錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記』(その二)

2007-09-28 14:10:01 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 第一作『濡れ髪二刀流』(1957年4月16日封切)は、いろいろと話題が豊富な映画だった。また、良くも悪くも、東映映画史上、記録に残る映画だったと言えそうである。内容的な感想を書く前に、その辺のところを語っておきたい。

 第一に、柴田錬三郎の人気時代小説のなかで東映が最初に映画化したのが『源氏九郎颯爽記』だった。そして、主人公の源氏九郎に東映の若きエース中村錦之助が扮するということ、それが当時大きな話題を呼んだ。
 柴田錬三郎は、この頃すでに新聞雑誌から引っ張りだこの流行作家になっていた。1956年(昭和31年)5月、週刊新潮の創刊間もなく『眠狂四郎無頼控』の連載を開始すると、たちまち爆発的な人気を呼んだ。1957年には東京新聞に『剣は知っていた』を連載、月刊誌「面白倶楽部」には『源氏九郎颯爽記』を発表している。
 『眠狂四郎無頼控』はいち早く東宝が原作の映画化権をとり(柴錬が大佛次郎と同じ高額な原作料を要求したところ、東宝がこれを呑んだらしい)、鶴田浩二が眠狂四郎に扮して、1956年12月に第一作(小国英雄脚色、日高繁明監督)が封切られる。第二作『眠狂四郎無頼控 第二話 円月殺法』(脚色、監督とも同じ)は、翌年4月東宝系封切りで、東映の『源氏九郎颯爽記・濡れ髪二刀流』の二週間前に公開された。鶴田の眠狂四郎と錦之助の源氏九郎との一騎打ちになったわけだが、興行成績では錦之助の大勝だった。チャンバラ映画にかけては東映が東宝より一日の長があった。が、何と言っても、スランプ期に入った32歳の鶴田と、飛ぶ鳥落とす人気スター24歳の錦之助とでは、はじめから勝負が決まっていたのかもしれない。
 鶴田の狂四郎シリーズは翌年1958年に製作スタッフ総入れ替えで第三作『眠狂四郎無頼控 魔剣地獄』(川西正純監督)が作られ、10月に公開されるが、やはり評判がかんばしくなく、これで打ち切りとなる。私は鶴田の東宝版『眠狂四郎』を一本も見ていないので何とも評価できないが、鶴田の甘いマスクと精彩を欠いた立ち回りが狂四郎のイメージにそぐわず、作品的にも今一歩だったようだ。原作に漂うエロティシズムが描けていなかったことも不評を買った。柴錬はシナリオが気に入らなかったという談話を残している。
 大映で市川雷蔵が初めて眠狂四郎に扮し、『眠狂四郎殺法帖』(星川清司脚色、田中徳三監督)が作られ公開されるのはその五年後の1963年(昭和38年)11月である。雷蔵の眠狂四郎は大ヒットし、すぐにシリ-ズ化され、1969年1月公開の『眠狂四郎悪女狩り』(池広一夫監督)まで全部で12本制作される。(雷蔵の死後、東映の松方弘樹が大映に赴き眠狂四郎を演じた映画が二本作られたが、これは不評だった。)

 東映は『眠狂四郎』の映画化権は取れなかったものの、柴錬の時代小説では、『源氏九郎颯爽記』『抜打ち侍』『血汐笛』『剣は知っていた』『美男城』『孤剣は折れず』『赤い影法師』など次々と原作の映画化権を取って映画化している。その第一弾が錦之助主演の『源氏九郎颯爽記・濡れ髪二刀流』だったわけである。その後、錦之助は、『源氏九郎颯爽記』第二作「白狐二刀流」(1958年3月)で再び源氏九郎を演じ、『剣は知っていた・紅顔無双流』(1958年9月)で眉殿喬之介、『美男城』(1959年2月)で御堂主馬之介に扮し、柴錬原作の主役を演じ続けていく。
 これは以前にも述べたことだが、源氏九郎と眉殿喬之介によって錦之助は二十代半ばにして絵から抜け出したような美青年剣士の典型を築き上げたと言うことができる。後にも先にも錦之助ほど、旬(しゅん)の美青年剣士を演じた俳優はいない、と私は思っている。
 雷蔵は、ちょうど錦之助とバトンタッチする形で、錦之助とはまったく違った柴錬の美青年剣士を造型していく。が、雷蔵の剣士は、錦之助のように旬(しゅん)の美剣士というものではない。むしろ末期の美剣士といった感じで、暗くて孤独の影が濃く漂っている。死相さえ帯びたニヒルな魅力と退廃的でエロティックな雰囲気がある。雷蔵は眠狂四郎のイメージにぴったりなのである。
 錦之助の美剣士は、晴れやかで、口の片隅に微笑を含んだところがあり、含羞をたたえている。悩みながらも青春の真っ只中を生きている溌剌さがある。雷蔵の剣士には、女を突っ放すといった毅然とした態度がある。それに対し、錦之助は、どうも女に甘い感じがある。いつか女と一緒になって幸福になりたいと思っているフシがある。自分が闘ってもし死んだとしても、愛する女には生き残って幸せになってもらいたいと願う部分を常に残している。
 雷蔵主演の『斬る』(三隅研次監督、1962年7月公開)は、柴錬原作の映画としては傑作の一本であり、雷蔵が眠狂四郎を演じ始める前に制作された記念碑的な映画である。この映画は錦之助が『源氏九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶』(1962年3月公開)で最後の美青年剣士を演じた後に製作された。1962年と言えば、錦之助(11月20日生)が29歳、雷蔵(8月29日生)が30歳の頃である。つまり、柴錬の時代小説に登場する美青年剣士は、二十代が錦之助、三十代は雷蔵が演じ、余人の追随を許さないほどの当たり役にしたと言えよう。錦之助は二十代終わりから宮本武蔵に打ち込み、武蔵像を完成させることは周知の通りである。(つづく)




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