「錦之助ざんまい」も今年初。この一年の冒頭にふさわしい映画といえば、どうしても『曽我兄弟 富士の夜襲』(1956年)になるだろう。この映画を選んだ理由はいろいろあるが、今回は新年早々ということもあり、初めに余談を少々語らせていただきたい。
まず、この映画の中で富士山が見られることがお目出度い。東映の映画には、次郎長シリーズを初め、富士山がよく出てくるが、実はほとんどが合成写真で、富士山の絵や写真を遠景に借りたものである。『曽我兄弟 富士の夜襲』に現れる富士山もやはり同じだが、日本一のこの山が大好きな私みたいな者は、それでも一向にかまわない。富士の裾野も、東映京都撮影所がロケ地に使っていた饗庭野(あいばの、滋賀県北西部)であろうが、この点も、映画に出てくる巻狩(まきがり)の壮大なスペクタクル・シーンを観れば、許せるだろう。嬉しいのは、追い詰める獣の中に、ちらっとだけだが、今年の干支であるイノシシが出てくることだ。初めのカットでは、動いている本物の生きたイノシシだったが、狩りの後、四足を縛られ棒に吊るされて運ばれるイノシシは偽物っぽい。さらにその後の酒宴では、なんと丸ごと火で焼かれたロースト・イノシシ(鹿かも)が出てくるのだが、これが美味そうだった。
富士山が出てきたついでに、お目出度い話をもう一つ。初夢のことである。元旦から二日にかけての夜見る夢なのか、二日から三日にかけての夜見る夢なのか、どちらが正しいのか分からないが、私はずっと後者が初夢だと思ってきた。さて、昔から「一富士、二鷹、三なすび」と言って、これらの夢を見ると縁起が良いとされる。この言い伝えにも諸説があるようだ。確かなのは、これが江戸時代から始まったことと、発祥地が駿河の国だということである。いちばん有力な説は、神君・徳川家康が好きだったものがこの三つで、富士山、鷹狩り、駿河名産の茄子だというもの。また、掛けことばから来るという説もある。富士は「無事」に、鷹は「高い」に、なすびは「(事を)成す」に通じるというものだ。また、これはこじつけにすぎない俗説だと思うが、日本三大仇討ちになぞらえて、曽我兄弟が仇討ちを果たした場所が「富士」のふもとで、赤穂浪士の大石内蔵助の家紋が「鷹」で、荒木又右衛門も伊賀上野の鍵屋の辻で事を「成す」というものなのだが……、三番目が苦しい。
次に、近年は変わってしまったようだが、正月興行の文楽や歌舞伎の出し物は江戸時代からずっと「曾我物」と決まっていて、なぜそうだったかと言えば、昔は曽我兄弟の仇討ちの話が「判官びいき」の大衆の間で圧倒的な人気を呼んでいたからである。とくに江戸中期の大役者・市川団十郎が曽我五郎を演じ、それが大当たりして以来、「曾我物」が正月の定番となったのだという。ちなみに今年正月の歌舞伎座の出し物を調べてみたところ、『松竹梅』という演目の「梅の巻」が一種の「曾我物」で、曽我兄弟をめぐる遊女たちが主人公の狂言をやるそうだ。曽我十郎の恋人であった(妻だったとも言われる)虎御前(とらごぜ、映画では高千穂ひづるが扮していた)と五郎の恋人・化粧坂の少将(映画では三笠博子)の話らしい。ところで、平安時代や鎌倉時代に登場する「遊女」(あそびめ)は、白拍子(しらびょうし、本来は遊女が行う歌舞の名称)ともいい、江戸時代の遊女とはまったく違い、かなり高貴な身分だった。「御前」という呼称も遊女に使ったくらいで、源義経の愛妾・静御前も遊女だった。『曽我兄弟 富士の夜襲』にも遊女がたくさん登場するが、酒宴で武士の相手をする女たちはどうも身分も卑しく怪しい感じに見えてしまったが、曽我十郎・五郎の恋人になる二人、高千穂ひづると三笠博子は、奇麗なだけでなく品があって実に良かった。(つづく)