錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『任俠清水港』(その13)

2016-07-04 14:43:10 | 森の石松・若き日の次郎長
 足立に代わって錦之助がやってみることになった。通しで立ち回りをやったあと、
「斬るほうはいいけど、斬られるときの合わせ方が難しいなァ。それに、斬られる瞬間、背筋がぞくぞくしちゃって……心臓にもよくないよ」
 と言う錦之助に、足立が笑いながら言った。
「臆病な石松やな。切っ先、三尺も離れてるんやから、怖がらないでうまく斬られといてや」

 最後の斬り合いの部分は、映画の時間にして約1分40秒。
 松田監督は、これを三分割し、アングルを変えて、長回しで撮ることにした。約30秒のセミロングないしミディアムショットである。初めと中間のこの長いカットには、石松と吉兵衛の1秒前後の短いバストショットを挿入して、死闘の臨場感を加え、リアリティを強調する。斬り合いが始まって1分余りで、そのカット数は12カット。
 松田定次は、1カット1カットを粘り強く丁寧に撮っていく映画監督であった。1秒前後の短いカットに30分以上かけることもざらであった。テストの回数も多く、納得しなければ本番を撮らない。錦之助もテストの多さはいとわなかったが、本番では一発オーケーになるよう全力を尽くした。
 
 カットごとにテスト、本番が繰り返され、ラスト30秒の長回しの撮影に取りかかったのは午前零時を過ぎていた。大詰めである。
 ここは、石松の死に際を静観するように、キャメラを正面に固定しセミロングのワンカットで撮ることになった。テスト二回で、本番が始まった。
 セットの中は、暗くて静かな殺害現場と化し、異様な緊迫感が高まっていた。松田監督、川崎キャメラマン、足立伶二郎、そしてスタッフ全員が現場に居合わせた目撃者であった。
 立ち木の前からザンバラ髪で顔の左側を血で染めた石松がふらふらと歩み出す。もう抵抗する力はない。一度、二度、三度と斬られるたびにうめき声を上げ、右によろけ、左によろける。それでもかろうじて立っている。右手に持った長ドスで足元をさぐるようにして、前へ進もうとした途端、石松は力尽き、ばったりと倒れる。
「カット! オーケー」と松田監督の声が鳴り響いた。
 錦之助は地面に痛いほど胸を打って、そのままうつ伏せになっていた。と、松田監督がまた言った。
「錦ちゃん、そのまんまでいてや。すぐに、アップを撮ります」
 閻魔堂前のシーンの最後のカット、地面に倒れ伏した石松が血と泥にまみれた顔を上げ、「お、親分……」と言うカットである。そしてこれが石松役の錦之助が『任侠清水港』に映る最後の姿なのだが、今わの際の見るも無残な錦之助の表情を特大のクローズアップで撮ったのだ。
「お、親分」という石松の最期の一言は脚本にも書いてあり、このラストカットは次のシーンにつながる重要なカットでもあった。清水の家で寝ていた次郎長がこの石松の顔を夢に見て、飛び起きることになるからである。
 わずか2秒ほどの短いカットであるが、一度見たら脳裏に焼き付いて離れない強烈な映像だった。

「石松は無念の最期やったが、錦ちゃんは、これでもう思い残すことはないやろ」
 と、松田定次が言った。
「殺されてほっとしたって言っちゃなんですけど、また生まれ変わってバリバリ仕事します。監督、ありがとうございました」

 この日の撮影がすべて終了し、最後まで残っていたスタッフが解散したのは午前2時であった。
 錦之助は日誌にこう記している。
――私にとっては生涯二度と来ない誕生日を、再びないような有意義な仕事で送ったことは、印象深く生涯の想い出になることと思う。朝三時頃帰宅して、待っていた賀津雄とともに祝いの食卓にささやかなる一刻を送って、来月仕事終了後、ゆっくり誕生を祝うことを約して床につく。(「錦」第三十号)



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