錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その五)

2008-04-22 19:39:13 | 赤穂浪士・忠臣蔵
 小山田庄左衛門は、実際にいた人物である。赤穂浪士で盟約に加わりながら、土壇場で討入りに加わらず、落伍した。こういう最後の脱落者は、浪士の中に四、五名はいたようだ。(毛利小平太もその一人である。)彼らは、赤穂義士ではなく、赤穂「不義士」と言われている。が、小山田はその中で最も評判が悪い。なぜか。実際の小山田は、湯屋の遊女に入れ込んだ挙句、借金で首が回らなくなり、討入り間際になんと同志の金品を盗んで行方をくらましたからである。
 それだけではない。隠居中で病身の父親が、赤穂浪士の討ち入り後に自分の息子の不参加と悪行を知り、なんと切腹してしまう。それで、小山田は、裏切り者、盗人というだけでなく、親不孝者という悪名まで着せられてしまった。

 講談で語られる小山田庄左衛門は、もっとひどく、そのだらしなさが誇張されている。討入り当日、深川で湯屋の馴染みの女に出会う。女に誘われ、どこかにしけ込み、酒を飲んで泥酔してしまう。そのまま眠り込んで、目が覚めてみると、翌朝で、もうとっくに討入りは終わっていた。その直後に、小山田はこの女と江戸を出奔する。その後どこかで漢方医をやっていたのだが、強盗に殺されたという。これはほとんど作り話らしく、いくら何でも小山田が可哀相なくらいである。

 では、大佛次郎の『赤穂浪士』はどうか。小山田庄左衛門は、悩める若者として暖かい目で捉え直されている。これはフィクションであるが、小山田は、幸(さち)という浪人の美しい娘と相思相愛になる。いずれ死すべき自分が添い遂げようのない恋をしてしまったことに悩むわけである。このあたりの経緯は、映画でも原作に忠実に描いている。ただ、小山田の揺れ動く心理描写が映画では描き切れていないが、これは仕方ない。しかし、後半が原作とはまるで違う。原作では、小山田が幸と一時的に別れる決心をし、別れの手紙を書く。それを読んだ幸が絶望し、自殺してしまうのだ。それを知った小山田は、自責の念にさいなまれ、身を持ち崩していく。それでも、主君の仇を討つことの意味を自問自答し、人生の幸福を考え、人にはもっと社会のために尽くす大きな使命があるのではないかと悟っていく。ある時、江戸で小山田は幸にそっくりの遊女と出会い、この女に溺れ、ついに討ち入りを断念し逃亡する。原作では、同志(片岡源吾)の金品を盗んだことは、一言触れただけに済ませ、父親が自害したことも書いていない。

 映画はどうか。錦之助の小山田は、幸(田代百合子)との純愛を突き進む。幸は父親を亡くし一人ぼっちになってしまう。討入りの当夜、小山田は幸に自分の身分を打ち明け、集合場所に行こうとする。しかし、幸にすがりつかれ、どうしても行くなら私を殺して!とまで言われ、ついに振り切ることができなくなって、討入りを断念する。ああ、何たることか!
 錦之助は当時人気鰻上りの若手ナンバーワン・スターである。遊女に溺れ、同志の金を持ち逃げするような卑劣な男にしたものなら、ファンが容赦しなかったにちがいない。映画の中で、錦之助の小山田は、松田監督がファンの目を意識してか、非常に好意的に、またスターらしく描いていたと思う。
 しかし、この役でも、ファンの評判はかんばしくなかったようだ。なんで錦ちゃんを討入りの仲間に入れなかったのよ!女なんか捨てて、千代ちゃん(浅野内匠頭役の東千代之介)の仇を討たせてあげなければ、許せない!という不満があちこちで沸いたらしい。抗議の手紙も東映本社に殺到したにちがいない。(これはあくまでも私の推測である。多分女性ファンの気持ちはこうだったのではあるまいか。)

 私ならストーリーの最後を以下のように変えたであろう。
 幸は、小山田に打ち明けられ、愕然とする。それでも、気を取り直し、二世を契った男のため、本懐を遂げさせてやろうと思い、彼を送り出す。彼が行った後、幸は短刀を首に突き当て、自害してしまう。小山田は、家を出た後、幸のことが気がかりで、集合場所へどうしても足が向かない。あちこちさまよった末、集合の刻限が過ぎ、そしてついに討入りに加われなくなってしまう……。どうですかね?(つづく)



『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その四)

2008-04-22 16:12:51 | 赤穂浪士・忠臣蔵
 五周年記念作の『赤穂浪士』は、松田定次監督をはじめスタッフ全員が入念に準備し総力を挙げて作った映画だけあって、その成果が見事に現れていた。まず、脚本が良く練れていて、ストーリー展開、場面構成が鮮やか。セリフも簡潔明瞭で登場人物の性格がうまく表されていた。また、スピード感あふれる細かいカット割りは松田定次監督の特長であるが、川崎新太郎(撮影担当)の規範的なフレームと緩急自在なカメラワークがマッチして、この長時間に及ぶ映画を見飽きないものにしていた。私はこの映画にまったくたるみを感じなかった。
 豪華なセットと衣裳の色彩も申し分ない出来ばえで、深井史郎の音楽も荘重で良かった。彼の音楽は、画面に寄り添うように、あるいは画面に忍び込むように入ってくるので、音楽に気づいた時には映像とともに相乗効果を上げていて、観る者の感情がぐらぐらと揺さぶられている。これがホンモノの映画音楽であろう。
 
 さらに、この映画を傑作にした何よりもの要因は、オールスターの配役が奇跡的なほど適材適所で、誰もが熱演していたことである。
 市川右太衛門の大石内蔵助は、千恵蔵の陰気で力んでばかりいる内蔵助よりずっと良く、あだ名だった昼行灯(あんどん)らしさを髣髴とさせる。右太衛門のこの内蔵助は一世一代の名演だったと思う。内蔵助の肝の据わった大人(たいじん)ぶりを右太衛門は十二分に表現していた。(右太衛門は、この作品で京都市民映画祭の主演男優賞を受けた。監督賞は松田定次だった。)
 月形龍之介の吉良上野介は、気品といい貫禄といい最高で、単なる憎まれ役を超越し、足利氏以来の名門の高家筆頭とはかくあるべしといった存在感であった。あたりを威圧し、近寄りがたさすら感じる。歴代の上野介役者の中で月形がダントツに良いと言われるのも、うべなるかな。「この世の中は金じゃ。金、金、金、……」この「金」という言葉を何度口にしたことだろう。耳について離れない。
 浅野内匠頭の東千代之介も良かった。良かったというのは役柄に合っていたということだ。いかにもぽっと出のお坊ちゃん大名らしい。政界の裏表も知らず、自分の狭い信条にこだわって、指南役の吉良上野介への付け届けをないがしろにした。吉良上野介に礼儀知らずと思われ、無視されるのも当然であろう。内匠頭が必死になって教えを請えば請うほど、上野介から馬鹿にされる。千代之介の内匠頭は、そのあたりの鈍感さと、いざとなってからの慌てぶりが良く表されていた。千代之介は、この大役を汗だくになって必死で演じたと語っているが、それが内匠頭の切羽詰った心境とぴったり一致し、画面からにじみ出ていた。私は時々思うのだが、錦之助の浅野内匠頭より千代之介の方が内匠頭らしいのではないだろうか。錦之助の内匠頭は、未完成な名君を工夫して演じていたとはいえ、それでも立派すぎるかもしれない。あれだけ家来たちのことを思っている内匠頭なら、最後まで我慢し続け、刃傷には及ばないのではないかと。もちろん、刃傷がなければ、「忠臣蔵」の話が始まらないわけであるが……。

 大友柳太朗の堀田隼人は、無表情で薄気味悪いところが良く、狂気が漂っていた。(大友は、十周年記念作でも同じ堀田隼人をやっているが、こちらは演技が支離滅裂で、ひどかった。)
 進藤英太郎の蜘蛛の陣十郎も適役。(次作『忠臣蔵』で、進藤の吉良上野介はどうも似合わなかった。)
 小杉勇の千坂兵部は、訥弁でいかにも東北の大藩(米沢15万石)の家老らしい。小杉勇は、戦前から現代劇の名優だったが、この頃は東映に在籍し、監督兼俳優をやっていた。宮城県石巻生まれで、あの独特の訛りは東北弁である。
 原健策の片岡源吾右衛門、薄田研二の堀部弥兵衛は、まさにはまり役。両者とも絶品である。切腹を前にした千代之介の内匠頭と原健策の片岡源吾の対面シーンは、錦之助と原健策の対面シーンと比べてみるのも一興であろう。私はどちらも好きである。薄田の堀部弥兵衛は、以後定番化し、『青年安兵衛・紅だすき素浪人』『忠臣蔵』十周年記念作『赤穂浪士』でも同じ役を演じ続ける。(正確には、昭和19年製作大映の『高田馬場前後』で扮した堀部弥兵衛が初役。これは私が観た戦前の松田定次監督作品の傑作の一本。薄田研二は、本名の高山徳右衛門で出演していた。)
 伏見扇太郎の大石主税も爽やかで良かった。扇ちゃんはこの頃まだ19歳だったという。彼の大石主税は、私の観たすべての主税の中で一番良かったと思っている。
 片岡千恵蔵の立花左近は、特別出演であるが、彼の大石内蔵助より私は好きだ。先日、マキノ雅弘と池田富保が監督した昭和13年製作の『忠臣蔵』を観た。千恵蔵は浅野内匠頭と立花左近の二役をやっていたが、とうも私はこの浅野内匠頭もうまいとは思えず、立花左近の方が良いと感じた。

 その他、オールスター映画なので俳優を挙げていくとキリがない。加賀邦男(小林平七)、宇佐美淳(柳沢吉保)、清川荘司(吉良家の付き人の一人で、錦之助を何度も鞭打つ憎っくき役)、河野秋武(目玉の金助)、三島雅夫(犬医者丸岡朴庵)が目立ったところか。
 女優陣では、高千穂ひづる(お仙)、田代百合子(さち)が良い役で好演。喜多川千鶴、千原しのぶ、浦里はるみは、役不足か。(喜多川千鶴には瑶泉院をやらせたかった。これは『悲恋 おかる勘平』で実現したが……。)それと内蔵助の妻りくを演じた三浦光子が、地味で良かった。(三浦光子は妖艶な悪女役が多いが、こういう武家の妻の役も落ち着いていて良い。りくの役は、木暮実千代も素晴らしいが、甲乙つけがたい。)
 ところで、大川橋蔵は、まだ東映に入ったばかりで出演していない。もちろん、東映城の二代目三人娘(丘さとみ、大川恵子、桜町弘子)も同様である。
 
 最後に、錦之助が演じた小山田庄左衛門を忘れてはならない。この役は、今思うと、この時代の東映では錦之助以外に出来る俳優はいなかったと思う。残念ながら、今回は長くなってしまったので、詳しくは次回に。(つづく)