の小説だそうだが、私はこの原作のことを寡聞にして知らない。脚色したのは依田義賢(斉木祝という人と共同執筆)で、監督は佐々木康だった。
 勘平を演じたのは若き日の錦之助である。お軽はこれまた若い千原しのぶで、他に与市兵衛が横山運平、おかやが毛利菊枝、御台の阿久里が喜多川千鶴、大石内蔵助が錦之助の実父三世中村時蔵といったところが主な配役である。

 しかし、映画を観る限り、正直言って、この話は芝居には向いているかもしれないが、映画には向かなかったのではないかというのが私の感想である。いや、歌舞伎のストーリーを忠実になぞっただけで、映画の良さが発揮されずに終わってしまったと言ったほうが良いかもしれない。もっと歌舞伎から離れ、テーマを絞って映画にすべきだったのではないかと感じた。確かに、錦之助は熱演している。一所懸命に演じている姿は、いじらしいほどだった。芝居ではなく映画らしく演じようと錦之助が意識していたこともはっきり見てとれた。が、どう見ても話が不自然で、錦之助の熱演は報いられずに終わってしまったように思えてならなかった。歌舞伎では感動を呼ぶであろう「勘平切腹」の見せ場、いわゆる「手負いの述懐」の場面も、映画では前後の流れの中で浮いている印象を受けた。
 勘平とお軽の物語をお涙頂戴のメロドラマに仕立てようとした製作者の意図は分かる。が、それならば、映画に適さない歌舞伎の場面などは捨てた方がよった。もっと違った場面を見せ場にした方が感動したと思う。
 この映画、タイトルには「悲恋」とあるが、勘平とお軽の物語は、どう見ても悲恋ではない。惚れ合った男と女の激しい恋が成就しないで終わるのが悲恋だとすれば、この物語はそうではない。あえて言えば、夫婦愛の悲劇がテーマである。勘平とお軽は、追放の果てに、一時的に夫婦になる。しかし、勘平はいざという時には主君の恩に報いるため死ぬ覚悟をしている。だから、二人にとっては仮の夫婦生活で、いずれは別れなければならない運命にある。主君への報恩と夫婦愛との間のこうした葛藤をドラマにして描いたならば、この映画はもっと素晴らしいものになったと思う。(つづく)




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