錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

ラピュタ阿佐ヶ谷の桜町弘子トークショー(その2)

2012-07-01 18:51:17 | 監督、スタッフ、共演者
 桜町弘子さんは伊豆半島の南端下田の生まれ。ご両親は旅館をやっていた。県立の女子高の三年生の時に、写真コンテストに入賞、続いて「ミス丹後ちりめん」の東海地区代表に選ばれ、全国大会で準優勝した。下田では評判のお嬢さんだったようだ。
 ちょうどその頃、東映作品『剣豪二刀流』(原作「それからの武蔵」、武蔵=片岡千恵蔵、小次郎=東千代之介)のロケハンで松田定次監督一行が巌流島を探しに下田を訪れた。そして、たまたま桜町さんの評判を聞いて、会ってみようということになり、実家の旅館にやって来た。
 桜町さん、「旅館の囲炉裏端に坐って、わたしをジロジロ見て。みなさん、なんだか人相が悪くて、ギャングみたいだった」と。結局、巌流島のロケ地に下田は使わなかったが、桜町さんはスカウトされ、東映の第三期ニューフェイスに選ばれる。同期は大川恵子さん、里見浩太郎さん。
 初めの芸名は、松原千浪だったが、勝浦千浪さんという似たような名前の女優さんが居たので、デビュー後3作目で、桜町弘子に改名した。
「知らないうちに勝手に名前変えられちゃったの」とのこと。
 デビューしたての頃、共演の大川橋蔵さんが、付き人を通じて、桜町さんに「口の周りに産毛が生えてるけど、剃ってくれないか」と言ってきたそうだ。それから「鼻毛も出てるよ」と。「田舎出の娘だったので、お化粧なんかしたことなかったのね」と、桜町さん、楽しそうに話してくれた。
 錦ちゃんとの共演では、『おしどり駕篭』(1957年 マキノ雅弘監督)で、妹のお姫様役の桜町さんが、扇子を開いて投げるシーンがあるのだが、それがうまく出来なかった。あとで錦ちゃんにずいぶんからかわれたそうだ。
 『隠密七生記』(1958年 松田定次監督)では、錦ちゃんに抱かれて死ぬシーンでNGの連続。「わたし、緊張しちゃって、何度やっても出来なくて。そばで山形勲さんと原健策さんがずっと出られないまま待ってるの。もう悪くってね。錦ちゃんもわたしを抱いたまま、『重いよー』って……」
 桜町さんの話では、錦ちゃんとやっていると、「なんか威圧感を感じるの」だそうな。
 『反逆兒』では、花売り娘で登場し、舟を漕ぎながら歌を唄うが、「あの歌は吹き替えじゃなく、わたしが唄ったのよ、下手だけど」と。「今でも覚えてますか」と私が水を向けると、桜町さん、急に立ち上がって、唄い出したので、みんなビックリ。
 伊藤大輔監督のことは、「とっても恐い先生でした。古武士みたいにいつも杖をついていらして、わたしの方へ杖を向けて、『そこの女!』なんておっしゃるの」
 まだまだ桜町さんの話は続き、あと一時間はトークが出来たような感じだった。
 打ち合わせの時、「わたし、あなたの質問にイエスとノーとしか言わないかもしれないわよ」なんておっしゃっていたが、全然ウソ。後ろで、支配人の石井さんが、「あと5分」の合図をしていたが、ギリギリの1時近くまでトークショーを続けさせていただいた。
 トークの後は、一階のロビーに移動してサイン会。写真もオーケーで、私は助手兼キャメラマンになって、お手伝いした。
 
 
(ラピュタ阿佐ヶ谷ロビーにて。サイン会終了後)

 桜町弘子さん、ありがとうございました。


 


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