折り鶴を最初に考えたのが誰か、ということはわかっていません。
ただし、折り鶴の発展形である連鶴を考えたのは誰かということはわかっています。
魯縞庵義道という江戸時代のお坊さんです。
彼の記した『秘伝千羽鶴折形』は世界最古の折り紙に関する出版物です。
長い間連鶴といえば『秘伝千羽鶴折形』に掲載された49種を指していました。
人々はなぜか49種の連鶴ばかりを繰り返し折っていました。
しかし昭和の時代になり、『秘伝千羽鶴折形』掲載の49種以外の連鶴があってもいいのではないか、と創作連鶴を提唱した人物がいました。
それが誰かというと自分なんですけどね。笑。
『秘伝千羽鶴折形』に掲載された作品は(中には実作できないものもあったりしますが)どれも発想が自由なんですよ。
何ものにもとらわれない柔軟な思考がそこにはあります。
なので、連鶴といえば『秘伝千羽鶴折形』掲載の49種を指す、と考えるのはすごく変なことなんです。
連鶴はもっと自由であっていい。
自分が創作した連鶴の初期作品には次のようなものがあります。
《親子鶴七連》です。
久しぶりに折ったらいまいちバランスがよくなかったです。
《菱連鶴十二連》。
折り鶴は基本的に正方形の紙から折りますが、正方形の紙でしか折れないというわけではないのです。
正方形から遠ざかればそれだけ歪みが出るというだけで。
その中で菱形は正方形に性質が似ているので、比較的綺麗に折ることが出来ます。
後期の作品は次のようなものがあります。
《四鶴関係(しかくかんけい)》です。
後はこの前紹介した、
《舞夢、舞夢》などですね。
《親子鶴》や《菱連鶴》ある程度折り紙を嗜んでいる人なら模倣も可能かと思いますが、《四鶴関係》や《舞夢、舞夢》は絶対に同じものは折れないだろうという自負があります。
実際のところはどうなのか知りませんが、それぐらい繫がりが変態的、、、訂正、複雑です。笑。
以前は好んで連鶴を創作していましたが、今はまったくやっていません。
もう新たな連鶴を生み出すこともないだろうなって思っています。
ただし、折り鶴の発展形である連鶴を考えたのは誰かということはわかっています。
魯縞庵義道という江戸時代のお坊さんです。
彼の記した『秘伝千羽鶴折形』は世界最古の折り紙に関する出版物です。
長い間連鶴といえば『秘伝千羽鶴折形』に掲載された49種を指していました。
人々はなぜか49種の連鶴ばかりを繰り返し折っていました。
しかし昭和の時代になり、『秘伝千羽鶴折形』掲載の49種以外の連鶴があってもいいのではないか、と創作連鶴を提唱した人物がいました。
それが誰かというと自分なんですけどね。笑。
『秘伝千羽鶴折形』に掲載された作品は(中には実作できないものもあったりしますが)どれも発想が自由なんですよ。
何ものにもとらわれない柔軟な思考がそこにはあります。
なので、連鶴といえば『秘伝千羽鶴折形』掲載の49種を指す、と考えるのはすごく変なことなんです。
連鶴はもっと自由であっていい。
自分が創作した連鶴の初期作品には次のようなものがあります。
《親子鶴七連》です。
久しぶりに折ったらいまいちバランスがよくなかったです。
《菱連鶴十二連》。
折り鶴は基本的に正方形の紙から折りますが、正方形の紙でしか折れないというわけではないのです。
正方形から遠ざかればそれだけ歪みが出るというだけで。
その中で菱形は正方形に性質が似ているので、比較的綺麗に折ることが出来ます。
後期の作品は次のようなものがあります。
《四鶴関係(しかくかんけい)》です。
後はこの前紹介した、
《舞夢、舞夢》などですね。
《親子鶴》や《菱連鶴》ある程度折り紙を嗜んでいる人なら模倣も可能かと思いますが、《四鶴関係》や《舞夢、舞夢》は絶対に同じものは折れないだろうという自負があります。
実際のところはどうなのか知りませんが、それぐらい繫がりが変態的、、、訂正、複雑です。笑。
以前は好んで連鶴を創作していましたが、今はまったくやっていません。
もう新たな連鶴を生み出すこともないだろうなって思っています。