この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

人として当たり前だと思うことを理解出来ない人と議論をするのはとても疲れる。

2024-06-27 20:36:12 | 旧作映画
 昨日の記事の続きです。

 昨日の記事では最後に「もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはどうしますか」と問いました。
 どうしますかというか、どう思いますかでもいいのですが、ともかく、兄弟だからとか、家族だからとかいったことは関係なく、心臓に障害を持つ相手から遠泳勝負を挑まれたら嫌ですよね。
 なぜなら遠泳の最中に発作を起こしたら、その相手は間違いなく死んでしまうからです。
 そしたら自分が殺したようなものじゃないですか。
 そんなの誰だって嫌に決まっています。
 
 誰だって、と言いましたが、障害者相手にも手加減することなく、その結果相手が死んでしまってもまったく気に病まない、人でなしであれば話はまた別です。
 けれどアントンもそこまでの人でなしではないでしょう。
 アントンもまたヴィンセントと遠泳勝負をすることは嫌だったはずです。

 しかし実際にはアントンはヴィンセントと遠泳勝負をしています。
 どうして彼は遠泳勝負をしたのでしょう?
 嫌ならば断わればよかったのに。
 自分はアントンが勝負を受けた理由を一つしか思いつきません。
 もしアントンが「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳勝負をするのなんて御免だ」とヴィンセントに言っていれば、彼は兄と遠泳勝負をせずに済んだでしょう。
 でも言えなかったんですよ。
 言えば兄を深く傷つけることがわかっていたから。
 アントンは遠泳勝負を受けたのは彼が断わるすべを知らなかったからです。
 それ以外の理由を自分は思いつかないですね。

 遠泳勝負を受けたアントンが次に考えたことは何でしょうか。
 遠泳勝負で勝利すること?
 彼は勝利にこだわっていなかったと思いますよ。
 だって、勝負に勝ったからといって誰かに褒められるわけでもなければ、高額な賞金がもらえるわけでもない、勝って当たり前の相手に勝ったからといってそれで特別カタルシスが得られるわけでもないですから。
 彼が何より重要視したのは勝負を一秒でも早く終わらせることだったのではないでしょうか。
 勝負が長引けば長引くほどヴィンセントの心臓への負担は増し、発作を起こす確率は上がりますからね。

 ではどうやって勝負を早く終わらせるのか?
 アントンがヴィンセントに『ここらへんで勝負はもうやめよう」と呼び掛けて、兄がそれに応じてくれればそれが一番でした。
 しかしヴィンセントがアントンの呼びかけに応じず、さらに先に行こうとしたら?
 そのときはアントンには秘策がありました。
 それは彼が溺れる(溺れた振りをする)ことでした。
 溺れた弟を放っておいて先に行く兄ではないということをアントンは知っていたのです。

 今述べたことをまとめます。
 ①アントンは兄ヴィンセントと遠泳勝負をするのが嫌だった。
 ②しかし兄を傷つけることを望まなかったアントンは勝負を受けた。
 ③勝負を早く終わらせたかったアントンは溺れた振りをした。
 これがロジックで導き出した最初の遠泳勝負の真相です。
 この真相を認められないという方も流れ的におかしなところは指摘出来ないはずです(指摘してもらっても全然構いません)。
 というか、心臓に障害を持つ相手と遠泳勝負をしたくないと思うのも、その遠泳勝負を一秒でも早く終わらせたいと思うのも、人として当たり前の感情だと思うんですけど、違うんですかねぇ。
 まぁ実際、そう思わない人が多いんですけどね。
 自分が人として当たり前だと思うことを理解出来ない人と議論をするのはとても疲れます。。。
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