この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

実は痛快作である『マーターズ』。

2021-08-02 21:22:36 | 旧作映画
 バズっていると言うほどではないのですが、最近アクセス数が多いのが【『マーターズ』最終考察、その1。】という記事です。
 今から10年以上前に公開された映画の、7年前に執筆した考察記事が今になってアクセス数が増えるのは何だか不思議な気がしないでもありません。
 もしかして、今密かにネットで『マーターズ』ブームなんですかね?(←それはない)

 難解で、不条理で、グロテスクといわれる『マーターズ』ですが、グロテスクというのはともかく、自分は『マーターズ』を難解だと思ったことも、不条理だと思ったこともありません。
 マドモアゼルはなぜ自ら死を選んだのか、ネットで様々な意見が見られますが、答えはそんなに難しくないんですよ。
 マドモアゼルは死ぬ直前、従者に対し、「疑いなさい」と言っています。
 「疑いなさい」と言ったということは彼女自身が疑っていることに他なりません。
 自身で疑っていない人間が他人に対し「疑いなさい」というのはおかしいですからね。
 では彼女は何を疑っていたのか。
 これは文脈から「死後の世界の存在」だということがわかります。
 ではなぜ「死後の世界の存在」を探る組織の首領であるマドモアゼルが「死後の世界の存在」を疑うようになったのか。
 これはアンナの今際の言葉を聞いてマドモアゼルは疑念を抱いた、と考えられます。
 それ以外のきっかけはちょっと考えにくいですからね。
 このことからアンナの今際の言葉は死後の世界に関することではなかった、ということがわかります。
 アンナが死後の世界に関することを呟いて、マドモアゼルがそれに対し疑念を持つというのは筋が通らないからです。
 このように『マーターズ』はヒントを一つ一つ拾っていけば、決して難しい映画ではありません。
 前述の、マドモアゼルの自殺の動機ですが、一言で言えば「疑ってしまったから」です。
 例えば新興宗教の教祖が自らが崇拝する神の存在を疑ってしまったとしたらどうでしょう?
 生きていけない、ですよね。
 多くの供物や生贄を捧げてきたのだとしたら猶更です。
 マドモアゼルが疑ったことを理由に自ら死を選んだとしてもそれほど不可解なことだとは思いません。

 『マーターズ』が不条理な映画だと思われている理由の一つは後半アンナがひたすら暴力を振るわれるからではないでしょうか。
 もしあの暴力に意味がなければ、『マーターズ』は不条理な映画であるというレッテルを貼られても仕方がないかもしれません。
 しかしあの暴力にはちゃんと意味があるのです。
 なぜアンナは延々と暴力を振るわれるのか、それはあの暴力が彼女の犯した罪の大きさを表しているからです。
 あの終わりなき暴力は仏教でいうところの無間地獄なのだと自分は捉えています。
 決して意味がないわけではないのです。

 ここだけの話ですが、胸糞悪い映画の代表作として知られる『マーターズ』ですが、自分は案外痛快作ではないか、と思っています。
 何を言っている、『マーターズ』のどこに痛快な部分があるというんだ、頭がおかしくなったのか、と仰る方もいるかもしれませんね。
 でも、巨大な悪の組織を無力と思われていた少女が言葉の力だけで崩壊させたとしたら、それって痛快なことではないですか?
 もちろん作中、組織が崩壊する様が描かれているわけではありません。
 マドモアゼルには後継者がいて、彼女の死も組織にとっては特に痛手ではなかったかもしれません。
 けれど逆に彼女の死によって組織が崩壊した、とも考えられるわけです。
 どちらにも考えられるのであれば、より痛快な方を選択する方が賢明ではありませんか?

 まだまだ『マーターズ』に関しては語りたいことがあるのですが、切りがないので今日はこれぐらいで止めておきます。

ps.これだけ語っておいてなんですが、『マーターズ』はホラー映画の到達点であり、ホラー映画によほど耐性がある人でない限り見ない方がよいと思います。
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