錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

初の現代劇『海の若人』(その5)

2015-06-07 17:39:40 | 海の若人
 『海の若人』を私が初めて見たのは、9年ほど前である。東映ビデオを買って何度か見ていた。その後2009年11月に池袋の新文芸坐で錦之助祭りを催した時にフィルムセンターから35ミリプリントを借りて上映したが、スクリーンで見たのはこれが最初だった。錦之助映画ファンの会でニュープリントした『ゆうれい船 後篇』と二本立てだったが、じっくり鑑賞することができた。『海の若人』は、ビデオで見たときもいい映画だと感じていたが、スクリーンで見て、私は大変感動した。映画が素直すぎるほど純粋でひたむきだったからだと思う。私の隣の席で見ていた元東映女優の円山榮子さんも感動して、「すごくいい映画だった」とおっしゃって、涙ぐんでいたのを覚えている。
 最近、私は『海の若人』をビデオで一週間に3回見て、このブログを書いているのだが、これまで製作裏話ばかり書いて、映画の内容には触れなかった。今回は、ぜひこの映画の見どころについて書いておきたいと思う。


日本丸

 ファーストシーンとラストシーンは海に浮かぶ帆船「日本丸(にっぽんまる)」である。2,278トン、全長97メートル、最高マストの高さが46メートル。この大型帆船は、現在横浜のみなとみらいに保存展示されているが、昭和5年に建造・進水して以来、半世紀あまりの間、活躍したそうだ。『海の若人』は、駿河湾を航行する日本丸を撮影した映画として貴重なものである。航海記録によると、日本丸は、昭和30年この映画を撮った後、5月にアメリカへ向け遠洋航海に出発している。
 
 映画のあらすじは書かないが、この映画、主役の山里英一郎に扮した錦之助がほぼ出ずっぱりで、錦之助を中心にドラマが展開していく。錦之助が登場しないのは、5、6シーンほどで(山茶花究がやっている飲み屋のシーン、ひばり一人のシーン、ひばりと他の共演者のシーンなど)、数えてはいないが、数十シーンに錦之助が登場している。上映時間94分中、一時間以上は錦之助が画面に映っていたと思う。
 錦之助と二人だけでセリフのやりとりをする主な共演者は、女優から言うと、美空ひばり(女子高生)、田代百合子(芸者)、英百合子(錦之助の母親)で、中原ひとみ(飲み屋の娘)は錦之助とのからみがない。
 男優は、南原伸二(ルームメイトで親友)、福島正剛(親友)、船山汎(ライバルの学友)、宇佐美諄(教官)、高木二朗(先輩)である。商船学校の生徒たちとの場面は、実を言うと、あまり面白くない。男優では、福島正剛がちょっととぼけたキャラクターで良かったが、あとは人物描写が良くないのか、俳優がうまくないなのか(両方だろう)、惹きつけるところがなかった。重要な役なのに一番良くなかったのは南原伸二である。顔はいかついし、背も高く(錦之助より15センチほど高い)、タバコばかりすっていて、人を殴るし、よほど不良学生の役をやった方が良いと思った。前に出過ぎで、演技も固く、錦之助の引き立て役としては不適任だった。
 商船学校の寮の場面で特筆すべきは、集会で自治委員長に選ばれた錦之助が就任挨拶をするところだった。ワンカットの長回しで撮っているので、錦之助は長ゼリフを言うが、これがなかなかうまいのだ。錦之助の話によると、セリフを初めて巻き紙に書いて覚えたそうで、その後、錦之助はこの覚え方を習慣化していく。風呂場の壁に貼っても字が滲まないように、マジックインキで書くようにしたという。
 主題歌は木下忠司の作曲(クレジットにないので分からないが作詞も彼なのかもしれない)で、『喜びも悲しみも幾歳月』の曲調を応援歌風に明るくした名曲であるが、錦之助はこの歌を映画の中で4度も唄う。最初が寮の部屋、二度目が英(はなぶさ)百合子の前、三度目が嵐の船の中、最後がファイアーを囲んで寮生全員と、である。どうせならひばりの前でも唄えば良かったのにと思うが、それはともかく、錦之助はこの歌が好きだったようだ。朴訥な歌いぶりで実に良い。とくに、縁側の椅子に座っている英百合子のそばに、着物に着替えた錦之助が来て、唄う場面はじーんと胸が熱くなる。私は何度も聴いて、自分でも時々口ずさむほどなので、一番だけだが歌詞を覚えている。

おも舵、取り舵、とも綱、解いて、
錨を上げたら、出発だ
若い僕らの憧れ乗せた
船は海原越えていく

 錦之助とベテラン女優との共演は数多く、演技を越えて心が通い合う名演を何度も見せてくれたが、『海の若人』での英百合子との共演も素晴らしいものだった。英百合子(1900~1970)と言えば、映画史上記念碑的な無声映画の大作『路上の霊魂』(1921年 小山内薫指導、村田実監督)で令嬢役を演じて以来、創成期の松竹、東宝などで数々の映画に出演してきた大ベテランである。
 錦之助は英百合子を母親だと思って演じているうちに、いつのまにか息子に成りきってしまっていたのだと思う。受けの芝居をしている彼女の方も、錦之助をまるで本当の一人息子のように感じて、愛情を注いで演じていた。演じていたというより、錦之助を見て彼女が浮かべる表情、錦之助にかける言葉は、愛情に満ちた母親そのものになっていたとしか思えないほどだった。
 錦之助は女優、とくにベテラン女優との愛情交感のインタープレイ(相互交流の芝居)が抜群にうまいのだが、『海の若人』に出演した22歳の頃にはすでにそのノウハウを身につけていたことが分かる。初期の頃は、恋人役の若い女優に対しては、気恥ずかしさが抜けきらず、さらっと流して演じていたが(この映画でのひばりとの芝居がそうだ)、ベテラン女優に対した時は、心がほとばしるような意欲的な芝居をした。その最も早い時期での代表例が『海の若人』だったと思う(『紅孔雀』第一篇でも乳母役の松浦築枝との共演にその片鱗が窺われた)。『海の若人』は初挑戦の現代劇なので、余計難しかったのではないかと思うのだが、英百合子を相手に錦之助は、若いに似合わず、打てば響くとばかりに心をぶつける演技をしていた。狭心症で倒れ、床についている母親を見舞う場面、前述した母親のそばで歌を唄う場面がそうである。
 体当りの演技という言葉は、デビューから昭和30年代初めまでの錦之助の特徴としてよく使われたが、「心をぶつける演技」と言った方が適切なのではないかと私は思っている。錦之助は、相手との関係と自分の演じる人物の置かれた立場を十分理解したうえで、まず心から真意の伝わる演技をする。攻める演技とでも言おうか、相手役をインスパイアするのだ。これが相手の女優の心を開かせ、愛情が交互に伝わり合い、相乗効果を生むのである。
 『海の若人』では母親の英百合子が亡くなって、書き残した手紙を読んだあと、錦之助が大泣きに泣く場面があるが、ここは錦之助の一人芝居であるが、この場面も良い。それまでの母親との心の通い合いがしっかりと描かれていたからである。



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