ニュープリントについて書こう。
よく分かっていない方が多いからだ。
まず、ニュープリントというのは、ある映画作品の上映用プリント(映画館の映写機にかける35ミリ・ポジフィルムで、数巻から成る)をネガフィルム(通称ネガ)から新たに焼き直したものである。
映画会社は、倉庫に三種類のフィルムを保管している。(1)マスターポジ(原版)、(2)ネガ、(3)上映用プリント、である。
(1)マスターポジは、映写機にかけられない保存用のポジフィルムで、以前は(2)ネガを保存用の原版にしていたが、古い映画のネガは可燃性で劣化が激しいので、三十年前頃から(2)を廃棄し、(1)を保存用に代えている。
(3)上映用プリントについて言えば、映画作品によって、映画会社に上映用プリントが1本もない作品がある。また、あっても使い古して痛んでいる上映用プリントしかない作品がある。所々切れたり、雨が降っていたり、カラーが褪色しているプリントである。こういうプリントは、映画会社の判断で、時機を見てジャンク(廃品)してしまう。その時、映画会社がこれをニュープリントに差し替えてくれれば良いのだが、実際は差し替えないことがほとんどである。
昭和20年代から昭和40年代までの映画作品に関して言えば、映画会社に(1)(2)(3)の三種類のフィルムがすべて揃っている作品は、問題ない。とくに(3)の上映用プリントが痛んでいなければニュープリントを焼く必要もない。問題は、上映用プリントがない作品である。こういう作品は、映画館のスクリーンでは観られないわけである。
自宅でビデオやDVDを観て楽しんでいる人や、テレビの映画専門チャンネルなどで放映している作品を観て満足している人は、それで結構である。ここで問題にしているのは、あくまでも映画館のスクリーンで映画を観たいと思っている人にとっての話である。
錦之助の映画について具体的に述べよう。3年ほど前までは、上映用プリントがなく、映画館で観られない作品が大変多かった。錦之助ファンには不幸な状況だった。例えば、『ゆうれい船』は、錦之助映画ファンの会がニュープリントを制作する以前には、映画館のスクリーンでは決して観られない作品だった。この作品は、ビデオ化はされていたが、上映用プリント(35ミリ)がなく、16ミリフィルムもなかった。
錦之助の映画の中には、東映には上映用プリントはないが、京橋のフィルムセンターには上映用プリントがある作品もあった。例えば、オールスター映画の『水戸黄門』(1957年版)がそうで、昨年の錦之助映画祭りでは、特別にフィルムセンターから借りて上映したが、今度月形家がニュープリントを作ったので、どの映画館でも上映することができるようになった。『水戸黄門』は、東映にネガが残っていて、ニュープリントを焼ける状態にあった。これは幸いだった。
錦之助が出演した昭和29年から33年までの作品の中には、(A)マスターポジはあってもネガがない作品、(B)マスターポジもネガもない(と言われてる)作品があって、これらの作品が不幸なのである。
(A)の作品は、ニュープリントを制作する費用が、120万~150万円になる。マスターポジから新たにネガを作るのに100万円以上かかってしまうからだ。私の知るところでは、(A)の作品には、『紅顔無双流 剣は知っていた』『江戸の名物男 一心太助』『風と女と旅鴉』『恋風道中』『紅顔の若武者 織田信長』『あばれ纏千両肌』などがある。
(B)の作品は、永久にスクリーンでは観られないもので(ビデオ化もされず、東映チャンネルで放映したことのない作品は、絶対に観られない)、ニュープリント制作も不可能である。『唄しぐれ おしどり若衆』『唄こよみ いろは若衆』『八百屋お七 ふり袖月夜』『満月狸ばやし』の4本がそれである。(東映の倉庫にネガかポジが埋もれていていつか発見されることを祈っている。)
ところで、前回のブログで書いたが、この2年で、錦之助の映画のニュープリントが24本出来た。そのうち16本は長年スクリーンで観られなかった作品である。これらはすべて、ネガがあったからニュープリントを作れた作品だった。
今回錦之助映画ファンの会が東映に依頼して焼いてもらったニュープリントは、『殿さま弥次喜多 怪談道中』(1958年、85分)と『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』(1959年、183分)の2本である。制作料は、90分のカラー作品で1本約20万円。したがって『怪談道中』は約20万円、『忠臣蔵』は3時間の長尺で2本分あるから、約40万円。消費税を加えると、総額63万円になる。
この費用を錦之助映画ファンの会が寄付金を集めて東映に支払うのであるが、東映は上映用プリントのない古い映画のニュープリントをめったに自社の経費で焼いてくれない。だから、ファンの会が金を出して、焼いてもらい、出来たニュープリントは東映に寄贈している次第なのだ。これまでファンの会で6本のニュープリントを東映に作ってもらったが、120万円近くを東映に支払っている。今回の63万円を合せると、ニュープリント代の合計180万円を東映に寄付したことと同じわけである。
こうした事情を書くと、バカなことをやっているとお思いになる方がいるかもしれない。そう思われる方は、東映の台所事情も、現在の東映という会社の過去の遺産に対する考え方も、知らない人だと言わざるを得ない。
ニュープリントを焼いて、映画館に2回貸し出せば、元が取れるのに、東映はそうしたビジネスを決してやらないのだ。昭和30年代の東映時代劇全盛期の映画に対する認識も欠けているし、古い映画はニュープリントを作っても上映機会がないので採算が取れないと考えているようだ。ニュープリント制作に関して東映ほど消極的な会社はない。あれだけたくさんの時代劇映画を作ったのに、現在映画館で上映できない作品が山ほどあるのはこうした訳である。
大映作品のフィルムと著作権を買い取った角川映画は、昨年暮から始まった「大雷蔵祭」で市川雷蔵の映画を四十数本も自社費用で制作し、上映しているが、私は雷蔵ファンをうらやましく思う。角川映画は、明らかに雷蔵出演作は商売になると踏んで、会社が率先して上映活動を推進している。また、昭和30年代の映画は、東映より松竹や東宝の方が上映用プリントを所有していると思う。東映時代劇映画ファンとしては残念な限りである。
ついでに書いておくが、錦之助映画ファンの会が金を出して作ったニュープリントをなぜファンの会が所有できないのか?なぜ東映に寄贈してしまうのか?ということである。この疑問にお答えしておく。まず、映画作品というのは映画会社が著作権を持っていて、許可なく作品の複製はできないし、複製したものを上映することはできないという法律がある。フィルムセンターや京都文化博物館など公の機関が所蔵している上映用プリントは、原則として館内のみの上映という契約で、しかも上映権つきなので1本につきはるかに高額の費用を税金を使って支払い、映画会社が作ったものなのだ。フィルムセンターが他の映画館に特別に貸し出す場合には、フィルムセンターの審査と同時に、著作権主である映画会社の許諾が必要になる。昨年の錦之助映画祭りではフィルムセンター所蔵の上映プリントを何本か借りて上映したが、所定の手続きを取り、東映の許諾をもらって上映したわけである。
錦之助映画ファンの会が東映本社に依頼しているニュープリントは、実際には東映系列の東映ラボ・テックという会社で制作しているのだが、東映本社から東映ラボ・テックにニュープリント代の見積りを取ってもらい、その金額を払うことにしている。つまり、東映本社が制作するのと同じ額を払っているわけで、ニュープリントを寄贈する条件でなければ、東映は決してニュープリントを作ってくれないことは言うまでもない。
レンタル業者や個人が所有する上映用16ミリフィルムについては、著作権の考え方や上映方法に難しい問題があるので、回を改めて書きたいと思う。
よく分かっていない方が多いからだ。
まず、ニュープリントというのは、ある映画作品の上映用プリント(映画館の映写機にかける35ミリ・ポジフィルムで、数巻から成る)をネガフィルム(通称ネガ)から新たに焼き直したものである。
映画会社は、倉庫に三種類のフィルムを保管している。(1)マスターポジ(原版)、(2)ネガ、(3)上映用プリント、である。
(1)マスターポジは、映写機にかけられない保存用のポジフィルムで、以前は(2)ネガを保存用の原版にしていたが、古い映画のネガは可燃性で劣化が激しいので、三十年前頃から(2)を廃棄し、(1)を保存用に代えている。
(3)上映用プリントについて言えば、映画作品によって、映画会社に上映用プリントが1本もない作品がある。また、あっても使い古して痛んでいる上映用プリントしかない作品がある。所々切れたり、雨が降っていたり、カラーが褪色しているプリントである。こういうプリントは、映画会社の判断で、時機を見てジャンク(廃品)してしまう。その時、映画会社がこれをニュープリントに差し替えてくれれば良いのだが、実際は差し替えないことがほとんどである。
昭和20年代から昭和40年代までの映画作品に関して言えば、映画会社に(1)(2)(3)の三種類のフィルムがすべて揃っている作品は、問題ない。とくに(3)の上映用プリントが痛んでいなければニュープリントを焼く必要もない。問題は、上映用プリントがない作品である。こういう作品は、映画館のスクリーンでは観られないわけである。
自宅でビデオやDVDを観て楽しんでいる人や、テレビの映画専門チャンネルなどで放映している作品を観て満足している人は、それで結構である。ここで問題にしているのは、あくまでも映画館のスクリーンで映画を観たいと思っている人にとっての話である。
錦之助の映画について具体的に述べよう。3年ほど前までは、上映用プリントがなく、映画館で観られない作品が大変多かった。錦之助ファンには不幸な状況だった。例えば、『ゆうれい船』は、錦之助映画ファンの会がニュープリントを制作する以前には、映画館のスクリーンでは決して観られない作品だった。この作品は、ビデオ化はされていたが、上映用プリント(35ミリ)がなく、16ミリフィルムもなかった。
錦之助の映画の中には、東映には上映用プリントはないが、京橋のフィルムセンターには上映用プリントがある作品もあった。例えば、オールスター映画の『水戸黄門』(1957年版)がそうで、昨年の錦之助映画祭りでは、特別にフィルムセンターから借りて上映したが、今度月形家がニュープリントを作ったので、どの映画館でも上映することができるようになった。『水戸黄門』は、東映にネガが残っていて、ニュープリントを焼ける状態にあった。これは幸いだった。
錦之助が出演した昭和29年から33年までの作品の中には、(A)マスターポジはあってもネガがない作品、(B)マスターポジもネガもない(と言われてる)作品があって、これらの作品が不幸なのである。
(A)の作品は、ニュープリントを制作する費用が、120万~150万円になる。マスターポジから新たにネガを作るのに100万円以上かかってしまうからだ。私の知るところでは、(A)の作品には、『紅顔無双流 剣は知っていた』『江戸の名物男 一心太助』『風と女と旅鴉』『恋風道中』『紅顔の若武者 織田信長』『あばれ纏千両肌』などがある。
(B)の作品は、永久にスクリーンでは観られないもので(ビデオ化もされず、東映チャンネルで放映したことのない作品は、絶対に観られない)、ニュープリント制作も不可能である。『唄しぐれ おしどり若衆』『唄こよみ いろは若衆』『八百屋お七 ふり袖月夜』『満月狸ばやし』の4本がそれである。(東映の倉庫にネガかポジが埋もれていていつか発見されることを祈っている。)
ところで、前回のブログで書いたが、この2年で、錦之助の映画のニュープリントが24本出来た。そのうち16本は長年スクリーンで観られなかった作品である。これらはすべて、ネガがあったからニュープリントを作れた作品だった。
今回錦之助映画ファンの会が東映に依頼して焼いてもらったニュープリントは、『殿さま弥次喜多 怪談道中』(1958年、85分)と『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』(1959年、183分)の2本である。制作料は、90分のカラー作品で1本約20万円。したがって『怪談道中』は約20万円、『忠臣蔵』は3時間の長尺で2本分あるから、約40万円。消費税を加えると、総額63万円になる。
この費用を錦之助映画ファンの会が寄付金を集めて東映に支払うのであるが、東映は上映用プリントのない古い映画のニュープリントをめったに自社の経費で焼いてくれない。だから、ファンの会が金を出して、焼いてもらい、出来たニュープリントは東映に寄贈している次第なのだ。これまでファンの会で6本のニュープリントを東映に作ってもらったが、120万円近くを東映に支払っている。今回の63万円を合せると、ニュープリント代の合計180万円を東映に寄付したことと同じわけである。
こうした事情を書くと、バカなことをやっているとお思いになる方がいるかもしれない。そう思われる方は、東映の台所事情も、現在の東映という会社の過去の遺産に対する考え方も、知らない人だと言わざるを得ない。
ニュープリントを焼いて、映画館に2回貸し出せば、元が取れるのに、東映はそうしたビジネスを決してやらないのだ。昭和30年代の東映時代劇全盛期の映画に対する認識も欠けているし、古い映画はニュープリントを作っても上映機会がないので採算が取れないと考えているようだ。ニュープリント制作に関して東映ほど消極的な会社はない。あれだけたくさんの時代劇映画を作ったのに、現在映画館で上映できない作品が山ほどあるのはこうした訳である。
大映作品のフィルムと著作権を買い取った角川映画は、昨年暮から始まった「大雷蔵祭」で市川雷蔵の映画を四十数本も自社費用で制作し、上映しているが、私は雷蔵ファンをうらやましく思う。角川映画は、明らかに雷蔵出演作は商売になると踏んで、会社が率先して上映活動を推進している。また、昭和30年代の映画は、東映より松竹や東宝の方が上映用プリントを所有していると思う。東映時代劇映画ファンとしては残念な限りである。
ついでに書いておくが、錦之助映画ファンの会が金を出して作ったニュープリントをなぜファンの会が所有できないのか?なぜ東映に寄贈してしまうのか?ということである。この疑問にお答えしておく。まず、映画作品というのは映画会社が著作権を持っていて、許可なく作品の複製はできないし、複製したものを上映することはできないという法律がある。フィルムセンターや京都文化博物館など公の機関が所蔵している上映用プリントは、原則として館内のみの上映という契約で、しかも上映権つきなので1本につきはるかに高額の費用を税金を使って支払い、映画会社が作ったものなのだ。フィルムセンターが他の映画館に特別に貸し出す場合には、フィルムセンターの審査と同時に、著作権主である映画会社の許諾が必要になる。昨年の錦之助映画祭りではフィルムセンター所蔵の上映プリントを何本か借りて上映したが、所定の手続きを取り、東映の許諾をもらって上映したわけである。
錦之助映画ファンの会が東映本社に依頼しているニュープリントは、実際には東映系列の東映ラボ・テックという会社で制作しているのだが、東映本社から東映ラボ・テックにニュープリント代の見積りを取ってもらい、その金額を払うことにしている。つまり、東映本社が制作するのと同じ額を払っているわけで、ニュープリントを寄贈する条件でなければ、東映は決してニュープリントを作ってくれないことは言うまでもない。
レンタル業者や個人が所有する上映用16ミリフィルムについては、著作権の考え方や上映方法に難しい問題があるので、回を改めて書きたいと思う。
雷蔵さんが商売になるのは、もちろん、本人のスター性や作品の質が大きいと思いますが、本人が夭折の結果、繰り返し回顧上映やマスコミで特集が組まれた結果だと思います。
また、洋画の古い作品が知られている理由は、テレビで繰り返し放映された結果だと思います。邦画はテレビで無視されています。テレビの映画放映を「洋画劇場」と銘打っている事が、その証拠でしょう。
角川映画が推進している「大雷蔵祭」も、催し自体は大規模ですが、雷蔵の映画をほんとうに愛している人たちが担当していないので、HPも宣伝チラシもいい加減になるし、ファンの気持を考えないのでしょう。
でも、昨年、T・ジョイ系のシネコンで行った「東映時代劇まつり」は、もっとずっとひどかったと思います。
9割の、ファンクラブがあり、毎年、会員より
寄付を募って、ニュープリントを焼き増して
7月に上映する、という企画を毎年続けていて
恐らく、十数年になるでしょう。会員それも
熱狂的の、金持ち、の会員が多く、映画祭なども積極的に参加して、前売券の購入、つまりは
保存用と観賞用に、2枚買う、なんていう話
です。つまりは、残念ながら、錦之助よりは
長い間上映しているという信用があるわけです。
次に、地上波テレビの放映については、放送
料金が、バカ高く、セットで数千万円、その割りにはゴールデンタイムに視聴率があがらない、ということで、自局で放送権のあるものばかりが放送される理由です。
スポンサーも邦画の旧作は敬遠しているらしい。
セルレンタルDVDやCSBS衛星放送の
普及、つまりは、テレビ放映を見る、というのは、すべて有料になった、ということです。
放送
雷蔵ファンがお金持ちかどうかは知りませんが、何しろ熱心で研究心旺盛な方が多く、その点、錦之助ファンは負けていますね。
私はテレビ放映にはあまり関心がありません。東映時代劇の場合、ビデオからDVDへの移行が滞っているので、東映ビデオに働きかけていますが、作っても売れないので、思うように捗りません。いろいろな問題があり、現在は制作販売も消極的になっています。昨年は錦之助出演作のDVDを10本作ってもらいましたが、あまり売れないようなので、足踏み状態です。
というのは、当時、20歳としても、現在70歳。
これらの人が、DVDの再生機を所持していて
盛んに見ているハズ、がない。つまりは、
セルレンタルにしても、映画のソフト化を
現在したところで、売れるハズがない。
それでなくとも、DVDの売上の落ち込みが
激しく、どうしようもない状態。だから
DVDにブルーレイをつけて売るなど
信じられない方法を考えざるを終えない。
当然、現在の若者に、フルモノの映画を
見せようなどは、狂気のサタ。
恐らく、映画のソフト化は、遅遅として
進まないだろう。しばらくは、CSBS
の衛星放送の放映だけが、たより、ということになりそうである。
自分は約40年前より「国内外各社の主に少年ドラマ、ホームドラマ等のの素材関連=フィルム/ビデオ/音楽テープ等の保存状況」をリサーチして来ました。この過程の中で当時「東映の重役、旧ユピテルディレクター、旧日本電映の後継会社社長、Pプロ社長、トランスグローバル社、宝塚映画映像の重役」等とかなり深い部分にまで踏み込み素材の保管の有無等を調べ上げました。この中にはテレビ局や関連下請け会社も含まれます。当時はネットどころかパソコン通信も無く、ワープロ単体機すら高くて買えず全て手書きの書面を数千枚書きましたし、かけた電話は数え切れず。回答返送は3割も無かった、、、そんな中解かって来た事は「TV用途フィルム(16ミリ)や音楽テープ等の保存が一番良かったのは東宝グループ」と解かりました。只一番お世話になったのはやはり東映で、当時初めて電話した際にたまたま出て頂いた次長様=やはり出世頭で退職時はトップクラス に気に入って頂き最後までお世話になりました。此処で自分は「東映に眠っていた時代劇から現代劇までのヒーロー物のビデオ化 更に実写のアトムや鉄人28号」等のビデオ化に大きく貢献できました。貢献度は東映が最大でしたが、一番のインパクトは、何と言っても「怪獣マリンコングのビデオ化=トランスグローバル」への貢献でしたね。こうして解かって来た事は「残念ながら東映作品の保存状態はあまり良く無い」と。当時の現場関係者の話ですと、TV作品等は「最初の1話のみ残し後は処分される」と。此処で昭和30年代から40年代初期の作品の再放送=DVD化、CS放送等での1話のみの放送の意味が解かります。此処で、このサイト様から勉強させて頂いた「マスターポジ、元ネガ、上映用途プリント」等の意味と価値が大いに役立ちます。現在「フィルムが処分された」と言うのは一体何が処分されたのか? までが解からない、、、つまり「オリジナルの元ネガなのか? プリントなのか? 」更にはこうしたフィルムには「固定資産税が掛かり課税対象」とも解かりました。またもしもオリジナルマスターやプリントが残っていても「湿気や熱でふやけて変形したり、物理的な事情で映写機にもかからないフィルム」が在る事も判明しました。こうした極めて残念な状況の中、サイトヘッド様の様に「映画館の大スクリーンで観たい」と言う欲求の前に「そもそもDVDやCS放送すらおぼつかない作品」が多いのが東映作品であり、極めて残念です。確かに「旧日本電映、Pプロ、宝塚映画映像」等の作品も実は大同小異なのですが、何せ東映はヒーローも多く作品も物凄く多い。また時代劇少年物、ホームドラマ等でもこれは同じで残念な事が多い。だからこそ自分は1970年から開始した個人的な音声保存=1977年からβビデオ使った映像保存を開始して現在映像音声共に数万の収集がありますが、こうした個人的なアーカイブスやライブラリーがもっともっと認知され、何時かはこうしたマニア達が手を結び合い強力しあって、いかにも貧しい日本の映像音楽保存活動に少しでもお役に立てれば嬉しいと。今後もこのサイト様には勉強させて頂き、映画とは立場は異なるが「基本は同じ」との認識で、よろしくご指導をお願いいたします。まずは新参者からのご挨拶のみ。敬具
またニュープリントを2本焼き増しされたと聞き、日本のファン、マニアの方々の底力を思い知らされました。
この税別130万円と言う数字を何人で頭割りしたのか不明ですがまだこういうパワーが残っている処が素晴らしいですね。 何故か今回独立系のイマジカ(旧東洋現)に依頼されたのか? 東映系が高かったのか? 興味ありますね。
只おそらくは、皆様方や自分らの世代が朽ち果てた時、今日の様な事は夢だったとされるでしょう。もう40年位前、ビデオ映像を本格的に収集しだした頃必ず言われたのが「ビデオは映画のあくまで補足、お遊び」と。「銭金の無い者の抵抗」と。当時はまだ8ミリや16ミリ映写機などが市販され、クラシック音楽映画(カラヤンなどのコンサート映像)等もフィルムとビデオが並売されていました。当時の民生用Uマティック/B/VHS等は画質音質共に大変残念でしたが、やはりSVやEDB/DV&Hifi&PCMになり、HDに成り始めた頃にはフイルムや映写機などは綺麗に消えており、貧乏お遊びと見下した者達も消えていました。この「フイルムとビデオは全く違うメディア」であり、同じ土俵ではそもそも取り扱えないのですが、この相違と価値観が解からない者達が多い。錦之助さんも後年から晩年に多数のテレビドラマ=俗称VTR作品に出演され、そういった作品の保管はしてあるのですが、やはりこの方は銀幕の大スクリーンの方だったと思います。サイトヘッド様は「映画館の大スクリーンで昔の名作を観る時代は終わった」と言われますが、期待されるのは「東映のTjyo等のデジタル配信によるスクリーン上映」や「4K&8Kによる大スクリーン上映」ですが、充分に期待できます。TOGENエンジニアの話ですと「フィルムのボリュームは4Kで何とか絞りだせる」と。今後100インチやそれ以上の巨大ディスプレイが必ず一般家庭に格安で入る、、、確かにサイトヘッド様の言われる「映画館鑑賞とは、時間とお金と労力を使い、二度と同じ顔が揃わない他人同士が同席し、上映中は便所にも行けず屁もこけない、同じ時間と感動を共有する映画館鑑賞」はなくなるかも知れませんね。しかし何か別の全く違う形での鑑賞ってのは必ず残ります。その新しい形に期待したいと心より思います。このサイト様には感謝しまた勉強させて下さい。 敬具
今回「どうしてもサイトヘッド様にご教示」頂きたい事は、上記にも書かれておりますが「個人が所有しているフィルムの取り扱い 権利」についてです。 これは過去。自分がTV用16mフィルムの行方や権利配給元の調査を、それこそ地べた這いつくばる様に=あちこちで馬鹿だアホだとののしられながらもひたすら地道な調査を行って参りました際解った事なのですが、、、、、実はかなりの数のフィルムが「個人の手に渡っている」と言う事実でした。例の「新東宝倒産の際、その所有フィルムは在京TV局各社がほぼ均等に買い取り云々、、更に旧大蔵映画の版権の大半は国際放映が持つ」と判明しました。と此処で「自分の地元で古くから出張フィルム上映会等を主宰していた某氏」より聞いた話では「新東宝倒産時、幾人もの個人が現金ざげてフィルムを買いに行った もちろん自分も買い取った」と。更に調べますと過去、特に昭和30年代は「映画会社各社の乱立と衰退倒産吸収合併、更に借金のカタにフィルムを押さえる」なんてぇ事も頻繁に在った様子。現実に「昭和の終わりにさえ、某超有名ヒーローを持つ某プロ倒産に伴い、フィルムが某役所に寄贈されていた?」事実もあります(その後権利の問題その他もろもろで動きが取れずに返却された?) つまり現在では「例えフィルムが手元に在っても諸々の権利云々により何も出来ない」と解釈しております。が、この解釈は正しいのでしょうか? 現実に昨今「國光映画の空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」なんてぇとんでもねぇ作品のフィルムがネットオークションされ、数百万円で落札されています。おそらくは想像ですが、過去何かの理由でこのフィルムが個人の手に渡り歩き、持て余したのか現金が必要なのか世に出たと。例えばこうした「解散消滅してしまった映画会社のフィルムってぇ何処に権利が在り買った者は何処まで自己権利が及ぶのか?」 全く解らないのです。おそらくはサイトヘッド様の言われる「上映用プリント」だと推測されます。まさか古い可燃性フィルムとは思われませんが、、、、、中にはどうも「勝手にフィルムを持ち出して、勝手にテレシネまでしていたらしい?」話もありますし。今後、過去にこうしたお金も自由に使えてパワーの在った方々が物故してゆく過程で、こうしたフィルムがどういう動きをしていくのか物凄く気になります。中には「某ヒーロー作品等は、フィルム状態ですと固定資産税課税が重く、フィルムを処分して最新メディアで残した?」例もあります。
此処はどうしてももっと専門的な知識が必要です。
どうかサイトヘッド様には、お暇見られご教示お願いいたします。 敬具