錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その三)

2008-04-18 17:57:29 | 赤穂浪士・忠臣蔵

 東映の二本の『赤穂浪士』で大佛次郎の原作に比較的忠実なのは、五周年記念作の方である。特に映画の前半はほぼ原作通りだと言えるが、後半は、ずいぶん変えている。錦之助が演じた小山田庄左衛門の描き方も多少変えているが、堀田隼人(大友柳太朗)を最後まで登場させた点が大きく違う。家老の千坂兵部(小杉勇)も原作では、赤穂浪士の討入りの前に主君に命じられて国元の米沢に帰ってしまうのだが、映画では最後まで上杉家のため活躍することにしてある。ただ、この辺の脚色は映画を分かりやすくまた面白くするためには問題ないと思う。
 一番違っていて問題なのは、大石内蔵助(市川右太衛門)の東下りで、立花左近(片岡千恵蔵)との対決場面を入れたことである。原作では、立花左近はまったく登場しない。大石内蔵助が九条家御用人の立花左近に化けて東下りし、途中でホンモノの立花左近が現れ、この二人が宿屋で対面するというシーンは、戦前(といっても大正時代らしい)マキノ省三が「忠臣蔵」映画で創り出し、当たりを取った名場面だったという。大佛の原作では、大石は垣見五郎兵衛と名前を変え、江戸に入るが、東下りの部分はさらりと書いているにすぎない。マキノ省三は、マキノ雅弘、マキノ光雄、松田定次の実父で、「映画の父」とも呼ばれる人物であるが、明治末期から昭和の初めまで「忠臣蔵」映画を何本も撮った。この辺の歴史は私も詳しくないし、戦前の「忠臣蔵」映画は二本しか観ていないので省略するが、以後マキノ一家が関係する「忠臣蔵」映画では必ず、ニセモノとホンモノの立花左近が対決するこの場面が描かれることになったという。だから、五周年記念作の『赤穂浪士』でも、原作に書かれていないこの場面を大々的に取り入れたわけである。私はどうもこの対決場面にわざとらしさを感じ、また大芝居すぎてこの映画では違和感を覚えるのだが、片岡千恵蔵を立花左近の役に当てた以上、仕方がなかったのだろう。右太衛門と千恵蔵が対決しなければオールスター映画にならないからである。両御大の対決は、東映オールスター映画では一番の見せ場だった。というか、東映という映画会社にとって一番重要な場面だったと言えよう。しかし、私はと言えば、子供の頃この二人の対決シーンにそれほど魅力を感じず、また長いこと二人のおじさんがにらめっこをしているなと思う程度だった。この気持ちは今でも変わらない。
 ところで、不思議なことに、立花左近の対決場面は、大佛次郎の原作ではない二番目のオールスター映画『忠臣蔵』には出て来ない。そしてまた、大佛次郎の原作である十周年記念作の『赤穂浪士』には立花左近が登場することになる。こちらは大河内伝次郎の立花左近で、大石内蔵助は千恵蔵である。十周年記念作は、もう原作とは程遠く凡作に近い作品なので、どうでも良いと言えるかもしれない。だいたい、この『赤穂浪士』は、原作の特長がほとんど生かされず、脚本家の小国英雄が改作しすぎていて、もう本来の『赤穂浪士』ではなくなっている。大石内蔵助(千恵蔵)と千坂兵部(右太衛門)との関係がクローズアップされ、堀田隼人(大友)はまったく違う人物のように変わっていた。蜘蛛の陣十郎(名前を替えていた)は道化役で、お仙(丘さとみ)の行動も理解に苦しむ。また、小山田庄左衛門は登場せず、赤穂浪士の脱落者については名前だけを挙げるにすぎなかった。多分新しい「忠臣蔵」映画を作ろうとしたのだろうが、これが裏目に出て、オールスター映画としては珍しくレベルの低い作品だった。
 五周年記念作の『赤穂浪士』は、大佛次郎の原作をうまく生かして映画化した傑作である。だから、立花左近の場面が余計、私には気になるのだと思う。ついでに言えば、浅野内匠頭夫人の瑶泉院がこの映画にはまったく登場しない。が、瑶泉院は、「忠臣蔵」映画にとって重要な役柄だと思う。大石内蔵助との南部坂での別れの場面が有名だが、原作では大石には会わず、費用報告の手紙をもらって、瑶泉院が討入りの意図を知ることにしていた。この点原作は史実に忠実な描き方をして、瑶泉院を最後の方に少ししか登場させなかった。それで映画でも省略したのだろう。
 ところで、この映画の脚色は新藤兼人ということになっているが、実は、監督松田定次の指示で、当時チーフ助監督だった松村昌治がシナリオをずいぶん手直ししたらしい。新藤の脚本があまりにリアリズムに傾き過ぎ、赤穂浪士のロマンを損じるものだったので、東映の大衆向き娯楽映画にはそぐわないという理由で書き直したようだ。プロデューサーのマキノ光雄も書き直しに同意したという。その辺の事情は、『松田定次の東映時代劇』(畠剛著、ワイズ出版刊)という本でインタビューされた松村昌治が明らかにしている。(つづく)



『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その二)

2008-04-18 17:53:17 | 赤穂浪士・忠臣蔵
 オールスター映画でタイトルが『赤穂浪士』となっている二本は、どちらも大佛次郎の原作を下敷きにした作品で、五周年記念作の脚本は新藤兼人、十周年記念作の脚本はベテラン小国英雄である。
 『忠臣蔵』と題している1本は、もちろん浄瑠璃や歌舞伎の『忠臣蔵』(仮名手本忠臣蔵)ではなく、いわゆる「実録忠臣蔵」で、これは「赤穂義士伝」として講談や浪曲などで語られてきたストーリーをもとに戦前何度も映画化されてきた作品群の流れにあるもの。東映の脚本家では親玉格の比佐芳武が新たな解釈を加え、シナリオを書いている。監督は、三作品とも東映の首席監督・松田定次である。

 大佛次郎の小説には、登場人物として、ニヒルな浪人堀田隼人や盗賊蜘蛛の陣十郎や女間者お仙などが出て来る。彼らは大佛次郎が創作した人物である。それと、上杉家の家老千坂兵部、その家来小林平七、赤穂浪士では脱落者の小山田庄左衛門を大きく取り上げ、赤穂四十七士の討入りまでの経緯をさまざまな人物の視点から複眼的に描いているのが特長である。 
 大佛次郎の『赤穂浪士』と言うと、まるで堀田隼人がヒーローように紹介されることが多いが、原作は決してこの人物に特にスポットを当てて書いてあるわけではない。確かに小説の前半では印象的な登場人物であるが、後半はあまり登場しない。NHKの大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年)で、林与一が演じた堀田隼人の評判が良かったので、その影響かもしれない。私もこのドラマを毎週欠かさず見ていた覚えがあるが、もう昔のことなのでほとんど忘れてしまった。しかし、このドラマで大ブレークした林与一の颯爽とした美男ぶりとのっそりとした長谷川一夫の大石内蔵助だけは強く印象に残っている。吉良上野介が滝沢修で、蜘蛛の陣十郎が宇野重吉だったことも覚えている。テレビの『赤穂浪士』は、NHKの第二回の大河ドラマで、東京オリンピックのあった年に放送され、毎週高い視聴率を取っていた。最後の討入りの放送日は50パーセント以上の記録的な視聴率だったそうだ。聞くところによると、浅野内匠頭の配役候補には、錦之助が上がったそうである。ほかに市川雷蔵、大川橋蔵も候補になったそうだが、どれも実現せず、結局内匠頭役は歌舞伎役者の尾上梅幸(七代目)になったという。

 さて、私は一ヶ月前くらいから大佛次郎の『赤穂浪士』を読み始め、最近ようやく読了したところである。なにしろ文庫本上下2巻(角川文庫)で1000ページを越える大作であり、老眼で眼精疲労のせいもあって読み進めるのに苦労した。しかし、小説の内容は深くて非常に興味深かった。大佛次郎は、若くして『鞍馬天狗』を書き大衆時代小説の売れっ子になった作家だが、『赤穂浪士』は1927年(昭和2年)から翌年にかけて書いた新聞連載小説である。文章の格調、作者独特の解釈、人物の心理描写は、純文学に近く、今読んでもまったく古さを感じない。しかも壮大な人間ドラマである。登場人物が多い上に、それぞれの赤穂事件に対する立場や態度が、描き込まれている。作者がとても30歳だったとは思えないほどの力作だった。(つづく)



『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その一)

2008-04-18 02:45:19 | 赤穂浪士・忠臣蔵

 これから数回にわたり、映画の「忠臣蔵」について書いていきたいと思う。一大決心であるが、どうなることやら? 錦之助が出演した映画が話題の中心になると思う。オールスター映画三本である。それと、錦之助が萬屋錦之介となり東映に復帰して大石内蔵助を演じた『赤穂城断絶』についても触れることになるだろう。ただし、あらかじめ断っておくが、私の書く記事は寄り道が多い。蛇足のような部分があったら、錦之助ファンの方は読み飛ばしていただきたい。

 まず、東映のオールスター映画『赤穂浪士』と『忠臣蔵』について概略を述べておこう。
 東映作品の『赤穂浪士』は二本ある。1956年(昭和31年)1月公開の『赤穂浪士』(天の巻、地の巻)と、1961年(昭和36年)3月公開の『赤穂浪士』である。前者は、「東映創立五周年記念作品」として製作された東映オールスター映画第一作で、「忠臣蔵」映画では本邦初の総天然色(イーストマン・カラー)。社長大川博の総指揮の下に、プロデューサーのマキノ光雄が中心となり、東映が総力をあげて製作した超大作である。主役の大石内蔵助は市川右太衛門で、錦之助は赤穂浪士で討入りの直前に落伍した小山田庄左衛門をやっている。後者は、その5年後に製作されたオールスター映画で、こちらは「東映創立十周年記念」だった。大石内蔵助は片岡千恵蔵で、錦之助は脇坂淡路守をやっている。この二本の『赤穂浪士』で吉良上野介に扮したのは月形龍之介である。浅野内匠頭は、前者が東千代之介、後者が大川橋蔵だった。(以後記述上区別するため、前者を五周年記念作、後者を十周年記念作と呼ぶことにしたい。)
 年代順に言うと、この二本の間にもう一本、オールスター映画として製作されたのが、『忠臣蔵』(櫻花の巻、菊花の巻)である。これは1959年(昭和34年)1月公開、「東映発展感謝記念 主演片岡千恵蔵」と銘打った総天然色シネマスコープ(東映スコープ)作品。(ただし、総天然色シネスコによる「忠臣蔵」は、松竹と大映に先を越されている。松竹のオールスター映画『大忠臣蔵』は、1957年8月公開、大映のオールスター映画『忠臣蔵』は、1958年4月公開。)東映のこの『忠臣蔵』で、錦之助は浅野内匠頭をやっている。大石内蔵助は片岡千恵蔵、吉良上野介は月形ではなく進藤英太郎。
 
 ざっとこんなところだが、「忠臣蔵」映画として最高傑作だと思うのは、五周年記念作である。錦之助の役柄で言えば、いちばん錦之助らしいと感じるのは十周年記念作の脇坂淡路守で、この役は彼の明るさ、奔放さ、力強さがよく出ていた。五周年記念作の小山田庄左衛門は、後年錦之助が演じた『怪談千鳥ヶ淵』の美之助や『浪花の恋の物語』の忠兵衛につながるステップとなった。その意味では重要な役であった。どれも町人の役で、惚れた女にずぶずぶのめり込む優男(やさおとこ)タイプであるが、こういう役柄はどうもウジウジしていて好きになれないと感じるファンもいるかもしれない。私もどちらかと言うとウエットな役の錦之助よりもドライな錦之助の方が好きだ。まあ、これはわがままなファン心理というもので、錦之助はどんな役をやらせても、それに成りきってしまう天才役者であることに変わりない。五周年記念作が製作されたのは昭和30年の終わりだが、この時錦之助は23歳、映画デビューして二年ほど経ち、もうすでにどんな役でも見事にこなせるだけの素質を開花し始めていた。小山田庄左衛門はこの映画の後半ではメインになる役であり、この頃の錦之助にはうってつけの役だったと思う。討ち入りに参加する浪士の一人の役をやるより、こっちの方が引き立って良かったと言えるかもしれない。五周年記念作は、浅野内匠頭が東千代之介、大石主税が伏見扇太郎、そして小山田が錦之助で、前半、中盤、後半とこの若手人気スター三人がうまく配置されていたと思う。
 『忠臣蔵』での錦之助の浅野内匠頭は、名演である。私の知る限り、最高の内匠頭である。映画の中で、右太衛門の脇坂淡路守が、内匠頭の死を惜しみ、名君として花開く前に散らせてしまった慨嘆する場面があるが、錦之助の内匠頭はそれにぴったりだったと思う。錦之助も実に良く工夫して、この未完成な名君を表現していた。「未完成」というところがポイントなのである。『忠臣蔵』が作られたのは、昭和34年の初めであるが、その前年、錦之助は『一心太助』シリーズを二本撮り、名君・徳川家光をすでに演じている。錦之助のお殿様を私が大好きなことはすでにあちこちで書いているが、品の良さ、情愛の深さが堪らなく良い。家光では、名君の余裕、貫禄すら感じる。それが、浅野内匠頭では、この余裕、貫禄を消して、品格と情愛だけで錦之助は勝負している。未完成な名君の頼りなさ、線の細さを表現している。そこが錦之助の工夫で、うまいなーと私が感心するところである。ただし、こうしたことは今この映画を観て私が感じることで、五十年前封切りで観た時には、ただただ錦之助の内匠頭に魅入って、小さな胸をかきむしられる思いだった。この時の感動は忘れない。私にとって生まれて初めての「忠臣蔵」映画だった。(つづく)