錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『花と龍』(その2)

2006-11-06 21:15:49 | 花と龍
 火野葦平の『花と龍』は、昭和27年から28年にかけて、読売新聞に連載され、大変な人気を博した小説である。その後、ベストセラーになり、今でも多くの人々が愛読している。主人公玉井金五郎は火野葦平の父であり、マンは母であるが、この小説は、両親のほかにも、吉田磯吉、井上安五郎、品川信健など北九州・若松の著名人を実名で登場させた一種のドキュメンタリー小説であった。小説の前半(序章から第一部)は、別々に故郷を旅立ったマンと金五郎が門司で出会い、沖仲仕として働きながら恋愛結婚し、若松で玉井組を設立するまで。後半(第二部と結章)は、若松で市会議員となった金五郎が妻マンに支えられながら、仲間たちと選挙活動を行い、長男勝則の結婚に助力するといった話。勝則とは火野葦平の本名である。後半は、葦平の自伝小説でもあった。玉井金五郎は、長年にわたり若松の発展に貢献したが、大戦後も生き延び、昭和25年70才で亡くなる。葦平が両親の一代記であるこの『花と龍』を書こうと決心したのは、父金五郎の死がきっかけだった。読売新聞の文化部長に熱心に勧められたこともあった。その頃母マンは健在で、息子の新聞小説の連載を喜んでいたという。マンは、昭和35年1月葦平が自殺した後まで生き延び、息子の死後3年経って亡くなっている。

 最近私はずっと読みかけになっていたこの大部の小説を初めからじっくり読み返してみたのだが、大変面白かった。とくに序章から第一部まではわくわくする面白さで、次々と起こる事件に巻き込まれながらもそれを乗り切って行く玉井金五郎とマンの活躍が生き生きと描かれていた。それと、この小説は、作者が自分の両親を描いただけあって、主人公の二人に対する愛情の込め方も格別で、それが読む者に伝わり、心暖まる感動をもたらす。私は、これまで映画を何度も観ているので、原作を読みながら、映画のシーンを思い浮かべたり、映画には描かれていない部分を興味深く読んだりした。また、逆に映画に描かれていて原作には書かれていない部分にも注目しながら、読んでみた。
 原作と比較して気づいたことを述べてみよう。

 まず、映画の『花と龍』は、原作の前半(序章と第一部)のほぼ三分の二を脚色したものであった。内容の変更はかなりあるにせよ、原作のコンセプトは忠実に映画化していた。とくに最も大切な玉井金五郎とマンの性格や人物像はしっかり表現できていたと思う。錦之助自身、原作をきっちり読み、役作りを入念に研究したことは明らかである。金五郎は善意の人である。暴力に訴えず、誠意を尽くして話し合えば心は通じるといった信念の持ち主である。そして、この馬鹿正直さが金五郎の魅力でもあるのだが、錦之助は金五郎の性格を見事に表現していたと思う。普段はおどけた二枚目半で、いざとなれば度胸の据わったカッコ良い男に変貌する。これは錦之助の得意とするところで、今更彼の卓抜した演技力を褒めることもあるまい。佐久間良子も、マンの性格を実にうまく、しかも自然に表現していた。勝気だが心の暖かいマンに成りきっていたと思う。
 映画のシナリオを書いたのは田坂啓であるが、原作の面白さをうまく生かした脚色だったと改めて感心した。まず、何と言っても田坂啓のシナリオを褒めなければなるまい。原作を読んで、映画と比較してみると、脚色上の工夫の跡があちこちに窺われ、いかにも映画らしく作り変えていたことが分かる。
 最初の部分で、原作と映画が大きく違うところは、原作はまずマンを主人公にして広島の山村から書き始めていることである。が、映画は、序章(一)のマンの部分は全部省略していた。序章(二)の松山での金五郎のエピソードから始めることにしたのだが、その方が映画では導入部として成功していたと思う。この部分もずいぶん省略していたが、古道具屋で助広の小刀に見入っている姿から錦之助の金五郎を登場させたのはなかなか良かった。次に、道後温泉で重要な脇役であるお京(淡路恵子)が登場するが、風呂の中で、金五郎と出会わせたのは映画が工夫したところだった。原作では、お京の付き人のようなやくざ者がいて(般若の五郎という)、金五郎は彼と風呂で出会い、賭場に誘われることになるのだが、映画はここを思い切って簡略化した。ここもすっきりしていて良かった。お京が刺青の入った裸姿で金五郎に会い、会話を交わす場面は、『花と龍』という映画のイメージを印象付けて巧みだったと思う。
 また、映画は金五郎が旅立ちするシークエンスを導入部に置いたので、マンが初めて登場するシーンも引き立った。佐久間良子のマンが紫の羽織を着て、門司の海岸に現れるシーンは目も鮮やかに印象に残る。掘っ立て小屋のような茶屋で、マンが水を一杯ぐっと飲み干すと、そこに居た女衒にだまされかける。そこを錦之助の金五郎が助けるのだが、立ち去ろうとする金五郎をマンが呼び止めて、「ちょっとあんた、うちの邪魔するつもり?せっかくいい稼ぎ口、見つかったのに!」と言う。この一発のセルフで、マンの勝気な性格が描き出される。この場面、もちろん原作にはない。(つづく)