錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『最後の博徒』(その1)

2006-12-29 18:39:42 | 日本侠客伝・最後の博徒

 『最後の博徒』を観た。山下耕作監督、松方弘樹主演の東映やくざ映画である。萬屋錦之介が特別出演している映画でもある。この間までずっと山下耕作監督、錦之助主演の『花と龍』二部作について書いていたのだが、約二十年経ってこの二人が東映のやくざ映画で一緒に仕事をしたことに私は興味を感じていた。それで観ようと思ったわけで、ほかに大した理由はない。
 実を言うと、この映画はこれまで観ないで通してきた。あえて観たいとも思わなかった。錦之助が主役の映画でないと、どうも私は満足できない。萬屋錦之介が特別出演の映画は、あまり観る気がしないというのが私の本音である。ところが、先日ツタヤへ行ったら、たまたまこの映画のDVDが目に留まったので、借りてしまった。
 この映画は、錦之助(錦之介と書くべきところだが、錦之助の名で通させてほしい)が出演した144本の映画の中で、最後から二番目の映画だった。つまり143本目の映画ということになる。最後の映画は『千利休 本覺坊遺文』で、これは東宝映画なので、東映の映画に錦之助が出演したのは、『最後の博徒』が最後だった。それにしても、錦之助の最後の東映映画が現代劇で、しかも実録物のやくざ映画だったとは……、感慨深いどころか、むしろ私は胸をかきむしられる思いがする。ラストになった144本目の『千利休 本覺坊遺文』は、東宝映画にしろ、時代劇だったことがせめてもの救いだった。それに、錦之助の出番も比較的多かったのは良かった。が、何としても最後は東映の時代劇に錦之助を主演させ、有終の美を飾らせてあげたかったと思う。それも今となっては、詮方ないことである。
 聞くところによると、晩年の錦之助は堺屋太一原作の『鬼と人と』を映画化する企画を進めていたのだそうだ。監督と主演を錦之助自身がやるという凄い企画だったらしいが、製作会社が見当たらず、お流れになってしまった。もしこの映画を東映で作っていたとしたら……また、錦之助の東映に対する計り知れないほど偉大な功績からすれば、東映が製作会社として真っ先に名乗りを上げるのが当然だったのに……、などと私は思うわけであるが、これも今さら悔やんでも仕方がないことである。結局、錦之助は平成6年に『鬼と人と』を自らの演出で大阪の新歌舞伎座の舞台に掛け、主役の明智光秀を演じた。そして、これが最後の舞台となった。
 
 話がとんだ方向に逸れてしまった。『最後の博徒』について、感想を述べよう。
 この映画、二時間余りの長い映画であるが、それほど退屈せずに私は観ることができた。ずいぶん静かでおとなしいやくざ映画だなと感じた。アクションも少なく、殺しの場面など凄惨さがなく、どちらかと言えば、古いタイプのやくざ映画だった。山下耕作が監督した映画なので、どことなく情感が漂い、それがかえって私には良かったのかもしれない。ただ、見方によっては、何も新しいところのない気の抜けた東映やくざ映画でもあった。エネルギーも迫力もなかった。やくざ映画としては「たそがれ」のよう作品、いや、日が暮れた後の「残照」のような作品だったと言うべきか。
 データを見ると、この映画が作られたのは1985年(昭和60年)で、深作欣二監督のあの『仁義なき戦い』に代表される過激な実録やくざ路線が始まるのが1973年(昭和48年)だから、それからなんと12年も経っていた。しかもこの映画は、『仁義なき戦い』シリーズと同じく、広島やくざの抗争を描いたものなのだが、内容的には、「仁義なき」戦いではなく、広島にも実は「仁義ある」やくざがいたのだ、といったノスタルジックな話に過ぎなかった。この映画の前年、ほぼ同じスタッフで作った『修羅の群れ』というやくざ映画があって、これが意外にヒットしたので、その二番煎じに作った映画が『最後の博徒』だったようだ。『修羅の群れ』は、私もずいぶん前にビデオを借りて観たことがある。こちらは確か横浜のやくざの話で、配役も豪華だった。主演はやはり松方弘樹だったが、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、北大路欣也も出演していたと思う。二番煎じの『最後の博徒』は、やや手薄な配役陣だということもあって、萬屋錦之介を担ぎ出したのではないか、と私は邪推したくなるが、真相はどうだったのだろう。(つづく)




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