「火事と喧嘩は江戸の華」と言うが、江戸のどこかで火の手が上がれば、われ先にと火事場へ駆けつける火消しすなわち消防隊員は、見るからにカッコよく、江戸庶民の憧れの的だったそうだ。また、火消しの男たちは気も荒く喧嘩っぱやいことでも有名だった。火消しには、武家が組織するもの(大名火消し、定火火消し)もあったが、なんと言っても人気を集めたのは町火消し、町民が組織する消防隊であった。そしてこの小隊は、いろは四十八組、「い組」から始まって「ろ組」やら「は組」やら、江戸中に四十八もあったらしい。(だだし、「へ組」と「ひ組」はなく、百組、千組と言ったとのこと。)なにしろ威勢の良い男ばかりのグループで、中には若い美男子もいたから、江戸の女たちはアイドルのように持て囃したらしい。管轄地域はおおよそ決まっていたが、競合する場所もあった。たとえば、神田明神下で火事があれば、「ほ組」「わ組」「か組」「た組」が先陣争いをして消火にあたったようだ。もちろん、消火と言っても、水をかけて火を消すのではなく、たいていは解体作業である。延焼を避けるため、燃えている家をぶっ壊すのだ。だから、はしごの他に、鍬や鳶口が必携道具だった。そして、火消しが掲げる纏(まとい)は、戦いの旗印のようなもので、小隊のシンボルであった。
前置きが長くなった。さて、錦之助がこのカッコよい火消しに扮した映画が三本ある。『あばれ纏千両肌』(昭和30年)と『晴姿一番纏』(昭和31年)と『水戸黄門』(昭和35年)である。錦之助の演じた役は、それぞれ野狐三次、纏の矢太郎、放れ駒の四郎吉だった。今回は、『晴姿一番纏』の話をしよう。この映画、あいにくビデオ化されていないが、先だって東映チャンネルで放映されたので、ご覧になった方もいるかもしれない。これは、火消し役の錦之助といなせな旅人やくざを演じる錦之助の両方が見られる点で、一粒で二度おいしい映画だった。山手樹一郎の原作を結束信二が脚色し、河野寿一が監督した映画であるが、作品の出来映えもなかなか良かった。
ファースト・シーンは、江戸の町を火事場から「ほ組」の火消したちが誇らしげに練り歩く場面で、錦之助は纏持ちとして凛々しい姿で登場する。長半纏(ながばんてん)に股引をはき、月代(さかやき)も青々しい頭にねじり鉢巻、きりりとした顔つきである。弥次馬の女たちが、やんやの歓声を送る。「ほ組」の小頭、纏持ちの矢太郎が錦之助の役であった。「ほ組」を統率する大頭は矢太郎の養父で、これを薄田研二が演じているが、前回の『越後獅子祭り』とは打って変わり、味のある好演だった。母親役は松浦築枝が手堅い演技、酒問屋の娘で矢太郎の恋人役お京が千原しのぶで、相変わらず上手いとは言えないが、まずまずだった。千原に横恋慕し、悪さを働く旗本が敵役の常連加賀邦男、それにこの映画では、矢太郎の実の父親、かくしゃくたる武士の役に、月形龍之介が出演していた。月形が出ると、やはり映画が締まる。途中で、端役だが、落ちぶれたやくざの一家の娘役に長谷川裕見子も登場する。彼女が出ると出ないとでは大違い。私は長谷川裕見子が好きなので、彼女の姿にはいつも注目してしまう。
話は単純である。祭りの日、矢太郎とデートの約束をしたお京の千原が、悪旗本の加賀に拉致されそうになる。それを矢太郎が助けたことで、旗本一味と喧嘩が始まり、そこに駆けつけた町奉行の面々に取り押さえられる。これが原因で、矢太郎は江戸追放の身に。旅の途中、たまたま誘われた賭場で、やくざにからまれ、格闘のはずみで矢太郎は人ひとり殺してしまう。それで凶状持ちになり、股旅稼業のやくざに身を落とす…。
まあ、そんな話だが、これは前回も触れたが、やくざの旅人姿に変わった錦之助がこれまた惚れ惚れするほどカッコ良い。鬘(かつら)も変わり、月代のない風来坊風の髪型が若い錦之助にはよく似合う。
この映画で、錦之助は歯切れいい啖呵も切る。祭りの日、旗本と喧嘩をする前には、「二本差しが恐くって、おい、蒲焼屋の前を通れるかってんだ!」と来る。賭場で喧嘩をする前には、「おいら江戸っ子だぜ。てめえらとは育ちが違うんだ、育ちが!」そして、「ダンビラのつけえ方は知らねえが、喧嘩の仕方はこうやるんだ!」と言って大暴れする。
単身赤鬼一家へ殴り込みに行って悪親分を斬り殺す時は、啖呵も切らず、笠を取った瞬間にバッサリやる。後ろの襟首に菊の花を一輪指していて、子分を蹴散らした後に、殺した親分の手向けにこの花を投げる。ここはちょっとキザだが、意外と印象に残る。
この映画には観ていてどうも変だなと思うシーンもあった。矢太郎がお京を助けて逃げていく時に、お京が足にマメが出来て、歩けなくなり、矢太郎におんぶしてもらう場面がある。しばらくして、追っ手がやって来て、二人が急に走り出すのだが、足のマメはどうなったのだろうかと疑問に思った。こんなところ、どうでもいいのだが、妙に気になる。
最後に、二人は江戸に帰り、矢太郎はやくざの足を洗い、火消しに戻る。火事場で、矢太郎が纏を持って屋根に上り、仁王立ちするラスト・シーンは、見せ場だったが、煙がもうもうと立ち込める中を何もせずじっと立ているのも不自然だなあーと思った。が、これは許すとするか。
我が家は東映CHが入らないので、残念ながら
見ていませんが、私が錦ちゃんファンになった
映画「あばれ纏千両肌」の火消しの動きに
ダメがでたそうで、次の年にこの映画が作られたようですね。私の記憶には見ていないような
気がするんですが・・・大画面で観てみたいですね。屋根に上がるのに瓦をバンバン割って
上るのだそうですね。足が滑らないように瓦を割りながら上るということを実際に演じたそうですが、写ってましたか。
ごめんなさい。
そう、「あげ羽の蝶」に、元火消しの人に忠告してもらって、瓦を割りながら屋根に上ったと書いてありましたね。でも、天辺の瓦を二、三枚踏みつけて下に落とし足場を固めていただけでしたよ。錦ちゃんの苦心の甲斐なく、画面にはよく映っていませんでした。
口真似できないけれど、二本差しと蒲焼屋は
ケッサクでした。
変に思ったのは、背寒さまの書かれていること
なんですが、お京の足のマメはどうなったの?と誰しも思うくらい、早く走りましたね。
もう一つは、変というより、似合ってないと
いうべきか、火事場から引き上げてゆく最初
のシーンの行列の先頭を行く、矢太郎の
凛々しさはうっとりでしたが、養父の薄田の
鉢巻がすごく気になってしまった。なぜ錦ちゃんが鉢巻をすると、こんなに格好いいんだろうかと、一段と目だつためかしら・・・どうでも
いいか。
やはり、一心太助の錦ちゃんの啖呵がいいですかね。
「晴姿一番纏」は、ストーリー的には首をかしげたくなるところがたくさんありましたが、許容範囲かなーと思って観ていました。でも、千原しのぶはまだこの映画では大根ですね。「源氏九郎」あたりの女道中師は良かったと思いますが…。初代三人娘では、高千穂ひづるがピカイチでしょうね。