この映画、錦之助がいい、高千穂ひづるがいい、月形龍之介がいい、堺駿二がいい、市川小太夫がいい、というわけで、登場人物がみな生き生きとしていて、実に魅力溢れる映画になっている。清川荘司も滑稽でとぼけたイイ味を出し、一体どうなっているのだろうと不思議になった。俳優がそれぞれ適役で、ノッテいるとこんな楽しい映画が生まれるのだなーと思う。
もちろん、その前に脚本が良くてはならないが、脚本を書いたのは舟橋和郎で、喜劇が得意なシナリオライターだけあって、見せどころ、笑わせどころを心得ていた。(後年、舟橋が脚色しヒットした作品には、勝新の『兵隊やくざシリーズ』、フランキー堺の『喜劇~旅行シリーズ』、渥美清の『喜劇~列車シリーズ』などがある。)
監督は、『笛吹童子』『紅孔雀』で一躍脚光を浴びた萩原遼。この人、プログラム・ピクチャーを量産していた東映黄金期を支えた職人監督だったが、悪く言えば、器用貧乏、もっと悪く言えば、粗製濫造で、子供向け映画やB級映画を作り過ぎたため、名声を得ることなく終わってしまった。しかし、東映の発展に貢献した彼の功績はたたえられてしかるべきだろう。一年に15本も映画を作ったことがあるのだから、びっくりする。ご奉公にも程があるとさえ私は思う。が、『あばれ纏千両肌』は間違いなく萩原遼の名作の一つである。ビデオになっていないのが、本当に残念だ。この映画は3年ほど前に東映チャンネルで放映されたそうだ。実を言うと、それを録画し大切に持っておられた錦ちゃんファンがいて、厚かましいながら私はこの方におすがりし、その愛蔵版をお借りして見せていただいた。感謝感激、時間を縛られることが苦手な私みたいな者には幸せこの上ない。
さて、『あばれ纏千両肌』の話。このタイトルは、現代の感覚からするとまことに古めかしいが、「暴れん坊の纏(まとい)持ちの素晴らしい肌」という意味。しかし、これでは、なんとも締まらない。要するに、もろ肌脱ぐと見事な刺青をしている威勢の良い火消しの話である。この主人公の名は、浪曲・講談でも登場する「野狐三次」、これを若き日の錦之助がやっている。三次は捨て子で、母は死に、成人してからは会ったことのない父親を探している。大工だったのだが、喧嘩が縁で、「ろ組」の頭(かしら)に見込まれ、火消しになる。頭の娘が高千穂ひづるで、気風のいい三次にぞっこん惚れ込んでしまう。三次の頼りない兄貴分、「ろ組」の愛すべきマスコット的存在が堺正章の親父の名優堺駿二で、やはり彼が錦之助の映画に出ると出ないでは大違い。錦之助との相性も抜群である。刺青を見せっこするシーンなど大笑いしてしまう。高千穂ひづるもこの時代、錦之助の相手役としてはピカイチだった。きりりとした美しさで、しんが強そうで、若い錦之助をリードするには最適のお姉さんタイプである。高千穂は演技も三人娘(ほかに千原しのぶ、田代百合子)のなかでは段違いにうまい。『織田信長』の濃姫なんかはとくに素晴らしかった。
話が錦之助からそれてしまった。この映画は昭和30年5月の公開。錦之助、ときに22歳である。が、何か自信ありげで、素のままの自分をあちこちに出している。これには驚いた。そうか、この映画からなんだ、錦之助が自然体の演技に目覚めたのは!重大な発見でもしたかのように私は感じた。ところどころ、まだ気張って芝居がかったセリフを言い、力の入りすぎた演技をする場面もあるが、映画の中盤から、なぜか錦之助がガラッと変わる。それは、実父である加賀藩の重役月形龍之介と対面してからだ。
ここからの錦之助と月形のやり取りは、まるで一心太助と大久保彦左衛門を見ているようで、思わず私はうなってしまった。もろ肌脱いで、叩き切ってくれと開き直るところなど、まるで一心太助ではないか。三次が月形の屋敷に引き取られ、若侍姿に着替えさせられ、清川荘司扮する家来の半兵衛とやり合うところなど、太助と笹尾喜内を見ているよう。また、三次に愛情を注ぐ月形のセリフも表情も、彦左衛門と錯覚するほどである。『一心太助シリーズ』の原型はこの映画なのだと私は感じた。しかも助監督が沢島忠と来たもんなら、間違いない。沢島監督と錦之助は、この映画から『一心太助』の構想を描いたのだと推察する。
ともかく、錦之助が演じた野狐三次は、元気が良くて、カッコいい。可愛くて、親しみやすい。錦之助はこの作品で群れなす若い女の子たちのハートを完全に射止めたのではないかと思う。いや、ハートを鷲づかみにしたのだろう。(今度、50年前の元ティーンエージャーに尋ねてみたい。)
錦之助の年譜を調べてみると、昭和30年1月は、『紅孔雀』5部作が終わって、錦之助念願の長谷川伸原作の股旅もの『越後獅子祭り・やくざ若衆』に主演し、その後、初の現代劇『青春航路・海の若人』があって、次に製作されたのがこの『あばれ纏千両肌』だった。この頃、錦之助は自分の進むべき道を模索し、女子供向けの映画からようやく脱皮しようとしていた。現代劇『海の若人』では、女性ファンを大いに失望させたそうだが、また時代劇に戻って、この映画を公開したときには、きっと物凄い騒ぎになったことだろう。待っていましたとばかり錦ちゃん人気が沸騰したはずである。今観ても、一皮も二皮もむけた錦之助の野狐三次は魅力的だし、この映画そのものも娯楽作としてAランクに入ると私は信じて疑わない。スタンダードサイズの白黒映画だったが、火事場のシーンは圧巻。立ち回りも多く、見飽きることがなかった。
この映画では、火事の現場で火消しの纏持ちが、屋根の上で、天を見ながら纏を振っていたのが、「一番纏晴姿」では、屋根に上って、纏をしっかと屋根にたて、下を見つめて動かなかった場面。ここが大いに違っていたのは、「あばれ纏・・・」の方の、火消しの間違いを正した点であったことが判りました。火消しは、燃え盛る建物の最も近い屋根に上り、そこに纏をたて「ここで火をくい止める」のだという、鳶の心意気と結束を示しているんだそうですよ。背寒さまの評価と感想に大きくうなずいているんですが、ここ錦之助/錦之介ファンの目にする大事なブログです。少年少女の思いは純なものです。品よくお願いします。
野狐三次の写真がないのが淋しいですね。
不適切な表現は直しておきました。夜中に書いていると、筆がすべることがあるので、またお気づきの点があれば、ビシビシ指摘してください。映画の評価や感想について自信のあることは譲りませんが、表現の仕方などについて、問題があると思えば直します。
「男ばっかりの兄弟」と「まだ若い」は当たっています。二人兄弟で、七つ上の兄が一人います。私は末っ子で、わがままに育ちました。兄貴が笛吹童子からの錦ちゃんファンだったので、赤ん坊の頃から東映の映画館に連れて行かれた(とのこと)。そのうち、私の方が大の錦ちゃんファンになってしまい、親父か母親のどっちかと映画を観に行っていた。これは、おぼろげながら、覚えています。
男子校と体育系とは心外です。共学一筋で、ずっと文化系ですよ。
最後まで観てしまいました。当時この野狐三次にキュ~ンときてしまったんですねぇ
この作品が講談や浪曲にあるということを初めて知りました。筋書きに魅力があったのは、そういう人気のある作品であったんですね。今観ても、三次とお滝!いいですね。高千穂ひずるは、この役にぴったりでしたね。この作品から一年たたない間に、一作毎に、ぐんぐん演技の成長というか変化がはっきりしてくるのですね。演技の面でいつもこれでいいのかと自己を省みる姿勢を失わなかったということを読んだことがあります・・・ビデオになっていないなんて残念ですね何とか遺してほしいです。
「百も承知!二百もガッテンでやってきた!」と啖呵切った三次を!!!
錦之助のこの「あばれ纏」は、ぜひDVDにしてほしいと思いますね。