この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

毒は喰えても皿は喰えなかった『GODZILLA 星を喰うもの』。

2018-11-14 22:12:12 | 新作映画
 静野孔文監督、『GODZILLA 星を喰うもの』、11/11、Tジョイ久留米にて鑑賞。2018年41本目。


 ネットでの評価が恐ろしく低い(Yahoo映画での評価が現在2.44点。今年観た映画の中ではぶっちぎりに低い。)『GODZILLA 星を喰う者』を全三部作の二部作目まで観た以上は最後まで観なきゃダメだろうと半ば義務感に駆られて観に行ったのですが、いやぁ、清々しいぐらいに何じゃこりゃって感じでしたね。
 毒は喰えても皿は喰えないです。笑。

 本作の何がダメだったか?
 ゴジラシリーズとしてダメとか、SFとしてダメとかいう以前にキャラクター、特に主人公のハルオに魅力がなかったです。感情移入できないにも程があるだろうと言いたくなりました。

 前作のラストでハルオはゴジラを倒すチャンスを得ます。
 しかしそのためには後輩のユウコの命を犠牲にしなければいけませんでした。
 結局その選択が出来なかったハルオ。
 そこだけ見れば、そうか、ユウコの存在はハルオにとってそこまで大きかったのか、そう思うじゃないですか。

 そして本作においてユウコは昏睡状態なのですが、現地人の娘ミアナがハルオに迫ってくるのですが、幸いというべきなのかどうなのか、ミアナがハルオのスーツの脱がせ方を知らなかったので事なきを得ます。
 そうだよね、ハルオにはユウコがいるのに現地人の娘と懇ろになるわけにはいかないよね。

 と思ったらミアナの姉マイナが同様に迫ってきて、彼女はスーツの脱がせ方を知っていたので、ハルオと一夜を共にし、彼の子を身ごもるのです。
 え、ユウコの存在は一体…?

 そうか、ハルオは現地人とともに生きていく選択をしたのか、そう思うじゃないですか。
 しかし本作のラストでハルオは昏睡状態のままのユウコとともに人型戦闘機でゴジラに特攻を仕掛けるんですよ。
 あれ、マイナを身ごもらせといて結局ユウコと心中するの?
 っていうか、そのラストであれば、前作のラストでユウコを犠牲にしてゴジラを倒していればよかったんじゃないの?としか思えませんでした。

 このアニメ版ゴジラの出発点はどこまでもゴジラという怪獣の存在をリアルに描くことだったのではないか、と思います。
 ゴジラという怪獣が実際に存在したとして、もしあっさり核兵器で倒すことが出来たら、それは人類にとって脅威ではないですよね。
 なので核兵器すら無力にする生物がいたとしたら、どのような生態になるか、徹底的にシミュレートして、その結果生まれたのがアニメ版ゴジラなのではないでしょうか。

 しかし、、、アニメ版ゴジラはぶっちゃけ強くしすぎたんですよね。
 実写版のゴジラが怪獣とはいえど、血も流し、傷つきもする生物であったのに対し、アニメ版ゴジラは神にも等しい存在になってしまったため倒しようがないんですよ。
 そのため作中に観客が求める怪獣同士の肉弾戦もなく、やたら精神論だけが語られる宗教チックな作品になったのだと思います。

 それはある意味脚本を書いた虚淵玄らしいといえばらしいのですが、まぁ観客のほとんどはそのようなものは望んでなかったってことなんでしょうね。
 だからこそYahoo映画での評価が2.44点なのでしょう。

 個人的にはゴジラという怪獣の存在を徹底的にリアルに描くという志自体は高く買いたいですが、その結果似非宗教映画になったのではやはり高く評価することはできません。
 志だけでは面白い映画は作れないっていうことですね。


 お気に入り度★★、お薦め度★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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