この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

「ゆたぼん」問題について一言。

2021-04-18 01:04:49 | 政治・経済・時事
 普段このブログで政治ネタ、時事ネタを取り上げることはあまりありません。
 まったくない、ってわけではないかな。
 その問題が自分に無関係ではないと思ったときや世間一般の考えと自分の考えが大きく乖離していると思える場合、例えば新型コロナウイルス関連の問題や緊急事態宣言については比較的取り上げることが多いですね。

 「ゆたぼん」こと中村 逞珂(なかむら ゆたか)少年のことは今回の騒動が起きるまで全く知りませんでした(こちら)。 
 登録者数が13万人を超えるユーチューバーとのこと、知名度においては自分と雲泥の差ですね。
 羨ましい限りです。

 本来であれば見ず知らずの少年が中学に行こうが行くまいが、そんなことは自分の知ったことではないです。
 好きにすればいい、ぐらいにしか思いません。
 ただ、今回は言いたいことがあったので言わせてもらうことにしました。
 
 まず最初に言いたいのは、人は誰でも学校に行きたくないのであれば行かない権利を有するってことです。
 また学歴はすべてではありません。
 大学を卒業した人間が中卒の人間より偉い、もしくは頭がよいとは限りません。
 学歴はその人を計るための目安の一つでしかありません。

 それを踏まえた上で言わせてもらいます。
 今、彼が言っていることはとてもまともとは思えません。
 彼はやたら人を挑発しますよね。
 その最たるものが小学校の卒業証書を授与された翌日に破り捨て、その様子を動画にしてネットで公開したことです。
 ゆたぼん曰く「貰ったものをどうするかって俺の自由」だそうです。
 完全に子どもの理屈ですね(彼はまだ子どもですが)。
 貰ったものをどうしようが貰った側の自由、なんてことはないです。
 その理屈が通るなら、弁当屋で弁当を買って、その弁当を店の前で地面に叩きつけ、足で踏みにじり、その様子を動画でネットに公開するのも弁当を買った者の自由、ということになります。
 断じてそんな自由はありません。
 小学校に思い入れがなく、卒業証書に価値が見い出せないというのであれば、人目につかないところで処分をすればいいだけの話です。 
 散々自分から挑発するだけ挑発しておいて、その挑発に乗った者を「めっちゃダサいし、めっちゃカッコ悪い」と切り捨てるのは、どっちがダサくて、どっちがカッコ悪いっていうんだよ、と言いたくなります。

 彼の父親は自身のことを作家、心理カウンセラー。自由人と称していて、彼の著書には《元暴走族》で中卒と書かれているそうです。
 元暴走族であることも中卒であることもどうでもいいことです。
 作家と名乗るのも自由人と名乗るのも本人の自由でしょう。
 けれど心理カウンセラーと名乗ることは控えてもらいたい。
 どこの世界に自分の子どもに不必要な挑発をさせる心理カウンセラーがいるというのか。
 挑発も時に必要な場合もありますが、不必要な挑発は無用なトラブルを生むことを忘れてはいけません。

 自由を謳歌するということは好き放題やりたいようにやるということではない、ということを二人には知っておいて欲しいです。
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