東映の二本の『赤穂浪士』で大佛次郎の原作に比較的忠実なのは、五周年記念作の方である。特に映画の前半はほぼ原作通りだと言えるが、後半は、ずいぶん変えている。錦之助が演じた小山田庄左衛門の描き方も多少変えているが、堀田隼人(大友柳太朗)を最後まで登場させた点が大きく違う。家老の千坂兵部(小杉勇)も原作では、赤穂浪士の討入りの前に主君に命じられて国元の米沢に帰ってしまうのだが、映画では最後まで上杉家のため活躍することにしてある。ただ、この辺の脚色は映画を分かりやすくまた面白くするためには問題ないと思う。
一番違っていて問題なのは、大石内蔵助(市川右太衛門)の東下りで、立花左近(片岡千恵蔵)との対決場面を入れたことである。原作では、立花左近はまったく登場しない。大石内蔵助が九条家御用人の立花左近に化けて東下りし、途中でホンモノの立花左近が現れ、この二人が宿屋で対面するというシーンは、戦前(といっても大正時代らしい)マキノ省三が「忠臣蔵」映画で創り出し、当たりを取った名場面だったという。大佛の原作では、大石は垣見五郎兵衛と名前を変え、江戸に入るが、東下りの部分はさらりと書いているにすぎない。マキノ省三は、マキノ雅弘、マキノ光雄、松田定次の実父で、「映画の父」とも呼ばれる人物であるが、明治末期から昭和の初めまで「忠臣蔵」映画を何本も撮った。この辺の歴史は私も詳しくないし、戦前の「忠臣蔵」映画は二本しか観ていないので省略するが、以後マキノ一家が関係する「忠臣蔵」映画では必ず、ニセモノとホンモノの立花左近が対決するこの場面が描かれることになったという。だから、五周年記念作の『赤穂浪士』でも、原作に書かれていないこの場面を大々的に取り入れたわけである。私はどうもこの対決場面にわざとらしさを感じ、また大芝居すぎてこの映画では違和感を覚えるのだが、片岡千恵蔵を立花左近の役に当てた以上、仕方がなかったのだろう。右太衛門と千恵蔵が対決しなければオールスター映画にならないからである。両御大の対決は、東映オールスター映画では一番の見せ場だった。というか、東映という映画会社にとって一番重要な場面だったと言えよう。しかし、私はと言えば、子供の頃この二人の対決シーンにそれほど魅力を感じず、また長いこと二人のおじさんがにらめっこをしているなと思う程度だった。この気持ちは今でも変わらない。
ところで、不思議なことに、立花左近の対決場面は、大佛次郎の原作ではない二番目のオールスター映画『忠臣蔵』には出て来ない。そしてまた、大佛次郎の原作である十周年記念作の『赤穂浪士』には立花左近が登場することになる。こちらは大河内伝次郎の立花左近で、大石内蔵助は千恵蔵である。十周年記念作は、もう原作とは程遠く凡作に近い作品なので、どうでも良いと言えるかもしれない。だいたい、この『赤穂浪士』は、原作の特長がほとんど生かされず、脚本家の小国英雄が改作しすぎていて、もう本来の『赤穂浪士』ではなくなっている。大石内蔵助(千恵蔵)と千坂兵部(右太衛門)との関係がクローズアップされ、堀田隼人(大友)はまったく違う人物のように変わっていた。蜘蛛の陣十郎(名前を替えていた)は道化役で、お仙(丘さとみ)の行動も理解に苦しむ。また、小山田庄左衛門は登場せず、赤穂浪士の脱落者については名前だけを挙げるにすぎなかった。多分新しい「忠臣蔵」映画を作ろうとしたのだろうが、これが裏目に出て、オールスター映画としては珍しくレベルの低い作品だった。
五周年記念作の『赤穂浪士』は、大佛次郎の原作をうまく生かして映画化した傑作である。だから、立花左近の場面が余計、私には気になるのだと思う。ついでに言えば、浅野内匠頭夫人の瑶泉院がこの映画にはまったく登場しない。が、瑶泉院は、「忠臣蔵」映画にとって重要な役柄だと思う。大石内蔵助との南部坂での別れの場面が有名だが、原作では大石には会わず、費用報告の手紙をもらって、瑶泉院が討入りの意図を知ることにしていた。この点原作は史実に忠実な描き方をして、瑶泉院を最後の方に少ししか登場させなかった。それで映画でも省略したのだろう。
ところで、この映画の脚色は新藤兼人ということになっているが、実は、監督松田定次の指示で、当時チーフ助監督だった松村昌治がシナリオをずいぶん手直ししたらしい。新藤の脚本があまりにリアリズムに傾き過ぎ、赤穂浪士のロマンを損じるものだったので、東映の大衆向き娯楽映画にはそぐわないという理由で書き直したようだ。プロデューサーのマキノ光雄も書き直しに同意したという。その辺の事情は、『松田定次の東映時代劇』(畠剛著、ワイズ出版刊)という本でインタビューされた松村昌治が明らかにしている。(つづく)