錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『竜馬がゆく』(その三)

2006-06-22 23:39:44 | 幕末・竜馬がゆく

 前回は『幕末』を少々けなし過ぎたようである。私はこの映画のビデオを実は三日間に三度観た。毎日一度ずつ観ていたわけだ。それでも飽きないで、十分鑑賞に耐え得るのだから、中身の濃い良い映画なのだろう、とも思っている。詰まらない映画なら、一度観てそれっきり(途中でビデオを巻き戻す最悪の映画すら多い、ただし錦之助の映画ではない)、ちょっと面白い映画でも、時を隔てず二度目観ると、ダレるものである。『幕末』は、二度、三度観ても、見方が投げやりになることもなく、緊張感を持続して観ることができた。なまじっか原作の『竜馬がゆく』を読んでいて、原作に思い入れがあるから、映画に失望したのだろう。原作と比較せず、先入観なしで映画そのものを鑑賞する態度も重要であると思う。
 
 『幕末』は、出演者が、(一名だけ除き)みな芸達者で、最高に近い演技をしている。錦之助の演技、セリフ回し、立ち回り、すべて申し分ない。この映画に出演した時、彼は37歳であったが、演技力はピークに達したまま、それを維持している。表情にやや暗い翳りが見えるのは、思いすごしかもしれないが、若い頃の元気と明るさがなくなっているのは残念に思う。また、貫禄がありすぎて、共演する男優陣を圧倒してしまうので、ほかの幕末の人物が小さく見えてしまう。錦之助に対抗できるのは、中岡慎太郎の仲代達也くらいなものだが、私はどうも仲代が好みでないため、演技はうまいと思うものの、どうしても魅力を感じない。この頃錦之助は仲代との共演を望んでいたようだが、二人の共演は、『幕末』より『地獄変』の方が火花を散らすようで良かったと思う。勝海舟の神山繁、西郷隆盛の小林桂樹も持ち味を発揮していて、好演だった。後藤象二郎の三船敏郎は、終わりの方にちょっと出て来るだけだが、いつものワンパターンで、面白味のない演技である。桂小五郎の御木本伸介も武市半平太の仲谷昇も良い。
 この映画は、女優陣が手薄で(江利チエミが端役だった)、目立った登場人物がおりょうしかいなかったが、紅一点の吉永小百合は素晴らしかった。この時、小百合は24歳だったが、けなげで一途なおりょうを見事に演じていた。竜馬が療養のため薩摩へ行くことになって、おまえも連れて行くから急いで支度しろと言われた時の、小百合の嬉しさを表した演技は出色だった。錦之助とのツーショット(高千穂の山頂の場面)もお似合いだった。小百合は新婚旅行から帰って来ると、眉を剃り、お歯黒になる。それでも美しいと感じるのは、私の欲目なのだろうか。
 『幕末』では、寺田屋のお登勢も出てこないし、おりょうとの馴れ初めも省かれている。家老の妹のお田鶴さまも千葉道場のさな子など、竜馬に思いを寄せる娘たちが登場しないのが私としては大いに不満だった。また、竜馬の姉の乙女も映画では出番が少なかった。(今回は原作と比較しないという約束だった!)
 そう、忘れてはいけない。まんじゅう屋長次郎を演じた中村賀津雄が相変わらずの大熱演で、すごく印象に残った。賀津雄はテレビドラマの方では、中岡慎太郎をやっているが、これも良かった。派手さはないが、さりげないように見えて、細かい芸が行き届いた素晴らしい演技だと感服した。(これは後年の賀津雄を観て、いつも感じる。)
 ところで、「(一名を除いて)みな芸達者」と書いたが、その一名を明らかにしておこう。それは、なぜこの映画に出たのか訳が分からないが、岡っ引きのちょい役で出た作家の野坂昭如だった。野坂昭如が大のサユリストであることは有名だが、小百合のおりょうが薩摩屋敷に駆け込もうとするところを捕まえて抱きかかえようとするのだが、竜馬の短銃に撃たれ、あえなく殺されてしまう。倒れた場所が水溜りで、みじめな死に際だったが、野坂のことだから、きっと喜んで出演したのだろう。そういえば、三島由紀夫も映画『人斬り』で(1969年公開。勝新太郎が岡田以蔵、石原裕次郎が竜馬を演じた五社英雄監督作品)、田中新兵衛役で出演したばかりだったので、きっと野坂もそれに対抗したのだろう。(つづく)




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